◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
歴代の名馬・名勝負をまったりと語るスレです。
(競馬に関する事なら何でもOK!まったりと語ること)
※過去・現在の名馬を比較しての最強論争は極力お避け下さい。
前スレ
◆懐かしの名馬・名勝負スレ15◆
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/uma/1419611622/ >>358
エタン 海外の活躍馬でたまに見かけます >>368
>>369
津川雅彦は、アリオーンのあと、エタンの牝馬を所有して
朝丘雪路の本名にちなんで、ユキエタンと名付けました
江戸屋猫八は、キャットエイトでしたね キャットエイトは準オープンを何度も勝ってました
5歳1000万下だと7歳馬は3000万円まで出られましたから 津川氏の持ち馬ではアイテイエタンもいました
京都マイルのレコードを持っていましたね 津川さん、何かの番組で「俳優として不遇な時代に、馬が稼いでくれた」と語っていたのを
聞いた記憶があります。
>>367
なるほd、そういうことだったんですか。レース的には、直接的なつながりはありませんが、
高松宮杯が、中京大賞典の後継レースとも言えそうですね。 あの時期の有名人馬主だと、他には
野添ひとみのマジョルカ
森乃福郎のストローハットなど
昭和50年以降にはもっと増えたと思います ○父限定だったころの愛知杯やカブトヤマ記念は好きなレースだったな。
当時は今みたいに父内国産が大レースを勝ちまくるなんて想像できなかった。
「ダービー馬はダービー馬から」なんて夢物語に思えた カブトヤマの子のマツミドリがダービーを勝ったのも
クモハタが何度もリーディングサイアーになったのも
戦争で種牡馬の輸入が15年くらい止まったからで
昭和30〜40年代は新しい血に飢えてたんでしょう 昨日の朝、出馬表を見て除外ラッシュ
トウメイの有馬記念の、インフルエンザ発生により
アカネテンリュウ、メジロアサマ、カミタカの取消で驚いたのを思い出しました
美浦トレセンは下火になるまで時間がかかりましたが
ベルワイドなど何頭かは、全く感染しなかったようですね >>377
まだ美浦トレセン前の府中、中山、白井時代ですね
実家には競馬ブックが毎週送られてきていたのですが、
関東が休止になって関西版が送られてきて珍しがって読んだ記憶があります >>378
失礼。あの年は美浦はまだでしたね
栗東もできたばかりでした >>377
カミタカは友引だったという噂もありますね。
関西圏では、栗東では罹患馬が出なかったものの、春木か紀三井寺競馬が影響を受けて、
開催中止になったと聞きました。 近畿地方はまだ梅雨入りしていないようですが
毎年梅雨の時期に行われる宝塚記念
なぜか、重馬場のレースが少ないですね
思い出せるのは、ショウフウミドリの年ぐらい
と思って検索してみたら
ショウフウミドリは、生涯の過半数を重馬場で走っていました
かなり珍しいケースではないでしょうか
https://ahonoora.com/syoufu_midori.html 武文さんのところにはユーモンドやフイドールなど重馬場が上手な馬がいましたね フィドールのシンザン記念の勝ち方
期待しましたよ
あとでみたら不良の最後1F15秒でした
ダービーでも一瞬いい脚を見せましたけど 旧5歳の春に覚醒したけどそこまでだけだったね
天皇賞取る感じだったのに NHKBSで今、プロ野球東西対抗戦の特集をやってます
のちに競馬評論家になった古川清蔵氏も登場します >>386
BSだから、何度も再放送すると思いますよ
古川さんは94歳で、まだご存命でした
昭和40年代は、8大競走の前日に
関テレで1時間、大坪さんとともに予想する番組がありました 昭和39年の菊花賞の当日朝、毎日放送テレビで
武田文吾さんも出てた予想番組をやってた記憶 山岡事件ですかね
調教師の予想が禁止されたきっかけは >>390
多分それからでしょう
調教師の予想がよく当たったかどうかは疑問でしたね 実家で探し物をしてたら
古い写真が3束ほど
延岡にいたカブトシロー
三本木にいたヒカルポーラ
盛岡にいたリュウフオーレル
牧園にいたマーチス
タイヘイにいたリュウファーロス
岩川にいたテイトオー
一ノ関にいたアサデンコウ
