◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
歴代の名馬・名勝負をまったりと語るスレです。
(競馬に関する事なら何でもOK!まったりと語ること)
※過去・現在の名馬を比較しての最強論争は極力お避け下さい。
前スレ
◆懐かしの名馬・名勝負スレ15◆
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/uma/1419611622/ 解説してた大坪元雄さん
中継中にオンスロートのはなし
実際に見た話をまとめられるのはこの方くらい
本にして出してほしかった フジのG1本馬場入場曲が千住明さんのに戻りました
あの曲を聞くと
生産 調教 運営 という競馬のすべてに携わっている
人たちの思いが込められている感じがします
そしてゴールを過ぎた瞬間とすべてが歴史になっていくそんな感じです
またフジ系列の昔のスポーツテーマ曲
ライツアウトというのですが
最近まで知りませんでしたが
カリフォルニア大学のファイトソングの一つなんですね
一部歌詞まであります
ツべに女子学生が大股をで足を上げてるのが見れます
大学の校舎前のが一番いいかな いつかこんな日がやって来る事は覚悟していましたが・・・とうとうジャパンカップへの海外からの出走馬が
「0」になりそうとの事、第1回から観ている者としては寂しい限りです。 今日のように、強い外国馬が来てくれないとつまらないなんて本気で思う日が来るとは、昭和の頃には考えもしなかったですよね。
とても喜ばしいことですが、確かに一抹の寂しさも感じます。 今日のように、強い外国馬が来てくれないとつまらないなんて本気で思う日が来るとは、昭和の頃には考えもしなかったですよね。
とても喜ばしいことですが、確かに一抹の寂しさも感じます。 netkeibaの競馬データベースクラシックが凄い
【過去30年分の競走馬・レース情報を追加】
1956年から1985年までの30年間、合計52,000頭の競走馬と85,000のレース情報。
また騎手や調教師、馬主のデータもすべて追加いたしました。 早速見てみましたが、距離のところ芝ダートとかの区分が目茶苦茶でしたね
これからかなり修正が必要のようです。 >>411
確かにそれが目立ちましたね
距離とタイム、出走メンバーを見れば大体分かるとは言え・・・ >>400
当時は朝日放送ラジオも競馬中継をしていて<提供?は競馬ニホン>、
MOミリオン対決 と称して、虫明氏と岡部友二氏とが馬券対決を放送内でしていた━━記憶が有ります。
岡部氏は、競馬ニホン or 日刊スポーツ どちらかに所属されていた筈です。
ばんえい競馬ですが、現役の下級条件でホクトヘリオスがいます。
せっかくなら芦毛馬に名付けて欲しかったです。 >>413
朝日放送は、競馬ニホンのメンバーでした
毎日放送がブック
岡部友二氏ではなく、岡部良平氏ですね
友二氏は日刊スポーツ
岡部良平氏は、かつてニホンの顔のような存在で
彼の予想を見たくてニホンを買う
そんな人が多くて、ニホンの高いシェアにつながっていたほどです
一時は第一線を退いたけど、朝日のラジオ中継で再登場した形です
チーフトラックマンの成田彦一氏ともども、関西競馬記者の重鎮でした 東条あきらさん
最後はどないなりはったんやろ
この人の影響で新聞に牝系のファミリーナンバーを一時いれてたんやね 昔のニホンというと
岡部氏、成田氏、笹西氏、喜多村氏、辻氏など思い出しますね
青木雅人氏が若手のころ、同姓で青木周吾氏もいましたね
KBSラジオで金・土の夜やっていたブック競馬展望
確か金曜が諏訪三七さん、土曜が山田一雄さんだったでしょうか >>417
岡部良平氏が第一線を退いて役員になり、馬柱の後任が戌亥氏
喜多村氏は、松田氏(現調教師)の後任馬柱でした
千葉耕司氏が編集長の時代でしたね
ブックの諏訪三七氏は、高齢の方でしたが
競馬以外でも見識が広く、味のある記事を書いていました リアルタイムでは知りませんが、バンブトンコートってなぜ大レースで上位人気になてたのでしょうか?
