◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
ネット黎明期はメルボルン二世とか南関診断士とかの優れたサイトが多かったな 吉田牧場って破産したの?
もう一度テンポイントに手を合わせたい >>654
ダルモーガンさんは、想像ですが園田の元調教師の福地さんのことですか?
あの方でしたら1930年生まれですので、ご存命であれば93歳です。 中山大障害メインの障害を扱ったサイトもあったが消えてるんだよね 明石家さんまさんが以前、テンポイントのお墓に訪れた
で、何年か経ち行ってみると、随分と立派になってて驚き
実は最初のはキングスポイントのお墓だった ナリブとトップガンの阪神大賞典は有名だが
悲しいかな土曜日のメインで
杉本清の名実況が聞けなかった ロングホークの阪神大賞典見れるとは 70年代の重賞とかよくあるもんだなと感心する 杉本さん不在レースで思い出すのは
キタノカチドキのマイラーズカップ
トウショウボーイの宝塚記念
インターグロリアの京都牝馬特別
など
ここから先を書くとどなたかの批判みたいになるので省略 ヒカルイマイのダービーは4角から直線半ばまでカメラが同馬を追えてないのが残念だ
ダービー史上世紀の後方一気の追い込みだったのに
当時は実況が関東馬偏重で皐月賞勝っても人気が
なかったのが原因かな
生い立ちとかドラマのある馬だった ヒカルイマイのダービーのときは、小学生でなにか別のことをやってて
レース(テレビ)を見てなかった。おわったあと、まわりの年長の人たちが
あっけにとられていたようにみえたのを憶えている。
>>662
競馬雑誌でシプリアニも初年度だったか、活躍場も出ておらず、
しかもろっ骨(?)が一本折れていたのもあり、250万円の安馬だったとありますね。
その雑誌の別の号で同じシプリアニ産駒のトウメイの記事もあった。
有馬記念での勝利について、直線先頭にたちゴールする同馬の姿に重ね、
150万円の安馬、見た目も云々だった馬の栄光がそこにあったという言葉で
締めくくられていたと記憶しています。 WikiPediaで調べてみると、ヒカルイマイは150万円でしたね
200万円のところ、肋骨の陥没があり50万円の減額となったとのこと
トウメイは、165万円で15万円のプラス金額でした
上の競馬雑誌の記事は、トウメイの繁引退直後でもあり、のちの殖成績と長寿を知る前のもの。
この記事に付け加えるべき事柄があると思います
この馬の歴史には、まだまだ言及すべき事柄がいくつもある
テンメイとの天皇賞秋母子制覇、さらに健康に恵まれ32歳の長寿でもあった。
そのすぐれた、競争成績、繁殖成績、そして長寿であったことを考えると、
シンザンに比肩しうる、日本競馬において特筆すべき名牝、名馬の一頭であったといえるだろう
といったところでしょうか? 今日はテンポイントの命日
昔吉田牧場に墓参りに行ったなあ 懐かしの名勝負といえばレブロンVSスイノルミエールだなあ
大逃げするルミエールを四角最後方から強襲するレブロン
若かりし小迫の度胸満点の騎乗ぶりだった 最近BSフジの競馬中継で昔懐かしいレースを流してくれてますね(直線だけですが)
先日はマーチスが勝ったスプリングSでした。2着タケシバオー、3着アサカオー
その前にはスピードシンボリのAJCCもやってくれたかな。2着はおなじみのアカネテンリュウ
ゲストのエイト吉田氏もリアルタイムでは見てないと言ってましたね 連投ゴメン
そういえば1971年の阪急杯もやってくれてました
まだ1900mで6月にやってた頃
トウメイが58kgを背負って不良馬場をものともせず快勝
アホヌラさんのサイトであらためて確認すると
2着以下はウメヤ、ケイサンタ、タイヨーファンシー、ファストバンブー
着外にはクニノハナ、スリーリバー、オープンツバメなどもいました
最近は懐かしのレース映像を楽しみに、カンテレじゃなくてBSフジ
を見てますわ その阪急杯の次走が東京競馬場で見た牝馬東タイ杯になるのかな
小さな体に59キロの酷量を背負って最後は馬なり大楽勝
間違いなく生涯ぶったまげBest10に入る衝撃的レースでした いや東上前に阪神でオープン使ってる リアルタイムでテレビで見た 4角でウチュウオーが一気に先頭に立ちトウメイは尻尾振り回して追いすがるも馬体も合わせられなかった ウチュウオーの引退レース 寺山修司の著書、旅路の果てが再販されたので買った
中央重賞で活躍した馬でも末路は悲惨なのが多いのを認識 テスコガビーが出走したオークストライアルの映像、動画ってないみたいですね。
トウホーパール、カバリダナーにおくれての3着。
直線でテスコガビーが先着の2頭のどちらかに噛みつきに行っていたように記憶しているのですが。 >>675
ありがとうございます!YouTubeに年鑑として1975年の重賞レースの映像があるとは貴重なコンテンツですね!
