◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
前のレスのホクトで思い出した マイルCCでオグリバンブーの180円は安すぎるとホクトヘリオス買ったが案の定負けた この間
九州産馬が新馬を勝ってたけど
生産者の土田さんって先代は熊本の西合志あたりにいたかたかな? TTGの揃い踏みの宝塚記念の杉本氏の実況ってないんですか? >>476
無いですね〜
そのせいか、数多あるテンポイントの映像でも宝塚記念は挿入されなかったり… やっと書き込めるようになりました
ゴールドシチーに続いて、スターマンも2世が今日走っていました
馬名審査の基準がよくわかりませんが
この分だと、昭和の名馬もどんどん持っていかれそうですね 昨日はスマッシャーもデビュー
先代と同じように逃げましたが最後はつかまり5着
尻尾は振ってくれませんでした ミホノブルボンの三冠を阻止したライスシャワー!
メジロマックイーンと武豊をレコードタイムで負かしたライスシャワー!
長く辛いスランプ後に春天復活したライスシャワー!
そして宝塚で散ったライスシャワー!
今でも動画観ると泣けてきそうです、小さな馬体であんな力強い走りが出来るなんてライスシャワーのような素晴らしい馬がまた出て来て欲しい…。 >>481
リアルシャダイの後継としても生きていて欲しかった馬ですね その結果は12月か新年号の「優駿」だったな
その年のハンデでシンザンは確か14ポンド差だったかな そういえば
ブッシャンとかいうのがいたな
大川がよく推してたかな netkeibaで中央なら結構昔の無名馬の記録も載るようになって結構経つけど
暇なときに見ると新発見があって面白いですね。
ニジンスキースターのデビュー戦、すずらん賞1番人気は憶えてるけど
坂井千明だったんですね。(当時はペーペーのイメージ)
ロングホークが人気薄で勝ったのは憶えてるけど単勝50倍以上だったとは。
あとタイプアイバーの競走成績が思っていたよりひどかったです。 オンワードアゲインという馬の4年近くの休養にも見捨てられなかったのが印象深い 杉本さんはゴルフ中継だったと思います、TTGの宝塚記念。
失礼ながら代わりの鈴木敏郎さんの実況が抱腹絶倒。
「アイフルはじっくりと三番手、これは作戦か!」
・・・三角手前から前のトウショウボーイとテンポイント二頭のぺースアップに
ついていけないだけやん、必死で追いどおしですよ アイフル天皇賞馬なのに、
有馬でTTに1,2決められて以降
格下感が TTの強さを証明してくれたのがグリーングラスだな
最後の有馬記念とか 昔、延岡種馬所というのがあって
カブトシローを見に行ったことがある
最近、地図をみてもどこだったかわからなかった
ある方の旧競馬場あとという記録を見ていて
延岡にも競馬場があって何か所に移転したとあった
そのなかに「塩浜」という名前が
延岡種馬所は「塩浜」と記憶していた
地図をみても全く分からなかった
ところがグーグルアースを見ると!!
畑や田の中を長円形の走路あと、かなりの幅でそのまま残っている
そのあたりのストリートビューと当時撮影したカブトシロー
の背景を見ると間違いない
ほとんど原型が残っている希少な例と思う カブトシローが延岡で種馬になった際にタカクラヤマが処分されたらしい
名種牡馬なのに悲しい末路 >>493
確か最後は蹄葉炎だったと記憶しています
それと時期的には離れていたような気もします
地図だけで探しているときなかなかわかりませんでしたが
確か昔はすぐ近所に「屠殺場」がありそのそばを通って
種場所に行きました
そこが現在「食肉センター」になっていたこともヒントになりました
タカクラヤマは蹄葉炎で最後どうしようもなくなってそこに曳いていったとか
世話していた方が「あれはかわいそうだった」と言ってました 新馬のファイアダンサー
桜花賞で人気になったファイアーダンサーを思い出しました >>491
それにカシュウチカラ
いかに他世代を圧倒してたかの証左 あの世代は違う馬で有馬を3連勝して、天皇賞もカシュウチカラとホクトボーイも合わせて4勝したんでしたっけ? 有馬は2連勝後1年置いての計3勝でしょ
3連勝はイシノヒカルの世代だと思います >>498
あの世代は、トップクラスが故障馬だらけなのに
よく有馬3連勝できましたね。よほど層が厚かったんでしょう
ヒデハヤテ、トモエオーはクラシック前に故障
ロングエース、ランドプリンス、イシノヒカルは古馬戦線にほぼ登場せず
タイテエムは宝塚記念、ハマノパレードは高松宮杯、ハクホオショウは天皇賞で
それぞれ故障発生というありさま
かのタニノチカラも、2年のブランクからの復活でした >>500
タニノチカラの存在は大きいですね
ただクラシックを争った馬たちはリタイアが早く天皇賞の勝ち鞍はテンポイント世代に及びませんでした タニノチカラは最後まで内田浩一が乗ってたマックイーンみたいなもんだな
騎手が一流なら秋天後の有馬も勝ってそのまんま海外行ってたかも タニノチカラが北海道で復活したとき
「あれ?この馬ってまだ抹消してなかったの」って思った。 >>501
リタイアが多かったのは、今にして思えば
七夕ダービーの日程による影響だったかもしれません
4歳夏の成長期に充電期間が短かったため、古馬になって反動が出たのかも
クラシック戦線の激走とは無縁だったタニノチカラやストロングエイトは
結果的にそれがいい結果になったとも思えます ハクホオショウは休みなしの使い詰めが最後の最後に響いてパンクしたのかね
ナオキ、快速スガノホマレ、走る精密機械トーヨーアサヒ、旅芸人ノボルトウコウ、走る労働者イナボレス
この辺りも全部同世代だからいかに層が厚く個性派まで揃ってたかがよく分かる タニノチカラは走る哲学者?ここまで来ると意味が凡人にはわかりませんね
騎手の田島さんは有馬の前に天皇賞の前の目黒記念でもやらかしてますね
三角半ばから捲って失敗と聞きましたが、このレースは見れてないんですよ >>504
朝日チャレンジカップは嬉しかったですね タニノチカラの引退式のパネルをずっと