ダービーは1番人気4着 菊花賞は2番人気(単枠指定?)7着 天皇賞(春)は3番人気7着と毎回馬券に絡んでないのに
それなのに宝塚記念では2番人気(単枠指定?)になって、この時は2着になってますが >>422
名門厩舎の三歳チャンピオンでしたからね
ずっと連勝して、何度も負かしたインターグシケンが皐月賞2着、菊花賞優勝
評価は当然高かったですよ
故障で4歳前半を棒に振ったのが、その後の成績に響いたのかもしれません
あの厩舎は、マーチス、ヒデコトブキ、ヒデハヤテ、ハギノオーカンなど
能力の突出した馬を何頭も出しましたが、みんな残らず故障がちでした >>415
>>417-418
懐かしい名前が出ていますねェ〜
昔は確かに競馬二ホンのシェアが高かったですね。
いつ頃から、二ホンとブックのシェア@関西版 が逆転したんでしょうかねェ・・・・・?
1980年代前半には逆転していた様な気がします。 >>424
もっと前ですね。昭和40年代半ばには、もう逆転していました
東西の各専門紙が古い字体の活版印刷だった時代に
ブックはいち早くオフセット印刷を導入しました
これが功を奏した一因かと思われます ブックの勝因は配送の早さでしたよ
前日の午前中にはもう売店に並んでいましたからね
関東は2強の関西と違って各紙拮抗でしたが
一馬が最も売れていました
売店のラックの一番上が一馬に決まっていたのが大きい >>422
人気ありましたね。走る姿も首を真っ直ぐに下げて格好良かったです
馬主さんも元阪急ブレーブスのプロ野球選手でしたよ
距離の長いのはダメでしたから、皐月賞をケガで出れなかったのが残念です >>423 >>427
ありがとうございます。
故障がなかったり、今のように中距離以下が重視されるレース体系だったら戦績も大きく変わってたかもしれませんね。 >>423 >>427
ありがとうございます。
故障がなかったり、今のように中距離以下が重視されるレース体系だったら戦績も大きく変わってたかもしれませんね。 「剛腕」郷原洋行さん死去 騎手時代2度のダービー制覇
騎手時代にダービー2勝を含む1515勝を挙げ“剛腕”の異名をとった元JRA調教師の郷原洋行(ごうはら・ひろゆき)氏が1月31日、病気のため死去していたことが8日までに分かった。76歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われた。
http://race.sanspo.com/keiba/news/20200209/etc20020905000001-n1.html
皆様の思い出、語り合いましょう。 関西人だからオペックホースだね
ダービー郷原さんだからこそ勝てた
合掌 >>427 樋口氏は阪急じゃなく南海ホークスの選手だった。ちなみに父上も馬主だったそう… >>430
郷原さんのご冥福をお祈り申し上げます
このスレは関西のオールドファンが多いせいか書き込みが少なくてちょっと寂しいですね
自分も関西の者なので、印象に残っているのはプレストウコウの菊花賞かな
一瞬「やった!テンメイ」と思ったけど郷原騎手の豪腕で交わされてしまいました
翌年の秋の天皇賞は応援していたリュウキコウが一番人気でしたがカンパイのアクシデント
があり、テンメイがプレストウコウを差し切って菊花賞の雪辱を果たしました
もう40年以上も前のことなんですね 私は、郷原騎手といえば
カシュウチカラの天皇賞を挙げたいですね
渾身の騎乗でサクラショウリやキャプテンナムラを封じました
カバーラップ2世だから、前に出ているバンブトンコート以上に距離ファンがあったと思います
確か郷原騎手はテン乗りだったはずです。TTの世代だから旧7歳でしたね >>430
郷原氏の御冥福を祈ります。
郷原氏には何の責任もない話ですが、
郷原氏にまつわる余談的な話では、何と言っても サンキョウセッツ事件 が想い出されますね。 連投失礼
郷原騎手にとって、2頭のダービー馬に負けないぐらい思い出深い馬は
故障でクラシックを棒に振ったキタノダイオーだと思います
マーチスやタケシバオーの世代で生涯無敗でした
現役時代、郷原氏自身がコラムでダイオーへの思いを語っていました 優駿のフリーハンデは
旧3歳のチャンピオンに55キロが通例でしたが
あの年は例外で、タケシバオーとマーチスが55キロ
キタノダイオーが57キロでした >>433
独特の絞り込む様な追いのスタイル、現代の競馬でも通用していたかも知れませんね。
>>435
フジテレビの堺正幸アナ、痛恨の大チョンボでしたもんね…。 >>436
マーチス、アサカオー、タケシバオー。
彼等と同世代だったサラ系の英雄、無事ならと思わせる戦績ですもんね。 サラ系といえども豪サラなので
血統書が紛失さえしてなかったら普通のサラブレッドですね 今日の阪神3Rに、庄野厩舎所属のコウイチという馬が出走しています。
馬主さんは「桂土地」。一時期「コウイチ」の冠名を使っていましたので、懐かしいですね。 >>441
コウイチと言えば、
競馬を見知った頃に走っていた コウイチバブリ という馬名が想起されます。
改めて検索したら、
重賞で三着が二回有りますが、
条件戦の貴船特別で二回勝っていますね。
準OP馬からOPの下の方の馬だったのかな?