レースを見ると噛みつきにはいっていないようで(^^; 記憶違いだったようです。
あと噛みつき疑惑というとフェブラリーSのシンコウウィンディですが、これもレースを見ると違う。
あとはプリークネスステークスのサンデーサイレンスですが、これもむしろイージーゴアの方が
頭をサンデーサイレンスにむけているだけにみえます。
やはりレース中の噛みつきなどは、めったにあるものではないようですね。 中央競馬年鑑というコンテンツがYouTubeに上がっているので、1984年新潟大賞典のミクロンテンローの勝利を
当時、後楽園の場外馬券場でみて以来かもしれないけど、みてみようと思ったら、ローカルの映像はなかったという。
日刊競馬の柏木集保が競馬四季報だったか?この馬の競争成績について、デビュー2戦目をのぞき
すべて人気以上の成績を上げていると指摘していた。そういう事もあって、よくこの馬の馬券を買ったし、注目していた。
夏のローカルで条件戦を勝ちあがり新潟大賞典まで勝つとは大したものだと思う。
その後引退まで自分に掛けられた人気以上の成績を残したこともすばらしい。
ローカルでの上がり馬というと、ミクロンテンロー以上に出世したけど、
当時のもう一頭のお気に入りの馬、テュデナムキングも思い出した。 新潟大賞典といえば改装前は右回りのハンデ戦
勝ち馬メークアスマートの時はまさにハンデ戦と言っていい醍醐味に溢れていた >>678
ミクロンテンローもメークアスマートと同斤の53kgでの勝利ですね。直線伸びた走りは憶えているけど
差したのか、残ったのかは、憶えていません。でも、首差とはいえ堂々たる勝利だったように思う。
アホヌーラ (Ahonoora) さんのサイトでみるとミクロンテンローの勝利は、とくにローカルで勝ち、
勢いのまま新潟大賞典勝利というものではなかったです。わたしの記憶も年齢相応にか?
かなりあやしい。ええ加減な記憶、記憶違いが多くて、お恥ずかしいかぎりです。
それにしてもアホヌーラという馬だけど、サイトの主さんはアホヌーラが
好きなんだと思うけどどうしてなんだろう?と、ふと考えたりする。
そんなことを詮索しても仕方ないのだけれど、わたしがこの競走馬のことについて、思い出すのは、
まずチャンピオンSでニジンスキーに勝ったロレンザッチオの産駒だということ。
今世紀有数の名馬、現状最後の英国三冠馬だが、凱旋門賞でササフラ、チャンピオンSと
二度苦杯をなめている。現役最後の2戦。セントレジャーを使ったのが響いたという見方もあったりする。
父系はもとをたどるとトウルビヨンの系統。アホヌーラ自身、種牡馬として、父、母父としてイギリスダービー馬を出している。
直仔のドクターデヴィアスはジャパンカップに出走もしている。どうやらサイヤーラインは、21世紀に入っても存続しているようですね。 ポニーキャニオン発売の有馬記念史1で勝ち馬でないのに紹介されてるぞ ソロナオールは菊花賞、有馬記念ともに3着が印象的で記憶している。3着が似合う競走馬だった。
しらべてみると中山の条件戦ながつき賞勝利のあとセントライト記念、京都新聞杯という格上の重賞も3着で
4戦連続3着、どうしてこうなった?というと、どのレースもほぼ最後方からレースをして、直線鋭く追い込む
というレースをする(した)からだろう。小柄な馬で、おそらく気性面でも、道中他の馬と並走できないところもあったかも
その分、小柄さは身軽さにつながり、追い込みも鋭く長続きする脚だった。とはいえ、全ての馬をとらえきれない
おかしな比較かもしれないが、そこが全部つかまえ抜ききったディープとちがうところ
まあ菊花賞でイシノヒカル、タイテエムがいなかったら、ランドプリンス、ロングエースを退け優勝
有馬記念もイシノヒカル、メジロアサマがいなければ、オンワードガイらに先着、優勝だったかもしれない
さらに妄想を進めると有馬のイシノヒカルは三才(当時は4才と計算)で、三才で勝ちを逃したディープより
実力は上、古馬のメジロアサマをハーツクライに後れを取ったとすれば、ディープとソロナオールは、ほぼ同じ強さだろう