部屋にかざってました。
古馬の総大将感が凄かったなぁ。 タニノチカラと聞くとマイラーズCのカチドキとイットーとの叩きあいを思い出します
明らかに距離不足でも一歩も引かず タニノチカラが圧勝した有馬記念はハイセイコーが長距離(2500m)でタケホープに最後の最後に意地を見せたレースの印象が強すぎて、タニノチカラが可哀想 昨日定食屋で夕飯、スポーツ報知に矢作厩舎の池田康宏厩務員さんの記事
お父さんが競馬関係者で、中学二年に仁川で観戦した朝日チャレンジカップ
タニノチカラの鞍を手渡されたそう
その感激で今の職に就かれたとか まだ小学生だったが昭和52年の有馬記念は今でも忘れられないな
あんな競馬今じゃ絶対見られないし ナイスネイチャ、ロイスアンドロイス
ホッカイルソー、ホクトヘリオス
連勝式しか買わない俺には
コイツらに何回損させられたことか >>507
あの首を低く下げたフォームからの連想ですね
関西TVに出演されていた志摩直人さん命名だったかな >>514
レースもさることながらそこに至る過程もすごいし、その後にライバルが奇跡の勝利を掴んだりとか歴史に名を残す三冠馬の父となるとか
三冠三頭のJCも確かにすごいが、そこまで深い思い入れがこの先あるかと言われれば、、、 トウショウボーイとグリーングラスのプライドを賭けた秋の天皇賞の鍔競り合いも鬼気迫るものでした >>519
1着2着のホクトボーイとクラウンピラードは、春も3着2着
長距離では安定勢力でしたね
あの凄まじい世代での成績ですから価値があると思います
クラウンピラードは、ナオキのサウンドトラックから父が変わると
こんなにもタイプの違う馬になるのかと驚きました トサミドリ
トウショウボーイ
ウイニングチケットオイスターチケット
母系の血が爆発 今朝何気なく朝刊見てたら、ホソカワミクロンの社長交代の記事
30代の細川さんだってね
総帥のお孫さんかな
マチカネ軍団が懐かしいね 細川氏の数少ないミクロン冠馬のミクロンテンローは人気通りか人気より上位に来る
不人気馬(馬券的に)として有名だった。
抽選馬だったのも人気にならない理由の一つだと思うけどひょっとして抽選馬を
ミクロン冠にしてるのかと思ったけど違ったみたい。 >>518
今改めて「テンポイント」に関する書籍や記事をまとめて読み返してみる
その出生と生涯に感慨深い
そしてその成績に「もしも」2頭のライバルと違う世代に生まれていたら…凄まじい戦績を残したであろう事に気付き鳥肌 >>526
夏競馬と言えば、夏村厩舎の「トコナツ」。 ジャブリンだったかな!? >>527
私だったら夏村厩舎ミヤジマレンゴ 夏の小倉の印象が強い >>527
ロッコーイチにキヨリューズキ夏の小倉も個性派揃いでしたね
キヨリューズキはしっぽが…一目みた時
あれ?なんか変…この馬って このスレでもたまに名前が出て来る、キシュウローレルの主戦だった梅内忍元調教師、
2019年9月10日に亡くなられていたそうです。
騎手時代は減量に悩み、調教師になってからも大病を患ったりしていましたが、
調教師引退後は、娘さんの栄子助手の担当馬や弟子の騎手たちの活躍を楽しみに
していたとか。 梅内さんは桜花賞のゴール時の首をガクッと垂れたのが印象的です
合掌 >>531
梅内さんと言えば
なぜかファインクローバーが思い出されます 梅内師は、騎手時代の旧姓が榎屋でしたね
久保敏文は、旧姓古賀
伊藤清章は、上野
騎手の場合、入り婿より養子縁組の改姓が多いイメージです 菊が阪神でやるのってハシハーミットとハシクランツの馬主どんぶり以来? 関東の障害馬でかなり強かったバスターの事件を思い出しました。 1968年の天皇賞・春は高峰三枝子さん司会のフジテレビ3時のあなたの中で中継され、ヒ
カルタカイのぶっち切りレースを見ました。ちなみに泥んこの3000m東京大賞典でヒガ
シジョオーに負けたレースもリアルタイムで見ましたよ。 >>536
最近は、女婿になって苗字が変わる例はなくなりましたね。
舞原⇒松永昌あたりが最後かも。。。
>>543
関テレも、1968年まではキネコの白黒録画しかないですね。
録画を見る限り、ブラックボーダーが出ていないので、放送時はカラーだった筈。 天皇賞史1になかった1968年の天皇賞秋を初めて視聴したな
ヤマピットの大逃げは印象深かった 火事で店仕舞いの吉田牧場
最後の世代の1頭が今日船橋で大差でデビュー勝ち
気は早いが南関でもいいのでクラシックに乗ってほしいところ
ジネヴラの母系でワカオライデンも入っているいかにもそれらしい血統
https://db.netkeiba.com/horse/ped/2019105623/ >>536
大沢調教師と諏訪真調教師が同一人物だったと、つい最近まで知らなかったw アカネテンリュウが人気してた50年前の秋の天皇賞を勝った「トウメイ」 >>555
トウメイの産駒テンメイは藤沢調教師の実家が生産した馬で、その父ルイスデールは超良血馬である事を最近知りました。
父Right Royalは仏2000ギニー、仏ダービー、Kジョージの勝ち馬で、母Rossellinaは伊1000ギニーの勝ち馬で、大種牡馬Ribotの全妹。 >>555
トウメイの産駒テンメイは藤沢調教師の実家が生産した馬で、その父ルイスデールは超良血馬である事を最近知りました。
父Right Royalは仏2000ギニー、仏ダービー、Kジョージの勝ち馬で、母Rossellinaは伊1000ギニーの勝ち馬で、大種牡馬Ribotの全妹。 >>555
トウメイは天皇賞秋の後に有馬記念も勝利したが、有馬記念は牝馬の勝てない時期が非常に長く続いておりトウメイが11年ぶりの牝馬の勝利だったし、その次に有馬記念を牝馬が勝ったのは実に37年後のダイワスカーレットだった。 >>557
牝系にはもうほとんど残ってないとか
淘汰とはいえ悲しい >>553
エリモイーグルってどんな馬だったかな?って調べたら1976年春の中山大障害でグランドマーチスの
