◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
歴代の名馬・名勝負をまったりと語るスレです。
(競馬に関する事なら何でもOK!まったりと語ること)
※過去・現在の名馬を比較しての最強論争は極力お避け下さい。
前スレ
◆懐かしの名馬・名勝負スレ15◆
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/uma/1419611622/ >>262
このレースはテレビで見た記憶がありますが、この時点でタニノチカラは脚部不安があって、その前の
オープンでどちらか一方の馬と対戦する筈が、結局出走しなかった様に思います。 しかしここへ来られる方の年代はどれくらいでしょう?
私は70歳ですがひょっとしてここでは洟垂れ小僧かなと >>265
タニノチカラは有馬記念の後京都記念を大差で逃げ切り
3月のオープンでは河内騎手でイットーとの一騎打ちに勝利しています。
マイラーズカップが最後のレースとなりましたので脚部不安の兆候が出始めていた可能性はありますね。
前週には二ホンピロセダンが天皇賞の叩き台に使ったオープンがありましたがそこからスライドしたという記憶はありません。
いずれにしても当時の関西古馬2強とのちに名牝と称えられる名馬の巴戦を見れたことはこの上ない財産になりました。
ちなみに斤量はカチドキ60キロ、イットー52キロ、タニノチカラは61キロでした。 >>266
おそらく年長者の部類に入られると思います
ずっと、スレの話題の多くが
昭和45年〜55、56年ぐらいの馬や人に関するものですから
現在60代、それも後半の人が圧倒的に多いのではと推測しています
中にはメイズイやシンザン以前の話をレスされる年配の方もおられますが
貴重な話題として聞かせていただいています >>266
私は今年還暦を迎えます。
中学生の頃からテレビで競馬を見始め、ハイセイコーブームで完全にはまりました。
高校の頃に週刊「馬」がペーパーオーナーズゲームをはじめて
勝ち馬の写真を贈呈してくれる企画がありしばしば拙文を投稿していました。
その流れで大学に入ってからは池袋の喫茶店であったアベコーさんや井崎周五郎らとの集まりにも参加していました。
馬券を買うようになったのは大学生になってからで最初に大勝ちしたのはカツラノハイセイコのですね。 >訂正、カツラノハイセイコが勝ったダービーでした
相手筆頭に4歳中距離特別を勝って挑戦してきた
嶋田功騎乗のリンドプルバンを狙い枠連と単勝仕留めました。
リンドプルバンはテルテンリュウの斜行で大きな不利を受けハナ差届かず気の毒でしたが
ハイセイコーの産駒がダービー馬になり感無量でした。 >>261
旧四歳クラシックは、キタノカチドキ世代1974年から見ているので、
キタノカチドキは、その名前の響きの良さと共に強く印象付けられました。
その翌年の菊花賞の前日、サンテレビ( 神戸在住でした )の競馬中継で、
前年の菊花賞のレースが放映され、小崎アナが「 予定通りの勝利 」と実況、
それを受けて、飛鳥井アナが「 今年( コクサイプリンスが優勝 )は予定通りの馬はいないですね 」と語っていたのを何故か憶えています。
>>271
昭和50年ですね。春はカブラヤオー、テスコガビーの両2冠馬が華々しい活躍をしていましたが
秋はリタイヤしたためあまり印象に残っていません。
菊花賞ではヤマゼントップが1コーナーで馬鹿ついて逸走し落馬したシーンはよく覚えています。
ロングホークとファスト、イシノアラシとマサル、エリモジョージ、ハーバーヤング
脇役も多士済々で個性的な馬が多かったと思います。
KBS制作の競馬中継は私も見ていました。ラジオの競馬展望もよく聴いていました。
解説は競馬ブックの中西勉、山田一雄、松本晴夫、内炭重夫、坂本日出男さんらでしたね。 カブラヤオー世代はTTG世代と比べると地味ですが、
ファバージ、フォルティノと当時日本に数少ない世界で通用しそうな種牡馬の産駒の
デビュー年で新馬が始まるのがとても楽しみでした。
当時は血統に興味のある人間なんて少なくてサクライワイがオークスで1番人気になる時代でしたが…。