イシノヒカル世代の3強(ロングエース、ランドプリンス、タイテエム)もふくめ歴代屈指の強さ、
七夕ダービーだったが、ロングエースはダービーレコード勝ち、秋古馬混合戦でも、古馬を圧倒
トーヨーアサヒも古馬相手に勝利、時計の1分50秒を切り、その速さに注目が集まった。
同世代は翌年ストロングエイト、翌々年タニノチカラと有馬記念を勝ち、それ以外の大レースも支配した。
やはり間違いなくソロナオールはディープインパクトと同等の強さの名馬だった。
そのため競馬ファンは翌年の4才時はソロナオールを8戦中7回一番人気に支持した。
しかもソロナオールはファンの期待に応え、なんと2勝もしたのだった。
父のフェリオールは、ネアルコを経由しないファロスの系統。この点についての解説は、
他の方にお任せしよう。一つだけ指摘したいのは、フェリオールもソロナオールも
直接的に商品名とは対応しないが、薬品名を連想させる。この二頭がタイムマシンにのって
現在にやってきたら、現代に蔓延するウ〇娘汚染を洗浄してくれるだろう。 >>680
末路は地方競馬で酷使された挙句、乗馬になれてもすぐに伝貧で薬殺 >>680
1972年の旧四歳クラシック路線に乗った馬、
JRAの重賞未勝利なのにアホヌーラさんの処にリストアップされている。 連投で恐縮です。
>>683 そのへんのこともなにかしらおぼえています。ありがとうございます。
>>684 年数など具体的な情報を書いていませんでした。ありがとうございます。
ニジンスキーが三冠馬になり、21世紀に二冠馬キャメロットがセントレジャーで2着に敗れ、
依然ニジンスキーにつづく馬はいない。ただ牝馬三冠馬はいる。
といっても、もう約40年前、1985年のこと。そのとき曾祖父(Atan)は日本にいた。
わずかに英国にのこった子孫の中で祖父(Sharpen Up)が成功してサイヤーラインをつなげた。
その祖父の産駒Kris(クリス)の仔が牝馬三冠を達成したオー・ソー・シャープ(Oh So Sharp)である。
サラブレッド血統センター刊行の「世界の名馬」(「新・世界の名馬」ではない方)には、
それ以前のサンチェリオット、メルドという2頭のことが書いてある。
英国では、牝馬三冠レースは1000ギニー、オークス、セントレジャーとなっている。
日本でいえば桜花賞、オークス、菊花賞制覇となる。たしかに現在でも秋華賞はクラシックではないようだ。
とはいえ、牝馬が菊花賞で三冠を目指すのは、何十年に一頭の牝馬による牡馬三冠勝利に挑戦する時だけだろう。
あるいは、牝馬三冠とエリザベス女王杯、またはヴェルメイユ賞の選択も考慮する必要があるかもしれない。 ソロナオールは小さな体から最後方からの渾身の追い込み
マイナー厩舎に年に数勝の地味な主戦騎手など寺山修二的
魅力も重なり私も含めてファンは多かった
表舞台に躍り出た72年秋の菊花賞前後では当時まだ3連系
馬券がなかったため収支で貢献してもらった記憶はないが
タイテエムなど並みいる強豪を相手に見事な健闘ぶりだった
馬券といえば翌73年3月の中距離特別
久しぶりに相手が2枚も3枚も落ちる条件戦に出走してきて
既に大ファンとなっていた私は断然1番人気の単勝に
大枚はたいて勝負したがなんとミホプリモスにあっさり負けて撃沈
その時追い込み脚質のポカの怖さをしみじみ知ったことで
今でも競馬を続けていられる教訓とした気がします ゴールドシップ(以下ゴルシ)以上のきまぐれ馬、くせ馬というのは、たしかにいないと思う。
それは、変な言い方だがゴルシがかなり真面目に大レース=G1タイトルを集めているからだと思う。
結局G1レースを6勝しているわけで、まじめな優等生ともいえる。
過去の、たとえば昭和の競走馬では、くらべられる馬がいないという結論。
ニットエイト、上にも書いてあるけどカブトシロー、エリモジョージ、ラファール(これは少し余計だった)
どうみても、ゴドシの方があぶない。こいつらが束になって戦って、やっと釣り合うんだろうか?