5連覇を阻止した馬だったんだ。斤量差があったとは言えレコードタイムでの6馬身圧勝お見事だった ヘリオス
四白流星の栗毛馬だったな
大逃げも相まって今走ってたら大人気だったろう ヘリオスといえばやっぱりイナボレスだなあ
準サラだったけど勝負根性があって重賞も3つ勝ってたかと
他だとウキミドリもいい馬だった いいスピード持ってた >>552
先代の諏訪佐市師は栗東へ移る前は中京にいて
ワカタカの東原玉造師は晩年諏訪師宅に身を寄せていました
奥さんが東原師の娘だったようです 第二回宝塚記念は現存する最古の宝塚記念映像
ヘリオスの大逃げが見られる数少ないレース 「おおっと内からエリモジョージが先頭に立ったようです この馬に斤量は関係ありません 気分です」
五歳時泥んこの春天を逃げ切るももフロック視(四歳時シンザン記念を勝っていたが)
凡走を繰り返すも函館記念60k背負って7馬身レコード勝ち
京都大賞典は2番人気に56kで凡走
かと思えばとって返した京都記念で61kで8馬身日本レコードのおまけつき
その後1年沈黙(当時テンポイントと相性が悪いと言われてた)
六歳暮れ中京のオープンを珍しく差して勝つとまた覚醒
京都記念(60kで四馬身逃げ切り)鳴尾記念(2着ホクトボーイに62kで大差ぶっちぎり)
宝塚記念(グリーングラスに4馬身)と
これは本物だと思って雨の中京高松宮杯に全財産ぶっこんで殿負け玉砕
こんなクセ馬が印象に残ってます タケシバオー世代のライトワールドの頑健さを後世の人間は知るべし >>557
海外G1なんて世界一を決める凱旋門賞以外どうでもええがな
2000ギニーもKジョージもどうでもいい
凱旋門賞を勝ってるかどうかが最重要 ナリタブライアンも凱旋門賞は恐らく無理だな
G1勝利は旧馬齢4歳時のみ
古馬戦線で実績なし タケシバオーもライトワールドも淘汰された血脈だろう
この世界、産駒の競走実績こそ全てだぞ
それに足元の頑強さで言うなら、SS産駒は大抵足元が頑丈だ
その上スピードに優れ、ゴール前の叩き合いにも強い
気が荒くて乗り手を選ぶ馬が多い、腕のいいジョッキーじゃないと乗りこなせない、という問題はあるがね
SSの後継としてスペシャルウィークは順調な滑り出しだし、この血脈はしばらくは続きそうだ ノーザンダンサーの血脈は未だに強いよな
最近だと凱旋門賞2連覇のイネイブルって牝馬はサドラーズウェルズの3×2という頭のおかしい配合から生まれたんだが、
普通の配合をやっても結局は普通の馬主で終わり
名馬は頭のおかしい配合から生まれる
凱旋門賞2連覇と言えばイタリアのリボーという馬が昔居て、
当時天才と呼ばれていたフェデリコ・テシオというイタリア人ブリーダーの傑作だ
テシオも生前は相当の変人だったって話だな
血統の多様性を重視していて、淘汰されかけのクズみたいな牝馬買ってきて、何だあいつと言われつつもブリーダーとしてきちっと結果を出している 競争実績が天秋のみで血統も見たことがないから、とうの昔に淘汰されたサラブレッドだな 凱旋門賞制覇を狙うに当たって、絶対に欲しい実績が天皇賞春秋制覇だな
天秋はJC、宝塚記念、有馬記念あたりでも良い
クラシック三冠なんてどうでもいい
あんなものは所詮高校生の試合だし、早く仕上がった馬が勝つだけ
そこから伸びるかどうかは別の話
日本の馬主はド素人ばかりだから、東京の2400とロンシャンの2400が同じだと思っている
まず、洋芝と和芝の違いがある
洋芝は根が糸くずのようで、クッション性が高い
故に、脚元に優しい
欧米はともかく動物愛護のことにやかましいからな
ライスシャワーのようなことがあれば袋叩きだ
対して、和芝は根がガッシリとしていて、クッション性に劣る
故に、日本競馬を欧州に批准させるのであれば、和芝は芝のカットを少し長めにする必要がある
話がそれたが、洋芝はクッション性に優れるということは、芝に足を取られるということであり、スタミナの摩耗が激しい
加えて、ロンシャンの2400はスタートから第一コーナーにかけて10mほど登り、第二コーナーにかけて10mほど下っている
これもスタミナの摩耗の原因になる
中山の坂なんてのはせいぜい4-5m程度
あんなものは坂などという代物ではない
と、ロンシャンの2400のこの2つの事情を考えると、日本競馬であれば3000m級のレースである天春での実績は必須となる
天秋での実績はスピード能力の証明になる
オルフェーヴルは天春で実績がない
あの馬では何度挑戦しても凱旋門賞で勝てない
この条件に当てはまるのはスペシャルウィーク、テイエムオペラオーだが、当時は凱旋門チャレンジという時代ではなかったのかも知れない
ディープインパクトはかなり可能性が高かったが、まずは前哨戦のフォア賞を経由するという社会的常識を当時の日本競馬関係者は知らなかったのだろう >>574
スペシャルウィーク→ディープインパクト うーん
ディープインパクトの凱旋門賞の動画を見たが、残り600の直線でも、手応えは楽そうに見える
正気は十分にあった
敗因は、
1.道中で前に行き過ぎた
ロンシャンの2400の直線は長いのだから、道中は中団からやや後方で待機すべきだった
2.いくら武豊が日本競馬のキングとは言え、ロンシャンに明るいわけではない
凱旋門賞で実績のあるジョッキーに乗り替わりすべきだった
3.前哨戦のフォア賞で実戦感覚を掴んでおくべきだった
調教と実戦では身体の使い方がかなり違う
乗り替わりの問題もこの時にクリアできる
まぁ、馬自体には何の問題もない
運営が下手くそだったな
実質凱旋門賞のレベルだから、そりゃ種牡馬としても大成功だよな >>582
あれは一種のアクシデントだし、運が悪かっただけ
あれについては誰の責任でもない
それとは別の問題として当時の運営が下手くそだったって話
最後の直線でもあれだけ楽な手応えなら、やり方をキチッとしていれば凱旋門賞は勝てたと思うよ
事実として、ディープインパクトの時の凱旋門賞は8頭しか出走しなかった
凱旋門賞はエントリー料金が高い
早い話がディープインパクトを見て皆逃げ出したってわけだ オルフェーヴルの時は18頭だったかな?
