◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
歴代の名馬・名勝負をまったりと語るスレです。
(競馬に関する事なら何でもOK!まったりと語ること)
※過去・現在の名馬を比較しての最強論争は極力お避け下さい。
前スレ
◆懐かしの名馬・名勝負スレ15◆
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/uma/1419611622/ >>61-62
>>60に挙がってるのは
山本慎一さんではなく、
その令息のほうでは? >>62
ならば、馬主暦は60年程になるので、多分最古参の馬主さんですね。 金曜日の新聞に、新橋遊吉氏の訃報が掲載されていました。
競馬小説の第一人者でしたが、もうご存知の方は少ないのではないかと思います。
古い時代の競馬を知る書き手が、本当に少なくなってしまいました。 この間、中山GJのパドックに小林百太郎さんがおられたようですが、小林さんも最古参級の馬主さんじゃないですか? この方も古い馬主さんだと思いますが
ニホンピローエースやニホンピロムーテーはお兄さんの小林保名義でしたから
百太郎さんも昔から単独で馬を持たれていたのかはちょっと記憶にないです
ニホンピロと言えばいつの時代にもコンスタントに活躍しているイメージで
もしかするとニホンピロを買い続ければ馬券も黒字かもと思わせられます ニホンピロの冠名では
なぜか、ムーテーの弟のニホンピローレオが記憶に残ります
兄貴そっくりの豪脚を使うのに、大成しなかったですね
同じような印象では
ヒデカブトとヒデハヤテの下の、ヒデツルギもそうでした >>67
カネケヤキが勝った桜花賞で落馬したニホンピローは、百太郎氏の持ち馬だった
様な記憶があります(成績公報で名前を見たような・・・)。
少なくとも70年代前半には個人馬主として馬を持たれていた筈なので、最低でも
50年近い馬主暦でしょうね。 (>_<)😢⤵😹⤵😹
【競馬】スペシャルウィークの突然死に武豊もビックリ「一生忘れられない馬」
http://www.hochi.co.jp/horserace/20180427-OHT1T50194.html
【競馬】死んだスペシャルウィークに手掛けた白井元調教師「ぽろぽろ泣いてしまった…」
http://www.hochi.co.jp/horserace/20180427-OHT1T50208.html ニホンピローの小林保氏は大阪在住でしたが、ご自身か親族の方が
霧島牧園の牧場付近で、旅館を経営されていたようです
牧園には、あのマーチスが種牡馬として繋養されました 勘違いかもしれませんが牧園にはテイトオーもいたんじゃないですか
大崎にはオートキツがいてキングスピードを出したんでびっくりってとこで
戦前の国の鹿児島種馬所が大崎の家畜改良センターで
鹿児島県種馬場が牧園牧場ですよね キングスピードやミヤジマレンゴぐらいの馬が
最近は出てきませんね
ミヤジマレンゴは、パーソロンの九州産馬として話題になりましたね
トウショウボーイとがっぷりのレースをしたときは、感動しました ミヤジマレンゴは浦河産のフォルティノ産駒だったかと思います。
パーソロンの仔ではジンムホマレが、確かクリオンワードと同開催で
新馬勝ちして話題になった記憶があります。
九州産で頑張ったなあと思うのは、ケンセイグットとかフェロースピードですね。
古馬になって伸び悩む九州産馬が多い中で結構息長く活躍したと思います。
ユメノセテコウユーも期待したけど脚元が弱かったですね ゴールドイーグルが延岡だったと思います
大井から名古屋へ行きましたが第1回中央競馬招待で圧勝の凱旋
馬券を求める人で競馬場がパンク状態になり発走が30分以上遅れ
あの頃の大井としては奮発したせっかくの競馬中継が発走前に終了
あんな時代はもう二度と来ないんでしょうね >>77
日高のフォルティノ産駒でしたか。失礼しました
確か、九州産で、わざわざパーソロンに種付けした馬もいましたね。
何だったか? >>79
ケンセイソロンでしたね。兄のケンセイグッドはS56年日経新春杯を勝ちました。
ミヤジマレンゴは様似で種馬になった後鹿児島に移り、繋養先の牧場が静内に移転
したのと同時に再び北海道の地に戻りました。 >>80
そうでしたか。ありがとうございます
歳ですね。これだけ記憶違いをしていたら、もしかすると
競馬好きの後輩に、かなりウソの昔話を教えてきたかもしれません 今日のダービーで、遂に福永祐一騎手がダービージョッキーの栄冠を勝ち取りました。
思えば、福永洋一騎手が、カンパーリで乾坤一揆の追い込みを見せながら僅差の3着