ならば、歴代顕彰馬と比べれば、どうだろうか?あれ?ミスターシービー、シンボリルドルフって
おかしくない?おかしいですよね。ゴルシとか、足元にも寄れなくない?オグリ、オペラオーとかウオッカも 自分はテレビで昭和45年(1970年)のAT(TA)対決をみて競馬を見るようになった。
A、すなわちアローエクスプレスの名前の方がかっこいいと思っていた。
大橋巨泉氏は古馬になればアローエクスプレスもどこかの2400mのレースも勝てるようになるかしれないが、
ダービーでは難しいといっていた。
そのころから「世界の名馬」を読み込んでいた。あまりに読み込んだせいで自分の文章のお手本になった。
馬券を買うのはもっと後になる。テレビを見て、本を読んだり、雑誌をあつめ、血統を調べたり、
週刊の競馬報知と月間の優駿を愛読。海外の話ばかりで恐縮だが、むこうのレース結果や出来事を知るには、
雑誌が頼りだった。これはF1などの自動車レースも同じ。サッカーだけは三菱ダイヤモンドサッカーがあった。
あとは、競馬ではフジテレビで海外の話題が放送されていた。
ミルリーフの骨折と治療とか、ブリガディアジェラルドの敗戦とか。
シリウスシンボリが出走した凱旋門賞のとき、珍しく、というか久しぶりに実況放送があった。
ベーリングに期待したが、ダンシングブレーブに強靭な差し脚に屈したのが残念だった。
ただダンシングブレーブが英国ダービーで負けたというのは、優駿で知ったと思う。 セクレタリアト、フィーリッユプレジャー、ちょっと置いて間にフォアゴー
シアトルスルー、アファームドアリダー、スペクタキュラービッドが跳梁跋扈した
70年代のアメリカ競馬は熱かった
中でも1978年ジョキークラブGCのシアトルスルーとエクセラーの死闘は
凄かったラビットに翻弄されて直線バテバテのシアトルスルーが
楽勝と思われたエクセラーをアタマ差まで差し返したのは
鳥肌がたった
思えば日本もハイセイコーからキタノカチドキ、カブラヤオー
TTGと熱い世代が続いた
カブラヤオーの狂気の先行策はシアトルスルーに通じるものがある
TTGと >>689
私も、山野浩一さんの事典は検討に欠かせない物だった
血統と言えば山野さんか白井透さんだったか
雑誌は優駿と、毎週のは緑の競馬ブックか「馬」を買ってたかな
一番楽しみだったのは四季報、しかもオープン馬には解説コメントが付いてた
ギャロップはずいぶんと後からだね 週刊「馬」には若き日の井崎脩五郎の巻頭硬派コラムがありましたね
まさかお笑い系競馬評論家で今日の地位を築くとは
誰も予想していなかったのでした >>692
井崎さんは特異な才能があったから成功した
「馬」といえば笹川忠さん、いつ亡くなったんだろう
ダービーニュースの伊藤友康さん、どうしただろうか 関西だし井崎さんのことを詳しくは知らないけど、九州の新燃岳が爆発した時にちょうどサンケイでコラムを連載してた 「昔シンモエダケという馬があた」同じようにシンモエダケのこと思い出してたので、ちゃんと書いてくれたとうれしかったな 評論家も様変わりした
まあ、代替わりして不思議ではないが 国会図書館デジタルコレクションに登録したら古い書籍が見られる
競馬の本もたくさん見られる キングスピードの主戦騎手の川越胖の末路は蒸発という形で廃業