他馬陣営はこいつが相手なら勝機はあると考えたんだろうな
何せ天春で実績がない
最後の直線で電池切れになるのは目に見えている
なんだけど、日本の馬主さんはロンシャンの2400のことをあまりご存じないようなんだよね
東京の2400や中山の2500と同じだと思っている
このへんで実績があるからGOだ!みたいな安直な判断したんでしょ 坂を下りてから1000mあるからね
下り坂で行き足ついちゃうと最後ガス欠になる
えっちらおっちら上って来たから馬は喜んで下る
そして日本人騎手は馬を抑えられない >>585
ガス欠の問題については天春で実績があれば問題はない
天春で実績が無いなら欧州G1はせいぜい2000mまで
オルフェーブル惜しかったとかコメントしてるアホをユーチュブでよく見るけど、
ラストの200で完全にガス欠の顔をしてた事が全く分かってない
俺はあれを見てオルフェーブルでは何度凱旋門賞に挑戦しても勝てないと思った
欧州G1なら2000mまでの馬だな
あとは第三コーナーを曲がった後のホルスストレートが嫌らしい
馬が最終コーナーだと勘違いしてスパートを掛けてしまうところを、しっかりと我慢させないといけない
この辺の勝手が日本人ジョッキーでは分からんから、凱旋門賞で実績のある現地のジョッキーに任せるべき
場数の問題はどうにもならない
普段からロンシャンに乗ってるやつのほうがどう考えたって有利 天春、天秋制覇ということなら、キタサンブラックも条件に当てはまるんだが、勝ち方が微妙なんだよな
一応は勝ったという感じの勝ち方で、ディープインパクトのように最後の直線でさらに突き放すような力強さが感じられない
先行、差しの脚質の問題じゃない
勝ち方に他馬を圧倒する力強さが感じられない
キタサンブラックが凱旋門賞は無理だな
明らかにレベル不足だ >>569
まさに洋一マジックですわ
しかしあの天皇賞のロングホークは久保さんに乗って欲しかったね
大賞典の大逃げ大楽勝でジリ脚の弱点を克服したからね 日経新春杯もサンケイ大阪杯も松田さんが乗って3コーナーあたりで差をつけた勝ちパターンを覚えただけに天皇賞の乗り方は疑問だわ
サンケイ大阪杯でもエリモジョージを早めに交わして戦意を挫いただけに4コーナーまで逃がしたのは作戦ミスだわ 天皇賞なんて田舎レースどうでもいい
アーリントンミリオンもキングジョージも興味ない
やはり凱旋門賞 ミホノブルボンのスプリングS、皐月賞、日本ダービーは素晴らしいな
逃げの競馬にも関わらず、直線で他馬をさらに突き放している
菊花賞はスタミナの都合上無理だったから、天春も無理、故に凱旋門賞も無理だが、
欧州のマイル〜中距離路線なら十分活躍が見込めた
日本のG1でこの勝ち方が出来る馬は、他にはディープインパクトか
キタサンブラックは今一つ印象が薄い いや待てよ
ブルボンは旧馬齢5歳での実績がない
旧馬齢3歳時の調教タイムが当時話題になったが、もしかしたらただの早熟だったのかも知れない
ナリタブライアンも人気が高い馬だが、G1勝利は旧馬齢3歳、4歳時のみであり、古馬戦線で実績無し
故に単なる早熟なので、凱旋門賞は難しいだろう ニホンピロの小林百太郎オーナーが亡くなられました
兄上の保さんとともに、長年にわたってファンを楽しませていただき
また、日高の生産者に多大なサポートを続けてこられました
ニホンピローエース、ニホンピロムーテーはともに浦河の辻牧場生産だったかと思います
ご冥福をお祈りいたします このピローは枕じゃなくて
ピローブロックの略なんだね >>593
ウイナーも強かったね
ムーテーはあの秋だけ以上に強かったわけですが、特に菊は洋一さんが天才と言われる所以となったレースですね
水玉の勝負服を思いオーナーさんのご冥福をお祈りします ニホンピロウイナーはキタノカチドキの甥っ子で
服部厩舎ゆかりの血統でしたね 服部ラッパ懐かしいです
ニホンピローエースはグッドルッキングホースとしても有名でしたけど
父母祖父母すべて鹿毛なのに栗毛に出たのはやはり母系の月友ーマンノウオーでしょうね
モンタヴァル産駒で綺麗な栗毛ということで寺山修二のお気に入りだったと思います >>600
エースまでなると名前だけ知ってるくらいですね
確か阪神か京都のレコードを持っていたかな 日本の田舎レースなんかクソどうでもいいって
凱旋門賞二連覇のリボーとかについて語れよ田舎馬主共 >>593
ニホンピロムーテーのころは、先代の小林保さんでしたね
確か中百舌鳥で市会議員をつとめておられました
馬産地の鹿児島牧園に親族がいたようです 古馬になってからのニホンピローエースは
浅見厩舎がシバハヤをぶつけて逃げを封じたので
苦戦した印象です 近い世代の個性派ダイイチオーも栗毛の流星馬だったな
天皇賞の大逃げとかアッと言わせていた 四日が寺山修司さんの命日だったんですね Gallopの復刻連載を楽しませていただいています
鴎は飛びながら唄を覚え、人生は遊びながら年老いてゆく
https://www.youtube.com/watch?v=HyCaBEfARnw ダービーの日
ユーチュウブで見れますね
洋一さんの元気な姿も見れる 中距離王者ヤマブキオーが好きだったな
もう中央で20勝上げる馬は出てこないだろう
秋天が今の距離なら確実に勝っていた
当時は古馬重賞戦線で1800〜2000ⅿで格の高い重賞は皆無
