武豊が勝ち星をあれだけ積み上げられた理由とは
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武豊は馬質がいいから若いうちから大きなレースで勝ちまくれたという話をよく聞く。
確かに昔の豊の馬質がすごかったのは否めない。
だが、今のルメールのように「豊だから」ということで、場合によっては実際の馬の実力以上に1番人気、2番人気になることもよくあったはずだ。
また、今でもルメールなど、昔の豊ぐらいの馬質をあてがわれているジョッキーはいると思うが、果たして馬質がいいだけで当時の豊と同じペースであれだけの勝ち星を維持し続けられるものなのだろうか。
馬質はいいというのは前提として、それだけであんなに勝てない気もする。
実際、馬質が良かったり、いい馬をあてがわれたりしても取りこぼす騎手は取りこぼすことが多いし。
それなりの技術や運や流れ(語弊はあるが運も実力のうちとも言うし、例えば今の騎手より強いライバルが少なかったとしたら、それも運の実力だと思う)など馬質以外の要素も、今のリーディングジョッキーたちより優れている部分もあったのではないだろうか。 >>1
馬質云々言われてはいるが武豊って案外その年の一番馬にはあんまり乗ってないんだよな
ずっと義理とか先約優先で乗ってるから 武は馬主や調教師へのごますりだけで良い馬質を手に入れてきたが
ノーザンファームが上手い騎手を選択するようになって落ちぶれた
おべっかや追従に力を注ぎ騎乗技術を疎かにした結果が今の状態
でもまだ武に大金を貢ぐ馬主がいるので何とか格好をつけている
これからも馬主のケツを舐めて生きていくしかないな 理由は簡単、インタビューできちんと受け答えが出来る、一般人の前に出しても恥ずかしくない数少ない騎手だから。
テレビのバラエティ番組に出してもらえたのはデムルメ武浜中、少なくともここまでは競馬の顔として世間に出してもいいとJRAは判断してるんだろう。 エージェント制ができる前は少数の有力騎手に馬が集まりやすかったと聞くがどうなの? 武の成績なんて馬質以外に何があるの
折り合いが上手い訳でもないしずぶい馬は追えない
馬が同程度の実力なら競り合いではほとんど負けている
普通の馬質なら菜々子よりちょっと上手いだけ >>6
その昔は徒弟制度とか一門が幅を利かせていたとはよく聞くね
一門のつながりで騎乗馬が決まるのが多く、有力一門なら有利だったとか
関東はそういう縦割り構造の名残が比較的近年まで残っていたような
逆に関西は、厩舎が栗東に集結したのがきっかけで
一門よりも勢いのある者に騎乗依頼が集まる傾向が生まれた
福永洋一の快進撃が始まったのもその頃から 福永洋一がリーディングを獲得していた頃
関東のリーディングは混戦で毎年のように首位騎手が変わっていた
今では信じられない数字だけど、年間60勝くらいでも1位が獲れていた
つまり、有力騎手の勝ち星が分散していたのだ
その原因は前述の縦割り構造と、厩舎が府中中山白井に分かれていたのもあるかと
美浦トレセンが出来る直前の話 やがて栗東に遅れること約10年
美浦トレセンが完成すると、関東でも特定騎手への勝ち星集中の流れが始まった
関東で幅を利かせたのは岡部、柴田人、増沢の3人
このうち増沢は勝ち星の大半をローカル開催で稼ぐという独自路線を確立
柴田は生涯厩舎所属を通し、義理人情で騎乗馬を決める昔堅気
残る岡部は懇意にしていた記者の松沢昭夫をエージェント認定し馬を集める体制を作ると
次第に政治力を発揮し、関東で一大勢力となる岡部軍団を築き上げた 僕のこと嫌いでもいいよ、その代わり君の大切なもの全部貰っていくからね…心も、体も…全部貰うからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています