残念ながら、客観的に見ると「オグリキャップ感動のラストラン」はあくまで「人間が妄想して作り出した物語」でしかありません。

世間で感動美談として多くの話題と感動をさらった、オグリキャップの感動のラストランですが、
残念ながら、あくまで人間が作り上げた物語でオグリキャップという馬個体には関係ない話です。
なんというか、馬という動物を人間のスポーツ選手に擬人化して作ったストーリーです。

馬が重賞レースで優勝するとかいうのは別に馬自身には嬉しくもなんともないのです。
だいたい、なぜ「このレースが自分のラストランだ」なんてオグリが理解できるのかわからないです。
馬にそんな知能があるわきゃないです。馬は多分、重賞レースの意義どころか競馬のルールすら理解せずにただお尻を叩かれて走ってるだけです。
例えて言えば、カタツムリレースで優勝したカタツムリが嬉しいわけでもなんでもないのと同じです。
あるいは競艇競輪で勝ったモーターボートや自転車自身が嬉しくないのと同じです。

有馬記念は大変な重賞タイトルですが、馬自身が有馬記念の歴史だの意義だの権威だのを理解できる知能があるわきゃないでしょう。
多くの人を感動させ涙を流させたオグリキャップの有馬記念優勝での感動の引退劇もあくまでオグリキャップを擬人化し人間が作った物語の中での美談であって、
オグリ自身にしてみればなんの意味も価値もないことで、それよりもニンジンの一本も貰ったほうが一億倍も嬉しいのです。

あと、子供の頃の私は競馬で大きなポールの前を最初に通った馬が勝ち馬だと説明されるまで理解してませんでした。
人間ですら、そうなのですから、競走馬自体はルールすらも理解せずにただ走っているだけだと思われます。