仕方なくオープンで勝ち星稼いでいた 最終レースがオープンという時代もありましたね
土曜だけじゃなく日曜も条件特別メインは珍しくなかった
何回勝っても条件に留まれる馬もいましたし キクノオーはフィダルゴ産駒らしく好調期が短かったな 関西ならフイドールですかね 正月の金杯から春の天皇賞の前まで好調だったけど、肝心の天皇賞からは全く走らなくった タカツバキの成績不振の原因となった日本ダービーの落馬 昨今の名馬と呼ばれる馬はローテーション重視か
クラブ馬の使い分けもしくは鞍上の都合で故障もしないうちに10〜15戦で引退しよるね
古くはイナボレス、トウフクセダン、ヤマニンバリメラなどビッグタイトルには縁がなかったけど年間10走以上9歳10歳迄走り続けた(ミスタートウジンは15歳)
無事是名馬こそ名馬であってコントレイルなど足元にも及ばないね キタノカチドキが欠けていた74年の有馬記念
いたらどうなってたかな タニノチカラが6馬身ちぎって圧勝したから
おそらく勝てなかったろう
あのレースは引退するハイセイコー一色で
ゴールした後まで「さらばハイセイコー」が流れて
田島日出男があきれていたなぁ >>614
それより正月のシンザン記念で圧勝してさ
これはと思ったけど
調べたら最後1ハロン15秒台だったな
ダービーでも坂下からちょっとの間 これは!と思わせたんだよ >>606
ダイイチオーにあったよ
引退後に熊本で種牡馬になってたんだよ
上水前寺の住宅街のハズレだったかな
せまいパドックみたいなところに引き出して
くれたんだけど
近所の人たちもこんなちころに馬がいるんか!
という感じだった >>621
ヒカルイマイ世代の皐月賞ダービーの2着馬は不遇だったな
バンライにハーバーローヤル
最期は草競馬で死んだ ヒカルイマイが無事だったら三冠取れてたかな?たられば言っても仕方ないが、タニノムーティエとこの馬が本調子で菊花賞に出て欲しかった あの時異常に強かったニホンピロムーテーと洋一コンビに勝つのは難しいかもね
タニノムーティエの方が4コーナー手前のまくりを見るとダテテンリュウ以下を差しきったと思うわ 昔の高知競馬で哀れな末路を迎えてる馬は多い
ヤマニンカツプ
ベル
ショウフウグリーン
ロングイチー
ライバフット
アータルオー
チェリーリュウ
モアーキャッスル
ゴールデンタテヤマ
無事乗馬になれたのはスリーヨークだけだとか TTGはやっぱり最強世代だと思う
この時代に競馬を見ていた人は最高だったろうな
https://youtu.be/RWx_iYcmhAQ
エリモジョージやクライムカイザーは運が悪かったな >>627
そんな感じもしなかったけどさ
ようわからんけど
エリモジョージは好きだったな
あとロングホークとかさ ピークを過ぎたロングホークと絶頂期のテンポイント
悲哀を感じたなあ ロングホークはジリ脚だったので久保敏文がせっかく溜め逃げ戦法を駆使して覚醒したけどあの時代の関東馬には通用しなかった
その後カンカン泣きして使えるレースが無かった
6歳春に猿橋が手綱を取って平場オープンで差し切った時は嬉しかった >>630
武邦彦と合わなかったのと謎ローテが理由だろうなあ ゴルシより、その凄い実績を霞ませる程の濃いキャラクターで知られる馬っているんですかね
あの馬、普通に歴代トップ10くらいの素晴らしい成績なのに、破天荒さばかり取り上げられてる気が。
名勝負みたいなのが無いからでしょうか。菊花賞のロングスパートとかCMにしてくれてもいいのに、JRAさん?
オルフェも破天荒だけど、流石にクラシック3冠の方がイメージ強い 記憶の確認ですが
「走る労働者」というニックネームはトウフクセダンに対して付けられたもので、厩舎の先輩イナボレスは後付けで初代扱いとなったのでは
トウフク旧齢5歳時の凄まじいローテーションに対して聞かれたときに大久保末吉調教師が
「馬も労働者だから自分の食いブチは自分で稼がにゃならねえだよ」
みたいに答えたのが初出だったと思います
イナボレスは謎かけで「天災」と呼ばれていた事も
そのココロは「忘れた頃にやって来る」 ミネマサはタカオーと比べて全く語られない
菊花賞でダイナナホウシユウを抑えての本命馬だったのに さすがにリアルでダイナナホウシュウは見てないが
志摩直人が好きだった馬のようで…
そういえば昔は八大競走のゴール後は
志摩直人の詩が流れてた ハクズイコウとコレヒデ
尾形調教師は前者の方が圧倒的に評価が高いのな
最も有馬記念ではコレヒデに保田騎手を乗せてるあたり現実的な面もあるな 引退後の
カブトシローに延岡であったこと
ダイナナホウシュウに大学馬術大会であったこと
一生の自慢だな カブトシローと入れ替わりで名種牡馬タカクラヤマが処分されたとか >>639
ちゃいます
カブトシロー来る前に蹄葉炎悪化でした 尾形藤吉一門って人材が無茶苦茶いるんだよね
確か河内師や武豊も尾形の系譜なんだよね
武豊が尾形会に参加してるという話は聞かないけどw 『日本の「騎手・調教師」体系図』山本啓二 競馬通信社 を物置から引っ張り出しました
ここでは調教師を19の体型に分類し、尾形藤吉氏は山島久光系となっていますね。 ネット黎明期はメルボルン二世とか南関診断士とかの優れたサイトが多かったな 吉田牧場って破産したの?
