オルフェーヴルと共に挑むと思っていた凱旋門賞が夢に消えたのは、函館開催最終日だったという。

「レースが終わって、函館から札幌に移動する時に、池江先生とオーナーから電話が入って。『ごめん。申し訳ないけど』って。
聞いた時は、もう頭の中が真っ白でした。とりあえず札幌まで移動して、もう忘れようと思ってお酒を飲みました。いつもだったら絶対潰れてるくらいの量を飲んだんですけど、一切酔えなかったです。
朝まで飲んでも、全然酔えなくて……。凱旋門賞へ行けるんじゃないかって思える馬との出会いなんて、一生に一度あるかないかですからね。本当にショックでした」

「宝塚記念を回避した時に、正直もう乗れることはないのかなと思ってました。それがまた最後に有馬記念に乗れる。もう嬉しいっていう気持ちがほとんどですね。
プレッシャーよりも、乗れる喜びの方が今は大きいです。久しぶりにオルフェーヴルの背中に乗るわけですけど、やっぱり全然違います。すごくいいですよ。気持ちいいです。
『ああ、オルフェーヴルに乗ってる』って思います。調教だけでも緊張しますね」

頂点に立つ喜びと、騎手を辞めたくなるほどの苦悩を教えてくれたオルフェーヴル。池添にとって、どんな存在なのだろうか。

「与えてもらったものが大きすぎますよね。三冠ジョッキーにしてもらったし、走る馬っていうのはこういうものなんだ、こういう背中なんだっていうのも教えてもらいました。
この先ジョッキーをやっていく中で、これは大きな財産だと思います。この馬とは、本当に色んなことがありましたからね(笑)。
メンタル面はすごく強くなったと思いますよ。そうじゃないと多分やっていけないから。本当に特別で、感謝してもしきれない馬ですね」

凱旋門賞には2年連続挑み2着2回。頂点獲りこそならなかったが、世界トップレベルの実力を示した。まだやれる、来年こそ凱旋門賞制覇を‐。そう願うファンも多いだろう。
ただ、日本の至宝ともいうべき血統を継承する使命がある。今後は北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送る。
「もちろん、オルフェーヴルの子でフランスへ行きます」。世界の頂点を獲る夢は、その子どもたちに託される。