https://www.jbis.or.jp/horse/0000029782/
ミンレット マイコンサート オカセダン グッドキラメキ等々
そういった馬を憶えたのは、やはりサンテレビ−KBS京都が土曜日午後に長時間中継をしていた影響が大きいかも? >>442
亀岡山田木材
川波忠兵衛
金龍
とかのCM
そして
♪いつもけいばぶっく〜 >>410
今見たら有料になってますね
まあアホヌラさんところがあるので不便はしませんが 1978年の今日03月05日
不滅の名馬テンポイントが天翔け抜けた日です。
旧四歳クラシックはキタノカチドキ世代1974年から見ていますが、
誰が何と言おうと 史上最強馬は古馬になってからのテンポイントです。 >>442
土曜日の午後、父親がいる時はずっと競馬中継見て居たので、未だ小学校にも行かない位の自分も、一緒に見ていました。
もう50年近く前ですが、父のお陰で、色んな名馬のレースを見る事が出来ました。
まあ、途中のキャバレー等のCMもみて、悪い刺激も受けましたが(笑) 土曜の競馬中継にはカルストーンのCMが流れました
カルストーンという馬もいて
2週間ごとに土曜のメインレースを走っていました >>442
ぼくはコウイチサブロウですね
コウイチさん?サブロウさん?どちらが名字で名前なのと子供心にw
父親からトウショウボーイはトウショウが名字でテンポイントは親が外人だから後ろのポイントが名字ってなかなか適当な親でしたw
コウイチサブロウも同世代でしたが、なかなか強い馬でしたよ >>443
亀岡山田木材 には、経営団地 という語も続きました。
>>446
キャバレーのCМと言えば、
やっぱり サロンまん ですかね・・・・・w
あと 色っぽいおねえさんの声で流れてた十三の料飲組合のモノ
それに 着物のお姐さん方がシャチホコをやっていた料亭( 店名は失念 )モノ
まぁ 小学生の子供には良い影響を与えていたかは・・・・・
>>449
コウイチサブロウ という馬もいましたね。
ということは、コウイチイチロウ コウイチジロウ コウイチシロウ 等々もいたのでしょうか?