もう一度テンポイントに手を合わせたい >>654
ダルモーガンさんは、想像ですが園田の元調教師の福地さんのことですか?
あの方でしたら1930年生まれですので、ご存命であれば93歳です。 中山大障害メインの障害を扱ったサイトもあったが消えてるんだよね 明石家さんまさんが以前、テンポイントのお墓に訪れた
で、何年か経ち行ってみると、随分と立派になってて驚き
実は最初のはキングスポイントのお墓だった ナリブとトップガンの阪神大賞典は有名だが
悲しいかな土曜日のメインで
杉本清の名実況が聞けなかった ロングホークの阪神大賞典見れるとは 70年代の重賞とかよくあるもんだなと感心する 杉本さん不在レースで思い出すのは
キタノカチドキのマイラーズカップ
トウショウボーイの宝塚記念
インターグロリアの京都牝馬特別
など
ここから先を書くとどなたかの批判みたいになるので省略 ヒカルイマイのダービーは4角から直線半ばまでカメラが同馬を追えてないのが残念だ
ダービー史上世紀の後方一気の追い込みだったのに
当時は実況が関東馬偏重で皐月賞勝っても人気が
なかったのが原因かな
生い立ちとかドラマのある馬だった ヒカルイマイのダービーのときは、小学生でなにか別のことをやってて
レース(テレビ)を見てなかった。おわったあと、まわりの年長の人たちが
あっけにとられていたようにみえたのを憶えている。
>>662
競馬雑誌でシプリアニも初年度だったか、活躍場も出ておらず、
しかもろっ骨(?)が一本折れていたのもあり、250万円の安馬だったとありますね。
その雑誌の別の号で同じシプリアニ産駒のトウメイの記事もあった。
有馬記念での勝利について、直線先頭にたちゴールする同馬の姿に重ね、
150万円の安馬、見た目も云々だった馬の栄光がそこにあったという言葉で
締めくくられていたと記憶しています。 WikiPediaで調べてみると、ヒカルイマイは150万円でしたね
200万円のところ、肋骨の陥没があり50万円の減額となったとのこと
トウメイは、165万円で15万円のプラス金額でした
上の競馬雑誌の記事は、トウメイの繁引退直後でもあり、のちの殖成績と長寿を知る前のもの。
この記事に付け加えるべき事柄があると思います
この馬の歴史には、まだまだ言及すべき事柄がいくつもある
テンメイとの天皇賞秋母子制覇、さらに健康に恵まれ32歳の長寿でもあった。
そのすぐれた、競争成績、繁殖成績、そして長寿であったことを考えると、
シンザンに比肩しうる、日本競馬において特筆すべき名牝、名馬の一頭であったといえるだろう
といったところでしょうか? 今日はテンポイントの命日
昔吉田牧場に墓参りに行ったなあ 懐かしの名勝負といえばレブロンVSスイノルミエールだなあ
大逃げするルミエールを四角最後方から強襲するレブロン
若かりし小迫の度胸満点の騎乗ぶりだった 最近BSフジの競馬中継で昔懐かしいレースを流してくれてますね(直線だけですが)
先日はマーチスが勝ったスプリングSでした。2着タケシバオー、3着アサカオー
その前にはスピードシンボリのAJCCもやってくれたかな。2着はおなじみのアカネテンリュウ
ゲストのエイト吉田氏もリアルタイムでは見てないと言ってましたね 連投ゴメン
そういえば1971年の阪急杯もやってくれてました
まだ1900mで6月にやってた頃
トウメイが58kgを背負って不良馬場をものともせず快勝
アホヌラさんのサイトであらためて確認すると
2着以下はウメヤ、ケイサンタ、タイヨーファンシー、ファストバンブー
着外にはクニノハナ、スリーリバー、オープンツバメなどもいました
最近は懐かしのレース映像を楽しみに、カンテレじゃなくてBSフジ
を見てますわ その阪急杯の次走が東京競馬場で見た牝馬東タイ杯になるのかな
小さな体に59キロの酷量を背負って最後は馬なり大楽勝
間違いなく生涯ぶったまげBest10に入る衝撃的レースでした いや東上前に阪神でオープン使ってる リアルタイムでテレビで見た 4角でウチュウオーが一気に先頭に立ちトウメイは尻尾振り回して追いすがるも馬体も合わせられなかった ウチュウオーの引退レース 寺山修司の著書、旅路の果てが再販されたので買った
中央重賞で活躍した馬でも末路は悲惨なのが多いのを認識 テスコガビーが出走したオークストライアルの映像、動画ってないみたいですね。
トウホーパール、カバリダナーにおくれての3着。
直線でテスコガビーが先着の2頭のどちらかに噛みつきに行っていたように記憶しているのですが。 >>675
ありがとうございます!YouTubeに年鑑として1975年の重賞レースの映像があるとは貴重なコンテンツですね!