になって今年で40年、あの時「洋一がダービージョッキーになる日は近い」と思って
いましたが、まさか最後のダービーになるとは、夢にも思っていませんでした。
祐一騎手の「福永家の悲願」という言葉は、当時を知る自分にとっても、同じ思い
でした。馬券こそ取れませんでしたが、今日は本当に嬉しい1日になりました。 福永洋一騎手の最後の重賞勝ち馬は、ニホンピロポリシーだったかなと思い出しながら、
ふと気になったのが、「ニホンピロ」の小林百太郎さん、一時期「ナルタキ」の冠名
を使っていた様な・・・
誰かご記憶ないでしょうか? 洋一さんを思い出しますね〜
エリモジョージの有馬記念、4角先頭で外を見るから余裕かと思いきや、ズルズル後退w
インターグロリアのマイラーズカップ、後200過ぎても追わないw早く追えよとイライラしてたら猛然と追って1着
ツマランことを思い出しましたw >>87
確かにそうなんですが、88でも触れられているインターグロリアが勝った78年の
マイラーズカップの映像を見ていて、4着に入ったナルタキサンダーの勝負服が、
小林百太郎さんの服色に見えたのと、他にも居た様な記憶があって、気になって
います。 >>89
調べてみたらナルタキサンダーは旧4歳の初戦まで武村氏で
2戦目から小林百太郎氏になってました やはりそうでしたか。何か訳ありだったんでしょうね。 サルノキングやダイアナソロンで知られる中村好夫氏、亡くなられましたね。 現役騎手の頃から中村厩舎のコメントは大辻さんが出してたと思います 中村先生の弟子、牧田和弥厩舎のアンドリエッテがマーメイドステークスを制覇。
弔いの勝利、という処でしょうか。 >>94
元騎手の大辻助手でしたっけ。元々伊藤勝吉厩舎の人だったかと思います。
かつては、どの厩舎にも番頭格の助手が居て、色々取り仕切っていましたね。 ここの本題からは少々外れますが「国立国会図書館デジタルコレクション」というサイトで
http://dl.ndl.go.jp/
競馬で検索すればいくつか古い資料を見ることができます
↓は「全国騎手所属厩舎別 附・全国競走馬厩舎別 昭和11年版」という大昔の書物ですが
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1025928
旧阪神競馬場(鳴尾)のコース図が載ってたりします
ここの皆さんで興味ある方は一度ご覧になってみては ゴール後騎手がハデにガッツポーズするのはいつ頃からでしょうかね
昔は見なかったような
あれあんまり好きでないんですよ
ハギノトップレディの伊藤さんは桜でやってますね
馬の首をポンポン軽く撫でるように叩くのが良いんですね
「よく走ったよ!」
宝塚のカツアールの樋口さんみたいな感じですね >>75
テイトオ−は岩川(九州種馬所)にいたような記憶があります
そのあと宮崎大学に寄贈されたと思います テイトオーは岩川でしたか
ダービー馬だから競馬会が買って軽協へ寄贈って流れなら
当然岩川ですよね、すると牧園に居たのは何だったんだろう
ムオーは綾だったかな、とにかく宮崎県でした >>101
星川厩舎にいたタケノヒエンとゴールドシチーも宮崎大学でしたね。 相前後の不確かな記憶ですが
綾にはニットエイト 大崎にはサトヒカルだったかな
それにしても
延岡 綾 大崎 牧園とかよく覚えてられるますなあ マーチスも牧園にいました
確か、「霧島温泉下」とかいうバス停の近所
その国道に面しているパドックにいたかな どんな人でも競馬で確実に勝てる方法は、「草浜ゴマキの競馬必勝マニュアル」というHPで見られるらしいです。検索すると分かりますよ。
A2S91 >>104
サトヒカルと言えば、コダマも晩年は九州でしたっけ? 当時は、青森が比較的馬産なところだと聞きました
アサカオーが確か青森だったと思いますが
産駒のデビューはあったのでしょうか × 馬産なところ
◎ 馬産のさかんなところ
失礼しました アグネスデジタルは名馬だと思う
3〜6歳全てで芝ダート距離関係なく中央G1に勝利してるんだけど詳しく書いてみる
3歳時に古馬混合のマイルCSでコースレコード勝ち、
4歳時の秋天で時の最強馬に完全勝利、
秋天前に地方でもG1に参戦して勝利、秋天後に香港まで遠征しそこでもG1を1勝
5歳のフェブラリーSの勝ちタイムは当時のコースレコードと0.1秒差でレースレコードで勝ち、
もう終わったと思われた6歳時、安田記念にてコースレコードを0.7秒も縮めるタイムで勝利
名馬の定義は色々あると思うけど、俺はこんな馬こそ名馬だと思う コダマは最後の2年だけ鹿児島の吉永牧場でした
供用していたかどうかは?