地方( アラブ )ですが、
ビソウ の冠名も ビソウセブン ビソウイレブン 等の活躍馬は憶えていますがねェ・・・・・
冠名プラス英数字 は、ホウシュウ( ハイセイコーと同期のホウシュウエイト ) も代表的ですね。 >>450 桂土地の最大の活躍馬はカツラノハイセイコ >>450
最初は多分、コウイチタロウ
ロングホークなどと同世代で、新馬と特別を連勝しました >>452 コウイチタロウは1972年生まれコウイチバブリは1969年生まれだぞ! >>455
450さんは、イチロウジロウという名があったのかという質問だったので
それに対してタロウが最初という意味でレスしました
このスレで、タメ語で食いつく人も珍しいですね >>450
十三の雁亭?とかいう料亭でした
あのしゃちほこはあの店独自のものではなく新町?あたりが発祥ではなかったかと
大阪モノの歴史本で見ました 京阪の滝井駅付近に
ワイエムモータープールというのが最近までありました
まあ滝井はソレの街でした >>452
>>456
コウイチタロウ ロングホークと同世代ってことは、カブラヤオー世代ですか・・・・・
新馬−特別の連勝なので、エリート街道に乗ったんでしょうけど、
記憶に無いですねェ・・・・・
>>453
職業で差別する意図は無いですが、
ビソウの塩村一氏は色々と何か有った様な気がします。
エルシドの晩年の傑作だったビソウエルシドも、
何時の間にか岩手に転厩していましたし・・・・・
>>457
雁亭 という名前でしたか・・・・・ 連投失礼
ビソウエルシドの競走成績を改めて確認したのですが、
同馬が二着に敗れた1988年第27回全日本アラブ優駿は仲々の好メンバーでしたね。
オタルホーマー
ビソウエルシド
ハツタテンリユウ
フクノビヤクエイ
ダイリンザン の順で決着。 これら上位五頭は全て重賞を複数回勝っています。
馬主も 米田律子 塩村一 八田澄治 中村和夫 山際芳勝 と豪華な名前が連なっていました。
絶対的強さだったホクトライデン( 小生の師匠は最強アラブだと評していました )を知らない小生にとっては、
アラブの一番良い時代だったかもしれません。 >>459
コウイチタロウは、新馬と特別勝ったあとは
オープンでロングホークやハツノボリと対戦して、壁にぶつかった印象です
クラシックには出ていません
ちなみにそのオープンは菊花賞当日で
週刊誌で、山口瞳の馬券対決をやっていました
山口氏はロングホークとハツノボリ1点的中
大川慶次郎氏はコウイチタロウを本命にして外れ
確かそんな結果でしたよ ホクトの冠号を使った馬主さんは2人おられて
1人は札幌の森滋さんで中央のホクトボーイはこの方
もう1人が市川市長だった鈴木忠兵衛さんですね
ホクトライデンなど多くの馬を船橋に預けておられました ホクトボーイか
懐かしい。4才時は未完の大器的評価でしたね
2000で2分を切った数少ない馬でした(当時)
翌週トウショウボーイに1秒短縮されたんでしたっけ 2週間くらい前の話ですが、吉田牧場が火事で繁殖牝馬がすべて死亡するという
ニュースが出ていましたね(といっても5頭しかいない)
3頭がジネヴラ(英オークス馬)、1頭がクモワカの系統みたいですが、
再建するにしても牧場所縁の牝系を集めるのかどうか
吉田牧場の馬にはクモワカが入っていてほしいですけどね >>464
ジネブラは3頭残してたんですね…タイプキャストの子孫は残して無かったのかな
ワカクモの子孫は追いかけてみましたが…何せ少ない 吉田牧場が廃業(閉鎖)か…寂しい
ワカクモ、オキワカ、テンポイント、キングスポイント、ワカテンザン、プリティキャスト、スティールキャスト…
メジロ牧場の時以上に一つの時代の終わりを感じる 前のレスのホクトで思い出した マイルCCでオグリバンブーの180円は安すぎるとホクトヘリオス買ったが案の定負けた この間
九州産馬が新馬を勝ってたけど
生産者の土田さんって先代は熊本の西合志あたりにいたかたかな? TTGの揃い踏みの宝塚記念の杉本氏の実況ってないんですか? >>476
無いですね〜
そのせいか、数多あるテンポイントの映像でも宝塚記念は挿入されなかったり… やっと書き込めるようになりました
ゴールドシチーに続いて、スターマンも2世が今日走っていました
馬名審査の基準がよくわかりませんが
この分だと、昭和の名馬もどんどん持っていかれそうですね 昨日はスマッシャーもデビュー
先代と同じように逃げましたが最後はつかまり5着
尻尾は振ってくれませんでした ミホノブルボンの三冠を阻止したライスシャワー!
メジロマックイーンと武豊をレコードタイムで負かしたライスシャワー!