レースを見ると噛みつきにはいっていないようで(^^; 記憶違いだったようです。
あと噛みつき疑惑というとフェブラリーSのシンコウウィンディですが、これもレースを見ると違う。
あとはプリークネスステークスのサンデーサイレンスですが、これもむしろイージーゴアの方が
頭をサンデーサイレンスにむけているだけにみえます。
やはりレース中の噛みつきなどは、めったにあるものではないようですね。 中央競馬年鑑というコンテンツがYouTubeに上がっているので、1984年新潟大賞典のミクロンテンローの勝利を
当時、後楽園の場外馬券場でみて以来かもしれないけど、みてみようと思ったら、ローカルの映像はなかったという。
日刊競馬の柏木集保が競馬四季報だったか?この馬の競争成績について、デビュー2戦目をのぞき
すべて人気以上の成績を上げていると指摘していた。そういう事もあって、よくこの馬の馬券を買ったし、注目していた。
夏のローカルで条件戦を勝ちあがり新潟大賞典まで勝つとは大したものだと思う。
その後引退まで自分に掛けられた人気以上の成績を残したこともすばらしい。
ローカルでの上がり馬というと、ミクロンテンロー以上に出世したけど、
当時のもう一頭のお気に入りの馬、テュデナムキングも思い出した。 新潟大賞典といえば改装前は右回りのハンデ戦
勝ち馬メークアスマートの時はまさにハンデ戦と言っていい醍醐味に溢れていた >>678
ミクロンテンローもメークアスマートと同斤の53kgでの勝利ですね。直線伸びた走りは憶えているけど
差したのか、残ったのかは、憶えていません。でも、首差とはいえ堂々たる勝利だったように思う。
アホヌーラ (Ahonoora) さんのサイトでみるとミクロンテンローの勝利は、とくにローカルで勝ち、
勢いのまま新潟大賞典勝利というものではなかったです。わたしの記憶も年齢相応にか?
かなりあやしい。ええ加減な記憶、記憶違いが多くて、お恥ずかしいかぎりです。
それにしてもアホヌーラという馬だけど、サイトの主さんはアホヌーラが
好きなんだと思うけどどうしてなんだろう?と、ふと考えたりする。
そんなことを詮索しても仕方ないのだけれど、わたしがこの競走馬のことについて、思い出すのは、
まずチャンピオンSでニジンスキーに勝ったロレンザッチオの産駒だということ。
今世紀有数の名馬、現状最後の英国三冠馬だが、凱旋門賞でササフラ、チャンピオンSと
二度苦杯をなめている。現役最後の2戦。セントレジャーを使ったのが響いたという見方もあったりする。
父系はもとをたどるとトウルビヨンの系統。アホヌーラ自身、種牡馬として、父、母父としてイギリスダービー馬を出している。
直仔のドクターデヴィアスはジャパンカップに出走もしている。どうやらサイヤーラインは、21世紀に入っても存続しているようですね。 ポニーキャニオン発売の有馬記念史1で勝ち馬でないのに紹介されてるぞ ソロナオールは菊花賞、有馬記念ともに3着が印象的で記憶している。3着が似合う競走馬だった。
しらべてみると中山の条件戦ながつき賞勝利のあとセントライト記念、京都新聞杯という格上の重賞も3着で
4戦連続3着、どうしてこうなった?というと、どのレースもほぼ最後方からレースをして、直線鋭く追い込む
というレースをする(した)からだろう。小柄な馬で、おそらく気性面でも、道中他の馬と並走できないところもあったかも
その分、小柄さは身軽さにつながり、追い込みも鋭く長続きする脚だった。とはいえ、全ての馬をとらえきれない
おかしな比較かもしれないが、そこが全部つかまえ抜ききったディープとちがうところ
まあ菊花賞でイシノヒカル、タイテエムがいなかったら、ランドプリンス、ロングエースを退け優勝
有馬記念もイシノヒカル、メジロアサマがいなければ、オンワードガイらに先着、優勝だったかもしれない
さらに妄想を進めると有馬のイシノヒカルは三才(当時は4才と計算)で、三才で勝ちを逃したディープより
実力は上、古馬のメジロアサマをハーツクライに後れを取ったとすれば、ディープとソロナオールは、ほぼ同じ強さだろう
イシノヒカル世代の3強(ロングエース、ランドプリンス、タイテエム)もふくめ歴代屈指の強さ、
七夕ダービーだったが、ロングエースはダービーレコード勝ち、秋古馬混合戦でも、古馬を圧倒
トーヨーアサヒも古馬相手に勝利、時計の1分50秒を切り、その速さに注目が集まった。
同世代は翌年ストロングエイト、翌々年タニノチカラと有馬記念を勝ち、それ以外の大レースも支配した。
やはり間違いなくソロナオールはディープインパクトと同等の強さの名馬だった。
そのため競馬ファンは翌年の4才時はソロナオールを8戦中7回一番人気に支持した。
しかもソロナオールはファンの期待に応え、なんと2勝もしたのだった。
父のフェリオールは、ネアルコを経由しないファロスの系統。この点についての解説は、
他の方にお任せしよう。一つだけ指摘したいのは、フェリオールもソロナオールも
直接的に商品名とは対応しないが、薬品名を連想させる。この二頭がタイムマシンにのって
現在にやってきたら、現代に蔓延するウ〇娘汚染を洗浄してくれるだろう。 >>680
末路は地方競馬で酷使された挙句、乗馬になれてもすぐに伝貧で薬殺 >>680
1972年の旧四歳クラシック路線に乗った馬、
JRAの重賞未勝利なのにアホヌーラさんの処にリストアップされている。 連投で恐縮です。
>>683 そのへんのこともなにかしらおぼえています。ありがとうございます。
>>684 年数など具体的な情報を書いていませんでした。ありがとうございます。
ニジンスキーが三冠馬になり、21世紀に二冠馬キャメロットがセントレジャーで2着に敗れ、