期待通り夏の北海道でホシボージ、ロングフアストが活躍しましたが、当初期待していたような大物は出なかったですかね。
なにげにこの年はエリモシブレー、ニジンスキー産駒のニジンスキースター、ササフラ産駒のホクエイワンとかいて
血統的には結構派手。
今から考えると面白いですが、ノーザンダンサー産駒で母系も良血のエリモシブレーより、ニジンスキースターの方が
世間的な注目度は上でしたかね。 >>273
私も血統には大いに興味を持ち山野浩一氏、白井透氏などの書物を読み漁りました。
ファバージはテスコボーイ、バーバーに続いて導入され
日本で大成功を収めたプリンスリーギフト系の直仔で
凱旋門賞馬ラインゴールドを輩出していましたから「真打ち登場!」とワクワクしました。
おっしゃる通り当時はマタドア、ミンシオ、サウンドトラックなどの早熟で3歳戦を席巻した
短距離血統馬がクラシックでも過剰に人気するので蹴跳ばす妙味がありましたね。 1973年に変動相場制となりマ動相場制となり輸入自由化も進み良血の外国産馬が入って来ました。
同時に父内国産馬の奨励金が(母内国産も)手厚くなり
限定重賞も定着してシンザン、ダイコーターなどの産駒が増え活躍しました。
この年はタニノムーティエの初年度産駒タニノサイアスが桜花賞でテスコガビーの4着に入り注目されました。
翌年はアローエクスプレスの産駒がデビューしテイタニアが桜花賞に勝ちその後も息長く活躍馬度出しました。 ファバージは大成功、フォルティノも成功した部類でしょうけど、>>274さんのような、そういう期待とは微妙にズレた結果に感じたのは私だけでしょうか?
ビクトリアクラウンとハードバージは相当強かったけどピークが短かったのが残念です。 >>276
ファバージは3歳リーディングも獲りましたしコンスタントに活躍馬を出しましたから成功の部類だと思います。
しかしながら本国でラインゴールドやゲイルーザック、チャンピオンSを勝ったジャコメッティを輩出していたことや、
同じプリンスリーギフトの直仔で既にランドプリンスやキタノカチドキを出していたテスコボーイとの比較から
過度な期待を受け(その後のテスコボーイの大成功もあり)物足りなく感じた人も多かったと思われます。
ちなみに私がファバージの産駒で最も期待したのはギャラントダンサーの弟のバリシニコフでした。
話は逸れますが個人的に導入時の「ワクワクするような」期待感でいうと、
タイプは全く違いますが同じく高齢で輸入されたセントクレスピンも期待が大きかったですね。
フォルティノは期待外れかもしれませんが大好きだったシービークロスを出してくれましたから満足です。(笑) 種牡馬が成功したかどうかは
事前の評判や期待と比べてどうだったかのイメージ評価が多いように思います
名前の出たフォルティノは、かなり前評判が高かったし
セダンなどは、当時の日本でトップ級だったネヴァービートよりはるかに大物
そういわれていました
内国産の方は厚遇されない時代でしたが
時折活躍する馬が出ると嬉しかったですね
リュウファーロスは、アンドレアモン、ロバリアアモンと
関東でダート戦の強い馬を出しました
カブラヤオーからは、ヒテツという馬が出たのを思い出しました >>278
>種牡馬が成功したかどうかは
>事前の評判や期待と比べてどうだったかのイメージ評価が多いように思います
その通りでそれに尽きると思います
逆に評判倒れだったに終わった種牡馬の方が多いですよね。
大コケした馬として思い出すところでは米2冠馬カウアイキング、凱旋門賞馬プリンスロイヤル
少し新しくなりますが、何と言っても英愛ダービーなどGT5勝の年度代表馬グランディですね。 日本を 「種牡馬の墓場」 と呼んだのは
グランディの輸出についての記事だったと思います
スポーティング・ライフの 「ジャック・ローガンの月曜評論」でしたか
日本に行くとその血が欧米競馬社会に戻って来ない
そこで終わりだという意見が当然と思われていた時代でした リュウファーロスの仔ではリュウキコウが阪神3歳S、きさらぎ賞に勝って昭和52年のクラシックに乗りました
息長く活躍し古馬になっても京都大賞典と目黒記念を連勝してテンメイが勝った天皇賞では1番人気になりました