そして阪神の大学馬術大会に来ていた
ダイナナホウシュウ
口取りさせてもらっていた
鹿児島のコダマの写真と8ミリがあるはずなんだけど カブトシローの前に延岡に居たトサオーはフィリピンに輸出されました
ハクチカラがインドへ行ったのは有名ですが
タカオーがビルマに、アサがタイに輸出されてますね 先ほど『和風総本家』を視ていたら、大変高価な漆器をお持ちという小紫ゆきこさんという方が出演されていました。
ご尊父は小紫芳夫氏だそうで、真っ先に宝塚記念馬スズパレードを思い浮かべました。
懐かしいなぁ。 このスレが始まったころは、確か競馬歴20年以上の人
そんなタイトルだったと思います
当時は、昭和末期ぐらいの馬はまだ話題の対象ではなかったですね
スズパレードやスズマッハの名が出てくるあたり
われわれも歳を重ねたということですか 小紫氏、保手浜氏の馬主協会トップをめぐる泥沼の争いなんかも今はもうひと昔
私が東京馬主会報をよく読んでいた頃はお二人はまだ常務理事で
会長が藤田正明氏、副会長が手塚栄一氏でした
理事に川口浩氏がいて、東京馬主協会の忘年会などは夫人の野添ひとみ氏経営の
「ひとみ」という店でやっていました
フジテレビの放送だとゲストは川口夫妻、大橋巨泉氏、寺山修司氏、虫明亜呂無氏、
古山高麗雄氏、山野浩一氏が多かったですね
本職は芸能人や作家ですが、昨今のゲストと違いどう見ても玄人ぞろい
単発ゲストだと新聞少年山田太郎がヒカルイマイが勝ったNHK杯で人気薄の
ウエスタンヒルが4着に入って大喜びしていた憶えがあります
まさか後年馬主としてここまで出世するとは夢にも思いませんでしたが
(いい馬持ったとかではなく現中山馬主協会会長という意味で) >>397
赤木さんや寺山さんは好きでしたが
はっきり言ってフジのゲストは、作家も芸能人も、残念な人が結構いたと思います
>>398
ダルモーガン氏が、最初にこのスレを立てたんじゃなかったでしょうか? 昭和40年代末から50年代にかけて
虫明氏は競馬ニホンから1ページもらって
週末は関西で競馬を見ておられました
飛行機での往復と宿泊に見合う原稿料を
ニホンが出せたとは思えないのですが >>399
そうなんですか?
最初の頃は参加してなかったもので… >>399
オオクラ?あたりの話で盛り上がりました 解説してた大坪元雄さん
中継中にオンスロートのはなし
実際に見た話をまとめられるのはこの方くらい
本にして出してほしかった フジのG1本馬場入場曲が千住明さんのに戻りました
あの曲を聞くと
生産 調教 運営 という競馬のすべてに携わっている
人たちの思いが込められている感じがします
そしてゴールを過ぎた瞬間とすべてが歴史になっていくそんな感じです
またフジ系列の昔のスポーツテーマ曲
ライツアウトというのですが
最近まで知りませんでしたが
カリフォルニア大学のファイトソングの一つなんですね
一部歌詞まであります
ツべに女子学生が大股をで足を上げてるのが見れます
大学の校舎前のが一番いいかな いつかこんな日がやって来る事は覚悟していましたが・・・とうとうジャパンカップへの海外からの出走馬が
「0」になりそうとの事、第1回から観ている者としては寂しい限りです。 今日のように、強い外国馬が来てくれないとつまらないなんて本気で思う日が来るとは、昭和の頃には考えもしなかったですよね。
とても喜ばしいことですが、確かに一抹の寂しさも感じます。 今日のように、強い外国馬が来てくれないとつまらないなんて本気で思う日が来るとは、昭和の頃には考えもしなかったですよね。
とても喜ばしいことですが、確かに一抹の寂しさも感じます。 netkeibaの競馬データベースクラシックが凄い
【過去30年分の競走馬・レース情報を追加】
1956年から1985年までの30年間、合計52,000頭の競走馬と85,000のレース情報。
また騎手や調教師、馬主のデータもすべて追加いたしました。 早速見てみましたが、距離のところ芝ダートとかの区分が目茶苦茶でしたね
これからかなり修正が必要のようです。 >>411
確かにそれが目立ちましたね
距離とタイム、出走メンバーを見れば大体分かるとは言え・・・ >>400
当時は朝日放送ラジオも競馬中継をしていて<提供?は競馬ニホン>、
MOミリオン対決 と称して、虫明氏と岡部友二氏とが馬券対決を放送内でしていた━━記憶が有ります。