依然ニジンスキーにつづく馬はいない。ただ牝馬三冠馬はいる。
といっても、もう約40年前、1985年のこと。そのとき曾祖父(Atan)は日本にいた。
わずかに英国にのこった子孫の中で祖父(Sharpen Up)が成功してサイヤーラインをつなげた。
その祖父の産駒Kris(クリス)の仔が牝馬三冠を達成したオー・ソー・シャープ(Oh So Sharp)である。
サラブレッド血統センター刊行の「世界の名馬」(「新・世界の名馬」ではない方)には、
それ以前のサンチェリオット、メルドという2頭のことが書いてある。
英国では、牝馬三冠レースは1000ギニー、オークス、セントレジャーとなっている。
日本でいえば桜花賞、オークス、菊花賞制覇となる。たしかに現在でも秋華賞はクラシックではないようだ。
とはいえ、牝馬が菊花賞で三冠を目指すのは、何十年に一頭の牝馬による牡馬三冠勝利に挑戦する時だけだろう。
あるいは、牝馬三冠とエリザベス女王杯、またはヴェルメイユ賞の選択も考慮する必要があるかもしれない。 ソロナオールは小さな体から最後方からの渾身の追い込み
マイナー厩舎に年に数勝の地味な主戦騎手など寺山修二的
魅力も重なり私も含めてファンは多かった
表舞台に躍り出た72年秋の菊花賞前後では当時まだ3連系
馬券がなかったため収支で貢献してもらった記憶はないが
タイテエムなど並みいる強豪を相手に見事な健闘ぶりだった
馬券といえば翌73年3月の中距離特別
久しぶりに相手が2枚も3枚も落ちる条件戦に出走してきて
既に大ファンとなっていた私は断然1番人気の単勝に
大枚はたいて勝負したがなんとミホプリモスにあっさり負けて撃沈
その時追い込み脚質のポカの怖さをしみじみ知ったことで
今でも競馬を続けていられる教訓とした気がします ゴールドシップ(以下ゴルシ)以上のきまぐれ馬、くせ馬というのは、たしかにいないと思う。
それは、変な言い方だがゴルシがかなり真面目に大レース=G1タイトルを集めているからだと思う。
結局G1レースを6勝しているわけで、まじめな優等生ともいえる。
過去の、たとえば昭和の競走馬では、くらべられる馬がいないという結論。
ニットエイト、上にも書いてあるけどカブトシロー、エリモジョージ、ラファール(これは少し余計だった)
どうみても、ゴドシの方があぶない。こいつらが束になって戦って、やっと釣り合うんだろうか?
ならば、歴代顕彰馬と比べれば、どうだろうか?あれ?ミスターシービー、シンボリルドルフって
おかしくない?おかしいですよね。ゴルシとか、足元にも寄れなくない?オグリ、オペラオーとかウオッカも 自分はテレビで昭和45年(1970年)のAT(TA)対決をみて競馬を見るようになった。
A、すなわちアローエクスプレスの名前の方がかっこいいと思っていた。
大橋巨泉氏は古馬になればアローエクスプレスもどこかの2400mのレースも勝てるようになるかしれないが、
ダービーでは難しいといっていた。
そのころから「世界の名馬」を読み込んでいた。あまりに読み込んだせいで自分の文章のお手本になった。
馬券を買うのはもっと後になる。テレビを見て、本を読んだり、雑誌をあつめ、血統を調べたり、
週刊の競馬報知と月間の優駿を愛読。海外の話ばかりで恐縮だが、むこうのレース結果や出来事を知るには、
雑誌が頼りだった。これはF1などの自動車レースも同じ。サッカーだけは三菱ダイヤモンドサッカーがあった。
あとは、競馬ではフジテレビで海外の話題が放送されていた。
ミルリーフの骨折と治療とか、ブリガディアジェラルドの敗戦とか。
シリウスシンボリが出走した凱旋門賞のとき、珍しく、というか久しぶりに実況放送があった。
ベーリングに期待したが、ダンシングブレーブに強靭な差し脚に屈したのが残念だった。
ただダンシングブレーブが英国ダービーで負けたというのは、優駿で知ったと思う。 セクレタリアト、フィーリッユプレジャー、ちょっと置いて間にフォアゴー
シアトルスルー、アファームドアリダー、スペクタキュラービッドが跳梁跋扈した
70年代のアメリカ競馬は熱かった
中でも1978年ジョキークラブGCのシアトルスルーとエクセラーの死闘は
凄かったラビットに翻弄されて直線バテバテのシアトルスルーが
楽勝と思われたエクセラーをアタマ差まで差し返したのは
鳥肌がたった
思えば日本もハイセイコーからキタノカチドキ、カブラヤオー
TTGと熱い世代が続いた
カブラヤオーの狂気の先行策はシアトルスルーに通じるものがある
TTGと >>689
私も、山野浩一さんの事典は検討に欠かせない物だった
血統と言えば山野さんか白井透さんだったか
雑誌は優駿と、毎週のは緑の競馬ブックか「馬」を買ってたかな
一番楽しみだったのは四季報、しかもオープン馬には解説コメントが付いてた
ギャロップはずいぶんと後からだね 週刊「馬」には若き日の井崎脩五郎の巻頭硬派コラムがありましたね
まさかお笑い系競馬評論家で今日の地位を築くとは
誰も予想していなかったのでした >>692
井崎さんは特異な才能があったから成功した
「馬」といえば笹川忠さん、いつ亡くなったんだろう
ダービーニュースの伊藤友康さん、どうしただろうか 関西だし井崎さんのことを詳しくは知らないけど、九州の新燃岳が爆発した時にちょうどサンケイでコラムを連載してた 「昔シンモエダケという馬があた」同じようにシンモエダケのこと思い出してたので、ちゃんと書いてくれたとうれしかったな 評論家も様変わりした
まあ、代替わりして不思議ではないが 国会図書館デジタルコレクションに登録したら古い書籍が見られる
競馬の本もたくさん見られる