関西ではファンの多かった馬です
昭和50年ごろはダービー出走馬28頭中20頭ぐらいが違う種牡馬の産駒でした。
それぞれ個性があって血統の勉強もし甲斐がありましたね。 グランディは初年度のハギノトップレディをわざわざ英国に運んで付けさせたんですよね。
どうせなら声価の定まった超一流つければいいのに、と思ってしまう。
サンプリンスやラインゴールドも残念なクチ。 グランディは競馬会が供用した馬でしたので九州に流れて行って最期を遂げました。
欧州に返すべきでしたね。
円が強くなってグランディ、ジェネラス、 クリスタルパレス、ファーディナンドなどの大物種牡馬が輸入されるも
日本で大成せずジャパンマネーに皮肉を込めて「名馬の墓場」といわれました時代がありました。 「日本は名馬の墓場」というフレーズは欧米では昔から言われていたようですが
日本ではJCが開催される頃からクローズアップされるようになったと記憶しています。
一流の競争成績を残した種牡馬が日本に適合せず成功しなかったことよりも
輸入馬偏重で内国産種牡馬を冷遇するあまりサイアーラインを繋ぐことが出来ない
当時の状況を指したものだと思います。 グランディ、ジェネラス、ファーディナンドは
向こうで失敗したので日本に来た馬たちですね。 ハードリドンは本国での実績があり輸入前にも持ち込みの活躍馬を多数出していたので
デビュー前から期待が大きかったですね。
初年度からダービー馬ロングエースを出しました。
リニアクインはレベルの高かった世代のオークスを勝ちました。
アイノクレスピンを3馬身ちぎり、勝ちタイムもダービーより早く
ダービーに出ていても勝てた、と言われました。
個人的にはキタノカチドキの僚馬で故障に泣いた二ホンピロスイセイが残念でなりません。 英ダービー馬らしく2400に特化した感じでダービーやオークスでの強さは格別でした。
ハードリドンの父ハードソースはスプリンターだったようですが。 ハードリドンの孫ハードツービートが、仏ダービーを制したのを見て
日本でも、つながっていきそうな血脈かと思いましたが
ロングエース→テルテンリュウで、止まってしまいました
当時の内国産で父系を強く引き継ぐ土壌があったのは
メジロ牧場ぐらいではないでしょうか 〇〇ハードリって馬いましたね
〇〇パーソだとか
変な所で切るのやめてくれよと思ったものです ハードりドンは自身が2000ギニーの勝ち馬ですし本国に残した産駒は短距離系でした。
日本では早くから持ち込みのアスカやハードイットなどが長距離でも活躍していましたね。
70年代に大成功した種牡馬の一頭だと思います。
やはりクラシックディスタンスで活躍した馬の方が印象が強いですね。 >>292
サーペンフロの産駒がサーペンで切られる事案
結構いたね
サーペンプリンス、サーペンアップ、マルブツサーペンなどなど ハードソースからのミスオンワード、ハードツービートとオンワードの樫山氏は縁が深いですね。
ハードツービートが1番人気になった凱旋門賞は2番人気がロベルト。
他にもサンシー、プルバン、エリモホーク、メジロムサシが出ていて勝ったのがサンサン。
1972年の凱旋門賞はずいぶん日本に縁があります
この年には、日本ホースメンクラブも起ち上げられて海外の競馬が身近に感じられるようになりました。
今と違って何年か遅れて海外の競馬の傾向が日本にもフィードバックされるのは
それはそれで楽しかったですね。
最近は種牡馬が日本で競走した馬ばかりになって、確かに親しみやすいのですが
逆に能力も適性もわからない輸入種牡馬が来てそれを推しはかるのを
楽しみにしていた頃がなつかしくなります。 >>293
ハードイットの名前を聞いて思い出したのですが、この馬の血統は残らなかったですね・・・
牝馬ながら神戸杯と京都杯を連勝して、菊花賞でも3着に入ったほどですし、血統的にも名血だと思うのですが。 ハードリドンといえば「関西の雄」ロングホークも好きだったな
関西馬が強くなってからは「関西の雄」という表現は聞かれなくなったが。 思い出したのですが昔
毎日放送(TV)で桜花賞菊花賞天皇賞の当日朝に
調教師も入った座談会?をやってませんでしたか?