岡部氏は、競馬ニホン or 日刊スポーツ どちらかに所属されていた筈です。
ばんえい競馬ですが、現役の下級条件でホクトヘリオスがいます。
せっかくなら芦毛馬に名付けて欲しかったです。 >>413
朝日放送は、競馬ニホンのメンバーでした
毎日放送がブック
岡部友二氏ではなく、岡部良平氏ですね
友二氏は日刊スポーツ
岡部良平氏は、かつてニホンの顔のような存在で
彼の予想を見たくてニホンを買う
そんな人が多くて、ニホンの高いシェアにつながっていたほどです
一時は第一線を退いたけど、朝日のラジオ中継で再登場した形です
チーフトラックマンの成田彦一氏ともども、関西競馬記者の重鎮でした 東条あきらさん
最後はどないなりはったんやろ
この人の影響で新聞に牝系のファミリーナンバーを一時いれてたんやね 昔のニホンというと
岡部氏、成田氏、笹西氏、喜多村氏、辻氏など思い出しますね
青木雅人氏が若手のころ、同姓で青木周吾氏もいましたね
KBSラジオで金・土の夜やっていたブック競馬展望
確か金曜が諏訪三七さん、土曜が山田一雄さんだったでしょうか >>417
岡部良平氏が第一線を退いて役員になり、馬柱の後任が戌亥氏
喜多村氏は、松田氏(現調教師)の後任馬柱でした
千葉耕司氏が編集長の時代でしたね
ブックの諏訪三七氏は、高齢の方でしたが
競馬以外でも見識が広く、味のある記事を書いていました リアルタイムでは知りませんが、バンブトンコートってなぜ大レースで上位人気になてたのでしょうか?
ダービーは1番人気4着 菊花賞は2番人気(単枠指定?)7着 天皇賞(春)は3番人気7着と毎回馬券に絡んでないのに
それなのに宝塚記念では2番人気(単枠指定?)になって、この時は2着になってますが >>422
名門厩舎の三歳チャンピオンでしたからね
ずっと連勝して、何度も負かしたインターグシケンが皐月賞2着、菊花賞優勝
評価は当然高かったですよ
故障で4歳前半を棒に振ったのが、その後の成績に響いたのかもしれません
あの厩舎は、マーチス、ヒデコトブキ、ヒデハヤテ、ハギノオーカンなど
能力の突出した馬を何頭も出しましたが、みんな残らず故障がちでした >>415
>>417-418
懐かしい名前が出ていますねェ〜
昔は確かに競馬二ホンのシェアが高かったですね。
いつ頃から、二ホンとブックのシェア@関西版 が逆転したんでしょうかねェ・・・・・?
1980年代前半には逆転していた様な気がします。 >>424
もっと前ですね。昭和40年代半ばには、もう逆転していました
東西の各専門紙が古い字体の活版印刷だった時代に
ブックはいち早くオフセット印刷を導入しました
これが功を奏した一因かと思われます ブックの勝因は配送の早さでしたよ
前日の午前中にはもう売店に並んでいましたからね
関東は2強の関西と違って各紙拮抗でしたが
一馬が最も売れていました
売店のラックの一番上が一馬に決まっていたのが大きい >>422
人気ありましたね。走る姿も首を真っ直ぐに下げて格好良かったです
馬主さんも元阪急ブレーブスのプロ野球選手でしたよ
距離の長いのはダメでしたから、皐月賞をケガで出れなかったのが残念です >>423 >>427
ありがとうございます。
故障がなかったり、今のように中距離以下が重視されるレース体系だったら戦績も大きく変わってたかもしれませんね。 >>423 >>427
ありがとうございます。
故障がなかったり、今のように中距離以下が重視されるレース体系だったら戦績も大きく変わってたかもしれませんね。 「剛腕」郷原洋行さん死去 騎手時代2度のダービー制覇
騎手時代にダービー2勝を含む1515勝を挙げ“剛腕”の異名をとった元JRA調教師の郷原洋行(ごうはら・ひろゆき)氏が1月31日、病気のため死去していたことが8日までに分かった。76歳だった。葬儀は近親者のみで執り行われた。
http://race.sanspo.com/keiba/news/20200209/etc20020905000001-n1.html
皆様の思い出、語り合いましょう。 関西人だからオペックホースだね
ダービー郷原さんだからこそ勝てた
合掌 >>427 樋口氏は阪急じゃなく南海ホークスの選手だった。ちなみに父上も馬主だったそう… >>430
郷原さんのご冥福をお祈り申し上げます
このスレは関西のオールドファンが多いせいか書き込みが少なくてちょっと寂しいですね