その最初の年に「なぜか」見ました
まだ元気そうでしたが
厩舎の2階に東京優駿のカップ とかレイとか写真が飾られていました
次の年に死んだと思います
しかしあの記念品はどうなったんでしょう
吉永牧場は確か吉永吉人騎手の血縁の方と思います 晩年、コダマの仔は九州産新馬で出てきていました
まだ若いのに九州送りか・・・なんて思っていましたよ。
タニノムーティエも九州で種牡馬やってた時期がありました。
後に十勝の鹿追で生を終えたのかな。 タニノムーティエ、静内→鹿児島→十勝を経て最期は生まれ故郷だったはずです。
ビゼンニシキも最期は鹿児島でしたね。
鹿児島の馬産関係者から三顧の礼をもっての鹿児島入りでした。 今年の2歳、ヘリオスやチェスナットバレーが復活しましたね ヘリオスといえばイナボレス。オールカマーの印象が強烈だった。
確か準サラブレッドでしたね。 >>116
イナボレスは準サラですね。今ではまず聞く事が無い競馬用語になりました。
ヘリオスは、殆どのレースで大久保正陽騎手が乗ってましたが、エリモジョージが
勝った天皇賞にはイナボレスも出走していました。後年、レースビデオを見ながら、
大久保調教師が現役時代に乗っていた馬の、それほど多くない産駒がレースに出て
いるのは、感慨深いだろうなぁと思ったものです。 >>117
アラブ血量が25%未満の馬を準サラと呼んでいましたが、S49年にサラ系に統合されました。
大井A1のゴーディーがこれに当たります。
イナボレス、ナポレオンが徳川幕府に寄贈したアラブ馬の末裔でした。引退後は東京競馬場の
誘導馬でしたね。JRAのCMにも出演しました。
>>115
現2歳、ロシアンブルーも復活しましたね。
先代はS60年七夕賞&新潟記念を連勝したローカル巧者でした。 イナボレスの稲富氏は筑後から出ていた民社党の代議士でした
筑後は馬産地じゃありませんが育成地としては西日本の最高峰ですね 馬名の復活は、最近特に増えた気がします
ロードエース、ジョイフル
ヤマピットの忘れ形見のボージェストは、今度は牝馬ですか >>118
今日、七夕賞の日に福島でロシアンブルーが出てましたね。
残念ながら殿でしたが。 今日の福島競馬場のファンファーレ、オールドファンには懐かしいものでした。
次は、京都競馬場で、かつてのファンファーレが聴きたいですね。
>>120
ヒダロマンなんて、先代(?)は牧場名が冠名だった馬なので、まさか復活するとは
思いませんでした。 ボアソルチなんて、先代は牧場で生まれた時から追いかけていた
牡馬だったけど、今走っているのは牝馬だもんな。 >>122
GT級勝ちのヒダロマンやゴールドシチーがOKなら
昭和の馬なら、よほどの著名馬以外は全部復活できそうですね
イットー、レデースポート、カバリダナー、キシュウローレル…
こんなのが復活すればあんまりです
歯止めのルールが必要な時期かもしれません ヘリオス
いつの京都記念だったか
なぜか家族で淀へ
芝生にシートを敷いて見ました
ギリギリで逃げ切り
そして最終は繋駕速歩
枯芝に夕陽
その父も・・・
まだ95歳で毎週中継だけ見てます ペガサスも復活しました。
先代は92新潟3歳Sと93福島記念を勝ちました。 >>124
キシュウローレルとイットーは勘弁して欲しい。この2頭の名前を聞くと、あの
悲劇の京都牝馬特別を思い出してしまう・・・
>>125
もし宜しければ、ほかの馬の思い出もお聞かせいただけたらと思います。
繋駕速歩のレース風景なども・・・ ヘリオスというと2015年生まれのアメリカの馬が Helios17 らしいので2016年生まれの
オルフェーヴルの仔は18頭目かな 日曜日の函館10Rで、「アグネス」の渡辺さんの一族の方がお持ちの馬が出走して
いました。服色も以前の「アグネス」の勝負服と同じでした。
持ち馬を全て売却したと言う話を聞いていましたが、何頭か残していたのか、或いは
ご一族のだれかが新たに馬主になられたのか、ちょっと気になります。 ひとつ思い出した話があります
ダイナナホウシュウの厩務員さんは飯原農場からこの馬を連れて来た牧夫さんで
ダイナナホウシュウが引退すると厩務員を辞めて元の農場に帰られたそうです ダイナナホウシュウ
最後は熊本の大津産業高校馬術部(移転前の旧校舎)
それも近所の子供たちの遊び相手
すっかり大人しくなっていたとか ダイナナホウシュウは、志摩直人がとても肩入れしていましたね
大川慶次郎は、アローエクスプレス一辺倒でした >>129
渡辺公美子さん、おそらく御親族でしょうか。
数頭は所有されておられるのでしょうね。 >>124
南関東にはカミノスミレも。