覚えているのはシンザンの菊花賞の時に武田御大が出ていた記憶があります ロングホークとテンポイントが対決したオープンを見たかった・・・。 >>299
テンポイントは持ったまま
ロングホークは押して叩いて
名勝負じゃなかったです >>299
昭和40年代は、関東のレースは
夜のダイジェストでも、重賞を取り上げるぐらいでした
でもテンポイントのころになると、注目レースはダイジェストで流れましたよ
反対に関東エリアでの関西レースの放映事情も、同じようなものだと聞きました >>301
ハイセイコーとタケホープが戦った昭和49年秋の東京でのオープンは、折からのハイセイコーブーム
もあってか、近畿放送の競馬中継で生中継で放送されました。
私はそこで初めてヤマブキオーの名前を知る事になりました。 私は関東圏ですが、関西の平場オープンを初めて見たのは
ラッキーオイチがカチドキに勝ったオープンでした。
昼の競馬番組内なのは確かですが、生中継だったか5分か10分くらいの後に
放送したかはよく憶えていません。 >>303
関東はUHF局が、中継もダイジェストも充実していたそうですね >>304
U局の競馬中継、関西と関東の両方をそれぞれ10年以上見ていましたが、レースの合間の企画や
実況そのものは、関西の中継の方が上かなと感じていました。
歴史的にも、近畿放送→KBS京都の競馬中継の方がかなり古いんですよね。 サンテレビで午後10時55分から11時まで
レースダイジェストをやっていました
中央競馬じゃなくて地方競馬・競輪・競艇の結果ですね
園田はラチの代わりにガードレール使ってました >>306
星野亮子さんのオッズ読み、懐かしいですね >>307
やってましたね。たしか最初が競艇で、競馬、競輪の順番でしたが、私の記憶では10分ほどの
番組だったような記憶があります。
競艇の結果を流すときのBGMは、ホットバターの「ポップコーン」でした。 >>309
10分間でしたか、 確かに5分じゃ映像までは無理ですよね
園田競馬を初めて生で見たのはタイムラインがヤマホーマーに負けたレースでした タイムラインと聞くと、あの園田競馬の焼き討ち事件を思い出してしまいます。私は当時園田に住んでいました、
まだ子供でしたが、あの日の騒動を少し覚えています。
家に居ると、急にパトカーらしいサイレンが立て続けに鳴り響き、ヘリコプターが飛んできたりして、てっきり
大阪空港で事故が起きたのではと思っていました。
それが、夕方のニュースで園田競馬場で騒乱が起きたと聞き、園田競馬場で馬券売りとして働いていた近所の
おばさんから話を聞いて、びっくりしたのでした。 水曜はギャンブルホリデーなので尼のボートの客が大勢来てて
出遅れは返還しろと叫んでゴミ箱に火をつけて
大騒動の隙に馬券売場へなだれ込んで現金袋を強奪したんですよね 今年2019年の夏競馬から、降級制度の廃止と共に、
条件クラスの呼称が「 1勝馬クラス 」等に変更されます。
二歳時にOP特別を勝ったり重賞で二着( それも複数回 )があると、
「 3勝馬クラス 」に一勝馬が出走するといった違和感が生じるんでねェ・・・・・
バカな競馬関係者の、1000万下を勝つと賞金が1000万円貰える━━の誤解を防ぐ、なんて話も聞いたのですが、果たして?
本題なんですが、1970年代のオープン←→条件設定ってどうなっていたんでしょうか?