長く辛いスランプ後に春天復活したライスシャワー!
そして宝塚で散ったライスシャワー!
今でも動画観ると泣けてきそうです、小さな馬体であんな力強い走りが出来るなんてライスシャワーのような素晴らしい馬がまた出て来て欲しい…。 >>481
リアルシャダイの後継としても生きていて欲しかった馬ですね その結果は12月か新年号の「優駿」だったな
その年のハンデでシンザンは確か14ポンド差だったかな そういえば
ブッシャンとかいうのがいたな
大川がよく推してたかな netkeibaで中央なら結構昔の無名馬の記録も載るようになって結構経つけど
暇なときに見ると新発見があって面白いですね。
ニジンスキースターのデビュー戦、すずらん賞1番人気は憶えてるけど
坂井千明だったんですね。(当時はペーペーのイメージ)
ロングホークが人気薄で勝ったのは憶えてるけど単勝50倍以上だったとは。
あとタイプアイバーの競走成績が思っていたよりひどかったです。 オンワードアゲインという馬の4年近くの休養にも見捨てられなかったのが印象深い 杉本さんはゴルフ中継だったと思います、TTGの宝塚記念。
失礼ながら代わりの鈴木敏郎さんの実況が抱腹絶倒。
「アイフルはじっくりと三番手、これは作戦か!」
・・・三角手前から前のトウショウボーイとテンポイント二頭のぺースアップに
ついていけないだけやん、必死で追いどおしですよ アイフル天皇賞馬なのに、
有馬でTTに1,2決められて以降
格下感が TTの強さを証明してくれたのがグリーングラスだな
最後の有馬記念とか 昔、延岡種馬所というのがあって
カブトシローを見に行ったことがある
最近、地図をみてもどこだったかわからなかった
ある方の旧競馬場あとという記録を見ていて
延岡にも競馬場があって何か所に移転したとあった
そのなかに「塩浜」という名前が
延岡種馬所は「塩浜」と記憶していた
地図をみても全く分からなかった
ところがグーグルアースを見ると!!
畑や田の中を長円形の走路あと、かなりの幅でそのまま残っている
そのあたりのストリートビューと当時撮影したカブトシロー
の背景を見ると間違いない
ほとんど原型が残っている希少な例と思う カブトシローが延岡で種馬になった際にタカクラヤマが処分されたらしい
名種牡馬なのに悲しい末路 >>493
確か最後は蹄葉炎だったと記憶しています
それと時期的には離れていたような気もします
地図だけで探しているときなかなかわかりませんでしたが
確か昔はすぐ近所に「屠殺場」がありそのそばを通って
種場所に行きました
そこが現在「食肉センター」になっていたこともヒントになりました
タカクラヤマは蹄葉炎で最後どうしようもなくなってそこに曳いていったとか
世話していた方が「あれはかわいそうだった」と言ってました 新馬のファイアダンサー
桜花賞で人気になったファイアーダンサーを思い出しました >>491
それにカシュウチカラ
いかに他世代を圧倒してたかの証左 あの世代は違う馬で有馬を3連勝して、天皇賞もカシュウチカラとホクトボーイも合わせて4勝したんでしたっけ? 有馬は2連勝後1年置いての計3勝でしょ
3連勝はイシノヒカルの世代だと思います >>498
あの世代は、トップクラスが故障馬だらけなのに
よく有馬3連勝できましたね。よほど層が厚かったんでしょう
ヒデハヤテ、トモエオーはクラシック前に故障
ロングエース、ランドプリンス、イシノヒカルは古馬戦線にほぼ登場せず
タイテエムは宝塚記念、ハマノパレードは高松宮杯、ハクホオショウは天皇賞で
それぞれ故障発生というありさま
かのタニノチカラも、2年のブランクからの復活でした >>500
タニノチカラの存在は大きいですね
ただクラシックを争った馬たちはリタイアが早く天皇賞の勝ち鞍はテンポイント世代に及びませんでした タニノチカラは最後まで内田浩一が乗ってたマックイーンみたいなもんだな
騎手が一流なら秋天後の有馬も勝ってそのまんま海外行ってたかも