自分も関西の者なので、印象に残っているのはプレストウコウの菊花賞かな
一瞬「やった!テンメイ」と思ったけど郷原騎手の豪腕で交わされてしまいました
翌年の秋の天皇賞は応援していたリュウキコウが一番人気でしたがカンパイのアクシデント
があり、テンメイがプレストウコウを差し切って菊花賞の雪辱を果たしました
もう40年以上も前のことなんですね 私は、郷原騎手といえば
カシュウチカラの天皇賞を挙げたいですね
渾身の騎乗でサクラショウリやキャプテンナムラを封じました
カバーラップ2世だから、前に出ているバンブトンコート以上に距離ファンがあったと思います
確か郷原騎手はテン乗りだったはずです。TTの世代だから旧7歳でしたね >>430
郷原氏の御冥福を祈ります。
郷原氏には何の責任もない話ですが、
郷原氏にまつわる余談的な話では、何と言っても サンキョウセッツ事件 が想い出されますね。 連投失礼
郷原騎手にとって、2頭のダービー馬に負けないぐらい思い出深い馬は
故障でクラシックを棒に振ったキタノダイオーだと思います
マーチスやタケシバオーの世代で生涯無敗でした
現役時代、郷原氏自身がコラムでダイオーへの思いを語っていました 優駿のフリーハンデは
旧3歳のチャンピオンに55キロが通例でしたが
あの年は例外で、タケシバオーとマーチスが55キロ
キタノダイオーが57キロでした >>433
独特の絞り込む様な追いのスタイル、現代の競馬でも通用していたかも知れませんね。
>>435
フジテレビの堺正幸アナ、痛恨の大チョンボでしたもんね…。 >>436
マーチス、アサカオー、タケシバオー。
彼等と同世代だったサラ系の英雄、無事ならと思わせる戦績ですもんね。 サラ系といえども豪サラなので
血統書が紛失さえしてなかったら普通のサラブレッドですね 今日の阪神3Rに、庄野厩舎所属のコウイチという馬が出走しています。
馬主さんは「桂土地」。一時期「コウイチ」の冠名を使っていましたので、懐かしいですね。 >>441
コウイチと言えば、
競馬を見知った頃に走っていた コウイチバブリ という馬名が想起されます。
改めて検索したら、
重賞で三着が二回有りますが、
条件戦の貴船特別で二回勝っていますね。
準OP馬からOPの下の方の馬だったのかな?
https://www.jbis.or.jp/horse/0000029782/
ミンレット マイコンサート オカセダン グッドキラメキ等々
そういった馬を憶えたのは、やはりサンテレビ−KBS京都が土曜日午後に長時間中継をしていた影響が大きいかも? >>442
亀岡山田木材
川波忠兵衛
金龍
とかのCM
そして
♪いつもけいばぶっく〜 >>410
今見たら有料になってますね
まあアホヌラさんところがあるので不便はしませんが 1978年の今日03月05日
不滅の名馬テンポイントが天翔け抜けた日です。
旧四歳クラシックはキタノカチドキ世代1974年から見ていますが、
誰が何と言おうと 史上最強馬は古馬になってからのテンポイントです。 >>442
土曜日の午後、父親がいる時はずっと競馬中継見て居たので、未だ小学校にも行かない位の自分も、一緒に見ていました。
もう50年近く前ですが、父のお陰で、色んな名馬のレースを見る事が出来ました。
まあ、途中のキャバレー等のCMもみて、悪い刺激も受けましたが(笑) 土曜の競馬中継にはカルストーンのCMが流れました
カルストーンという馬もいて
2週間ごとに土曜のメインレースを走っていました >>442
ぼくはコウイチサブロウですね
コウイチさん?サブロウさん?どちらが名字で名前なのと子供心にw
父親からトウショウボーイはトウショウが名字でテンポイントは親が外人だから後ろのポイントが名字ってなかなか適当な親でしたw
コウイチサブロウも同世代でしたが、なかなか強い馬でしたよ >>443
亀岡山田木材 には、経営団地 という語も続きました。
>>446
キャバレーのCМと言えば、
やっぱり サロンまん ですかね・・・・・w
あと 色っぽいおねえさんの声で流れてた十三の料飲組合のモノ
それに 着物のお姐さん方がシャチホコをやっていた料亭( 店名は失念 )モノ
まぁ 小学生の子供には良い影響を与えていたかは・・・・・
>>449
コウイチサブロウ という馬もいましたね。
ということは、コウイチイチロウ コウイチジロウ コウイチシロウ 等々もいたのでしょうか?