例えば、中距離の名馬−1800mの王者ヤマブキオー
https://ahonoora.com/yamabukio.html
平場のオープンを二勝し、中京記念やダービー卿を優勝しているのに、旧七歳時にアメジストSという条件特別に出走しています。
この時代は、年前半は旧五歳−旧六歳−旧七歳でそれぞれ賞金額を決めて条件編成をしていた「 筈 」ですが、
古馬の重賞を二勝している馬が条件特別に出走するのは・・・・・です。
例えば、カブラヤオー世代の名脇役ロングファスト
https://ahonoora.com/long_fast.html
ダービー&菊花賞二着、それ以外にもきさらぎ賞やダービーTRNHK杯でも二着し、
スワンS勝利の翌日のスポーツ紙は「 悲願の重賞制覇 」の文字の見出しでした。
そんなロングファストも旧八歳時にはジューンSという条件特別に出走しています。
このレースの優勝馬が、菊花賞以来だったグレートタイタン、この時期のグレートタイタンが条件馬なのは分かりますが、
重賞二着四回にスワンSを勝っているロングファストが条件特別出走とは・・・・・・
現代ならば、ダービー二着の賞金一発で、一生オープン馬でしょうから・・・・・
>>310
ヤマホーマー 懐かしい名前です。
アラブだけの時代、馬場改修前の一周1000m時代の園田競馬場で、確か1630mのレコードホルダーでしたね。
オトワヒメと同じ母オトワだった記憶が・・・・・
ついでに、ヤマホーマーの1630mというコトで、園田―姫路のアラブ時代の話です。
アラブの旧三歳の重賞だった市川賞の歴代優勝馬のデータがNARのwebサイトで確認できます。
市川賞ですから、播州平野の姫路競馬場が開催場になるのですが、
1979年以前は姫路競馬場の1630mとなっています。
この1630mはどこにスタート地点が置かれていたのでしょうか?
今の名古屋や笠松の1600m地点? 感覚としては浦和の1600m的な感じ?
園田−姫路の場内予想屋さんの山口信夫氏( 一本書きの人 )に一度尋ねたんですが、そういうコトは憶えていないと返されて・・・・・
※※山口氏とは個人的に親しくしていて、年賀状の遣り取りをしていて、亡くなった時も親族の方から通知を頂きました。
※※氏が残しておられた昔の競馬新聞等を、譲ってもイイよ━━という話もしていたんで・・・・・
>>314 の訂正
オトワヒメの母はスモールセフトでした。
ヤマホーマー オトワ オトワヒメ の三頭が母スモールセフトだった・・・・・??
競馬を見始めた頃はNETテレビ(減テレ朝)で大井競馬の重賞を放送しておりアラブの強豪だった
リキスユリ、スカレー、イナリトウザイ等をライブで見ることが出来ました。アラブ競馬の廃止は本当
に残念でした。 ヤマホーマー 昭和45年生 父センジュ 母スモールセフト
オトワ 昭和46年生 父ミヤマシューホー 母スモールセフト
オトワヒメ 昭和48年生 父エルシド 母スモールセフト
アラブは上が走れば下も走るという典型ですね
姫路の1630は3コーナーの引込線ですよ >>318
姫路競馬場の1630m
今の名古屋−笠松競馬場の1600mみたいに三角の奥に引込線が在って、そこからスタートだったんですね。
今日3月5日は名馬テンポイントの命日です。
あの様な悲劇は二度と繰り返して欲しくは無いです。
坊主頭の中学生時代、塾をさぼって、
一度だけ 阪神競馬場で同馬の走るのを観ました@第11回京都大賞典1976年
そして、阪神百貨店の電器製品売場のテレビで雪辱戦となった1977年第22回有馬記念を視ました。
また高田久成氏や志摩直人氏とも10〜15分ばかりですが、お話しする機会も得ました。
想い出深いテンポイントは、古馬になってからは 誰が何と言おうと 日本最強馬 であると思っています。
( 異論は認めますし、論争はしたくありません )
事実上の「 マッチレース 」となった1977年第22回有馬記念、
先行有利のマッチレースであのトウショウボーイ=武邦彦を、鹿戸明が騎乗して負かした事実は大きいです。
※※同年の第18回宝塚記念
※※芦毛二頭の初対決になった1988年第98回天皇賞(秋)
※※GTレベルでないランドヒリュウが一瞬逃げ切りかと思わせた1988年第18回高松宮杯━━マッチレースは先行有利です。
更には現代では酷量レベルの63kgを背負って 2分27秒台で楽に逃げ切った1977年第12回京都大賞典
関西テレビの杉本清氏のレース実況の音声を集めたLPレコードのライナーで、
志摩直人氏が「 テンポイントの海外遠征が成されないことで日本の競馬は十年遅れる 」と記しておられますが、
旧三歳時に、不良馬場で古馬のオープンより速いタイムで勝ったテンポイントは、
ロンシャンやローレルのタフなコースでも太刀打ちできたと妄想しています。
>>37
私の憶えている限りでは、
後発の 日刊ゲンダイを除いて
現存する 大阪スポーツ 夕刊フジ 以外の消えた夕刊紙は、
大阪新聞<後年は産経新聞系列/この時期は、大学別高校合格者数ランキングが一面に>
関西新聞<晩年はイトマン事件の一端に名を連ねる>
新大阪<週刊ファイトを発行>
新関西・・・・・あんまり記憶が無い。
━━この辺りではないでしょうか?