先代は目黒記念を勝ち、3200m最後のS58天皇賞秋で2着でしたね。 >>132
志摩直人さん,初代 森乃福郎さん、松本暢章アナ、3人とも故人か。 フジの鳥居アナも、ハイセイコーのころに実況を降りて
やがて見かけなくなりました >>136
フジテレビ開局の際に文化放送から移られた方でしたね。 大川慶次郎さんが好きな馬
ミツハタ、メイヂヒカリ、アローエクスプレス、ミオソチス 関東と関西はクラスがひとつ違う
頭数が一割多かったんですけどね
ライデン、ハクズイコウが無事ならシンザンなんかと言ってました 大川慶次郎さんが嫌いな馬。
シンザン
一度も◎を打つことはなかった。 石崎欣也?さんは有馬記念のレース回顧(優駿)で
シンザンのようなスピードのない力馬は日本独自で
欧州あたりでは通用しないとか書いていた記憶
しかし菊、秋天、有馬を見ていると相当外目を回って
さらに上がり3ハロンはかなり早かったと思います。
最近目にする欧米のレーススタイルに近かったのではと シンザンの子が走り出してみると大半がスピード型でしたからね
武田文吾師が 「そうだったのか、済まなかった」 と謝ったという話もありますし
ダイコーターやリュウフォーレルの子にもスピード型が多くて
ヒンドスタンは決して当時考えられていたようなスタミナ型ではなく
長距離偏重の時代に能力で大レースを勝っていたんでしょう >>142
リユウフオーレルに、産駒はそんなにいましたか?
リュウファーロスなら何頭かわかりますが >>143
グレートライナーは目が覚めるような快速馬でしたよ >>142
大半ってシンザンの仔でスピードタイプというとスガノホマレ、シルバーランドくらいだろ。
ミホシンザン、ミナガワマンナ、グレートタイタン、キャプテンナムラらステイヤータイプもかなり出ている。 >>145
ミナガワマンナもキャプテンナムラも超よりをこなしたスピード馬だと思いますよ >>146 自己レス
超よりってひどいですね。長距離の打ち間違いです。
補足しますと
私が考えるスピードタイプというのはスプリンターやマイラーではありません
距離の長短には関係なく、時計が速くなると強い馬のことです ヒンドスタンは確かに、輸入当初はマイラーと言われていたようです
パーソロンも、仕上がり早やの三歳血統という扱いでしたが
メジロアサマ辺りから、評価が一変しましたね
決めつけは出来ないけど、大まかな特性は確実にあると思います
テスコボーイなどは、ホクトボーイやインターグシケンがいなければ
マイラー寄り種牡馬の扱いだったでしょう パーソロンもテスコボーイも2400ですら長いと言われてましたね テスコボーイ系を残すためにもビッグアーサー,グランプリボスはいい子を出してほしい。 チャイナロックは不思議な種牡馬でした
自身は栗毛なのに産駒は鹿毛に出るとよく走る
栗毛ではメジロタイヨウくらいで オープンクラスの活躍馬は、種牡馬が東西にやや隔たりがありましたね
チャイナロックやパーソロンは、圧倒的に関東馬
ネヴァービートやシプリアニは、関西馬が多かった
ヒンドスタンやテスコボーイのようにリーディングを続けるような種牡馬は
さすがに東西まんべんなく活躍馬を出しました 直線の坂が関係あるんですかね
最後の一踏ん張りが効くか効かないか 地域によるんじゃないでしょうか
昔は各地に親分のような人がいましたから
水田から転向した生産者なんか販路をもっていませんから
離乳後は地域を仕切っている人の育成場に馬を贈ったので
特に三石より東は関東の調教師さんは行きたがらないですし パーソロンの仔はほとんど関西に入って来なかったな。活躍したのはダイアナソロン、アグネスホープくらいか。 アグネスホープ
大川が「これはダービー云々という馬じゃない」とかいってたな 海外の競馬小説を読むと、大富豪の馬主の息子が身を持ち崩して
幼い頃から馬に乗っていた経験を生かして調教師になるというケースがあるようです
自分が生まれ育ったお屋敷に住む馬主のためにそこの厩舎に住み込んでるとか
日本で身を落としたと言えば競馬評論家でしょうか
本来なら自分が馬主としてダービーを争うべき身分だった人たち
大川財閥の御曹司大川慶次郎氏と沖縄の王族宮城昌康氏 明治時代の競馬では、馬主自身が騎乗してレースに出た事がありますし、日本競馬会
になってからも、馬主が馬で身を持ち崩して、競馬会職員になった例もあります。 書き間違い。改めて
>>159
昔、関東で発売されていた「競馬新報」という競馬新聞は、総会屋で有名だった「上森子鉄」が社主でしたね。
一時期、日本競馬新聞協会会長でもありました。 上森子鉄がさっと出てくるとはたいしたもんです
知ってる方も少なくなりました