地方( アラブ )ですが、
ビソウ の冠名も ビソウセブン ビソウイレブン 等の活躍馬は憶えていますがねェ・・・・・
冠名プラス英数字 は、ホウシュウ( ハイセイコーと同期のホウシュウエイト ) も代表的ですね。 >>450 桂土地の最大の活躍馬はカツラノハイセイコ >>450
最初は多分、コウイチタロウ
ロングホークなどと同世代で、新馬と特別を連勝しました >>452 コウイチタロウは1972年生まれコウイチバブリは1969年生まれだぞ! >>455
450さんは、イチロウジロウという名があったのかという質問だったので
それに対してタロウが最初という意味でレスしました
このスレで、タメ語で食いつく人も珍しいですね >>450
十三の雁亭?とかいう料亭でした
あのしゃちほこはあの店独自のものではなく新町?あたりが発祥ではなかったかと
大阪モノの歴史本で見ました 京阪の滝井駅付近に
ワイエムモータープールというのが最近までありました
まあ滝井はソレの街でした >>452
>>456
コウイチタロウ ロングホークと同世代ってことは、カブラヤオー世代ですか・・・・・
新馬−特別の連勝なので、エリート街道に乗ったんでしょうけど、
記憶に無いですねェ・・・・・
>>453
職業で差別する意図は無いですが、
ビソウの塩村一氏は色々と何か有った様な気がします。
エルシドの晩年の傑作だったビソウエルシドも、
何時の間にか岩手に転厩していましたし・・・・・
>>457
雁亭 という名前でしたか・・・・・ 連投失礼
ビソウエルシドの競走成績を改めて確認したのですが、
同馬が二着に敗れた1988年第27回全日本アラブ優駿は仲々の好メンバーでしたね。
オタルホーマー
ビソウエルシド
ハツタテンリユウ
フクノビヤクエイ
ダイリンザン の順で決着。 これら上位五頭は全て重賞を複数回勝っています。
馬主も 米田律子 塩村一 八田澄治 中村和夫 山際芳勝 と豪華な名前が連なっていました。
絶対的強さだったホクトライデン( 小生の師匠は最強アラブだと評していました )を知らない小生にとっては、
アラブの一番良い時代だったかもしれません。 >>459
コウイチタロウは、新馬と特別勝ったあとは
オープンでロングホークやハツノボリと対戦して、壁にぶつかった印象です
クラシックには出ていません
ちなみにそのオープンは菊花賞当日で
週刊誌で、山口瞳の馬券対決をやっていました
山口氏はロングホークとハツノボリ1点的中
大川慶次郎氏はコウイチタロウを本命にして外れ
確かそんな結果でしたよ ホクトの冠号を使った馬主さんは2人おられて
1人は札幌の森滋さんで中央のホクトボーイはこの方
もう1人が市川市長だった鈴木忠兵衛さんですね
ホクトライデンなど多くの馬を船橋に預けておられました ホクトボーイか
懐かしい。4才時は未完の大器的評価でしたね
2000で2分を切った数少ない馬でした(当時)
翌週トウショウボーイに1秒短縮されたんでしたっけ 2週間くらい前の話ですが、吉田牧場が火事で繁殖牝馬がすべて死亡するという
ニュースが出ていましたね(といっても5頭しかいない)
3頭がジネヴラ(英オークス馬)、1頭がクモワカの系統みたいですが、
再建するにしても牧場所縁の牝系を集めるのかどうか
吉田牧場の馬にはクモワカが入っていてほしいですけどね >>464
ジネブラは3頭残してたんですね…タイプキャストの子孫は残して無かったのかな
ワカクモの子孫は追いかけてみましたが…何せ少ない 吉田牧場が廃業(閉鎖)か…寂しい
ワカクモ、オキワカ、テンポイント、キングスポイント、ワカテンザン、プリティキャスト、スティールキャスト…
メジロ牧場の時以上に一つの時代の終わりを感じる