>>323 の続き
今は朝刊になった 大阪日日 も夕刊紙でした。
>>323
大阪新聞ですが合格者名まで載ってませんでしたか? 3月4日は、福永洋一騎手の落馬事故から40年でした。あの日は、北風の強い、寒い日だった
記憶があります。
福永騎手の現役時代を知る人は、私を含め、結構な年齢になってしまいました・・・ 40年か…
福永さんは桜花賞、皐月賞、菊花賞、春秋の天皇賞
あの時代に短期間でこれだけ勝つのはすごいし
全部違う馬で勝つのもすごい
一番得意なのはやはり桜花賞かな >>323
新夕刊というのもありました
1面トップはいつもプロレス。まだ東スポ大スポのない時代です
地下鉄難波駅では、壁新聞のように夕刊紙が貼られていました
ある日、大勢の人が壁新聞に見入ってるので、何事かと思ったら
「美智子妃、流産」の記事でした
テンポイントの闘病生活のころは、壁新聞も消えていました >>318
スモールセフトは400sそこそこの小柄な牝馬でしたが、本当に子だしが良く
ヤマホーマーからシゲキヨアラシまで父親が違っても5頭連続でオープン馬を出しました。
3頭目のオトワオーと5頭目のシゲキヨアラシは、父タガミホマレで同じでしたが・・・
石川昇騎手、当間進騎手が、乗ってましたね。 アメリカにはカルヴィン・ボレル、別名ボ・レールという騎手がいて
レールとは内埒のことですが、3〜4角で内埒沿いを突いてくる
園田には石川コースというのがありました
「どけ!」 と叫ぶと3〜4角の内埒沿いがぽっかり空くんだそうです
頭の禿げた大ベテランにどけと言われればどきますよね >>325
兵庫県━━神戸新聞
京都府━━京都新聞 に対応する府域紙が大阪府には無いので、
国公立大学については、大阪府出身?大阪府内の高校?からの合格者氏名を掲載していた記憶が有ります。
>>329
流石に 新夕刊 ってのは知りません。
>テンポイントの闘病生活のころは、壁新聞も消えていました
この頃は、まだ地下鉄梅田駅−阪神梅田駅の間の地下スペースには、壁新聞が存在していたと思います。
壁新聞は、キタやミナミのソープランドと同時に、APECアジア太平洋経済協力1995年大阪開催の頃に駆逐された━━のでは?
>>330
当間騎手は、山口瞳『 草競馬流浪記 』園田編に、チラッと名前が出るくらいで、
しっかりした文献では目にしない騎手でしたね。
同書の姫路−紀三井寺編では、氏が姫路競馬場を訪れた前日に生野秀行という若手騎手の落馬が言及されていますが、
この騎手も余り 目にしない騎手ですね。
━━儂が知らないだけかも・・・・・
1976年
春の目黒記念・4番人気・3着
ダイヤモンド・ステークス・2番人気・2着
アルゼンチン共和国杯・2番人気・2着のオウプレスとは、どのような馬だったのでしょうか?
教えて頂けると幸いです。 テルぺリオンの(株)ダイリンも長い馬主さんですね。
黄赤ウロコの勝負服、オーバーレインボーやダニッシュガールが懐かしいです。
その両馬の妹の曾孫がテルぺリオンですね。名古屋大賞典が楽しみです。 >>332
そうですよね、載った記憶があるんですけどもうかなり前のことであやふやなんですよ ちょっとスレ違いになりますが、30年以上前に
今の大河ドラマの主人公のマラソンの金栗さんが主人公の連載小説が掲載されていたような
夕刊フジか大阪新聞だったはず
大河ドラマの主人公に決まってすぐあの人かとわかりましたから掲載は間違いないんですよ >>334
この馬主さん、昔から洒落た馬名を付けるのが良いなぁと思ってました。
オーバーレインボーは懐かしいですね。 昭和45年神戸杯 ダテテンリュウの秋初戦 1番人気大差のビリの原因って何でしょうか?
私は関東人ですが、朝日CC、京都杯はテレビで見た記憶があるのですが
どうも神戸杯を見た記憶がありません
ご存知の方何卒よろしくお願いいたします
しかし、すごい年ですよね ダービー1,2着馬 秋初戦両馬1番人気大差ビリって
ナリタブライアンがスターマンに負けたくらいで大騒ぎになっていたのに… >>338
前の週にタニノムーティエが大差のしんがり負けしたので
それと並列で謎扱いされましたね
一部では、怪奇現象のように扱うむきもありました
ムーティエの方は、ノド鳴りと原因ははっきりしたけど
ダテテンリュウは不明のままでした
翌年の初戦も惨敗したので、初戦は走らない馬という説も出ましたが
これも全然説得力はなかったですね。結局原因不明のままだったと思います
近年のゴールドシップなんかもそうですが
デビューからずっと堅実に走っていたのに
ある時期から急にムラ駆けする馬が、ときどきいますね
こういう馬の見極めは大変です >>339
レスありがとうございます
勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなしの例外でしょうか
関東の大将アローも秋初戦はセントライト出走取消ってカオスですよね
そんな中での京都杯、タニノムーティエが1番人気だったんですね
さすがにこの頃はノド鳴りも判明していたと思いますがすごい信頼度ですね
関東人の私からすればダテテンリュウの最後のシーンは
メジロムサシが勝った天皇賞で馬群から遅れていくシーン
アロー、ムーティエの産駒対決なんていうのも両雄引退後話題になりましたが、この馬はちょっと蚊帳の外
ハイセイコー、タケホープの菊花賞のころまで現役だったとは知りませんでした >>341
父親が買って来た競馬新聞を読むのが、子供の頃の楽しみだったのですが、ある日、オープンの出走馬に
「ダテテンリュウ」の文字を見つけ、「まだ現役だったんか」と思った記憶が、微かに残ってます。 オーナーの浅野氏が何をされた方かは記憶にないのですが
冠号はご自身がお持ちの伊達牧場から取られてたんですよね
名古屋の大馬主さんは京都や阪神に馬を預ける方が多い中で
中京の星川厩舎に預けておられました
名神高速が出来ても阪神までだと片道5時間かかりましたが >>343
確か名古屋で紡績業をやっていたと聞いた事があります。
持ち馬だった皐月賞馬のタイセイホープの「タイセイ」が、会社の名前だった筈です。
紡績業は衰退し、牧場も有珠山噴火の影響で無くなってしまいましたが、今でも時々
「伊達牧場」が馬主の馬が居て、あの勝負服を見る事が出来ますね。 >>344
伊達牧場さん、現在は不動産管理業がメインみたいですね。
北海道伊達市の伊達牧場跡地は一部が道央自動車道が通っており、
別の一部は風力発電会社に譲渡したそうです。 イギリスの有名な障害競走の1つ「チェルトナム・ゴールドカップ」の今年の勝ち馬「Al Boum Photo」の
勝負服が、黄黒元禄・黄袖の、日本では懐かしい勝負服でした。
日本のブゼン・ホウシュウの馬も、障害競走で強い馬を出していましたね。 上田清次郎氏ですね
クロユリやアランバードも上田氏の馬だったと思うのですが
なぜかブゼンでもホウシュウでもないんですよね
ダイコーターは橋元氏から買った馬なので当然ですけど
筑豊の炭鉱がさかんだった頃は勢いがありましたが
晩年はお金に困っておられたような気がします 確か、晩年までは、冠名を付けた馬はかなりの期待馬で、特に「ホウシュウ」の冠名は、
相当期待出来る馬だけだったとか。
活躍馬が出たのは昭和40年代後半までで、50年代は、馬の数はそれなりだったものの、
オープンクラスまで行く馬は居ませんでしたね。
ただ、忘れ形見の様な馬のなかから、コスモドリームやブゼンキャンドルが出てきたのは、
その血の底力を感じたものです。 桜花賞も皐月賞もトライアルを使わないで、年明け初戦のぶっつけの馬が勝ってしまった。時代は変わるのね。 >>333
亀レスですがオウプレス、名前は覚えているんですが
詳しい事はわかりません
手元にある古い競馬本を読み返しても、記述はなかったです
当時の関東は、長距離重賞で好走歴のある馬が何頭もいましたが
その中の1頭だったかとおぼろげな記憶があります >>350
古い競馬本って「優駿」ですか?
ハイセイコーやテンポイントのころは毎月買ってたけど
昔は生産者向けみたいな渋い記事がけっこうありましたね。 >>352
若いころ買った優駿は、もうどこかへ行ってしまってありません
手元に残っていたのは、鵜飼正英氏の単行本です
寺山修司の天井桟敷出身で、寺山さんの影響を受けたのか
文章の調子も似ています
他の本やマスコミでは扱われないような面白いデータを次々と繰り出して
当時としては相当秀逸だと思った一冊でしたよ 優駿! それがありました
なんで気が付かなかったんだろう
オウプレスは府中の森厩舎、菅泰夫騎手です
アルゼンチンは中団の内から4角でしんがり近くまで下がり
大外を追い込んで2着に来たのでした 阿部牧郎さんが亡くなりましたね
関西では競馬好きの作家として活躍されました
ご冥福をお祈りします 今日オークス出走のフェアリーポルカ
血統表を見ると、5代前に
ガーサント、リマンド、エタンが入っています
現在の馬で、昭和の種牡馬がこれだけ入るのは珍しいですね よくよく考えてみると、
図式も結果もマーチス、タケシバオー、アサカオーの三強ダービー(マセた子供の頃に見た)
の再来でしたね。 今年のダービー馬も実質的には逃げたようなものですし
本命馬にちょっとした不利があったのに
2着馬3着馬は本命馬に気を取られて勝ち馬を見逃したと
宮本騎手はタニノムーティエの紅葉盃を乗り損なって
北海道限定のはずだった安田騎手に鞍上が戻っちゃいました
武文師が安田以外乗せないとの一札を入れさせたので… >>359
全く、同じ印象でした
マーチスは、サートゥルナーリアのような出遅れではなかったけど
2コーナーで他馬に乗っかかる不利で後退
最後は、前を行くタニノハローモアとタケシバオーにも届かないどころか
ゴール前、アサカオーにも先着を許しました
ロジャーバローズは、ハローモアと同じ1番枠
ダノンキングリーとヴェロックスが3強の残り2頭というのも同じでしたね 年度代表馬がアサカオー最優秀4歳牡馬がマーチスという年ですね 今週行われる安田記念がGTで、鳴尾記念がGV
昔から知る者としては、?と思うときがあります
グレード制以前は、鳴尾記念の方が出走馬も賞金も格上だったかと
他にも、偉くなったレース、逆に格下げになったレースもいろいろありますね グレード制導入されてからも変動がありますよね
鳴尾記念も一時はG2でしたし、高松宮杯も最初はG2ですし
スプリンターズSもG3から徐々に上がっていきました
CBC賞もG3になったりG2になったり