反骨の歌人・篠原俊則
21年10月31日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
秋の日の朝の陽ざしのなかに立つみずから光るごとき黒山羊 (馬場あき子 選)
あの夏の熱きひと日の輝きよユニフォーム脱ぐハンカチ王子 (佐佐木幸綱 選) 21年11月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
髪の毛が黒でなければならぬ理由語れず生徒に黒を求めき (馬場あき子 選) 21年11月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「本人」と大きく書かれたマスクあり選挙用品商う店に (佐佐木幸綱 選)
投げるのが怖かったと言う松坂のヒゲには白きヒゲも交じれり (高野公彦 選)
「怪物」も「王子」も浮かべる投げられぬ悔しさよりも安堵の表情 (永田和宏 選) 21年12月05日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「化石賞」とるため総理は専用機使いイギリス往復をせり (高野公彦 選) 21年12月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
難民の少女がカメラ見つめおり「so cold」と額に書いて (馬場あき子 選) 22年01月09日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
社会不安あおった罪にスーチー氏を裁く軍部が不安を煽る (佐佐木幸綱 選) 22年01月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
メルケルの十六年に日本の総理は九人入れ替わりたり (馬場あき子 選)
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>>188の一首目の歌が「第38回 朝日歌壇賞(高野公彦 選)」に選ばれる。 22年01月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「ふざけんな」国の隠蔽体質を鋭く衝けり赤木氏の妻 (佐佐木幸綱 選)
賠償金払って「森友」隠すこと妻の願いを踏みにじること (高野公彦 選) 22年01月30日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
文通費庶民はきっと忘れるさ年末年始過ぎるころには (永田和宏 選) 22年02月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
核戦争回避を言えり核兵器廃棄をしない五カ国寄りて (永田和宏 選)
基地からの感染拡大抗議すらできない国に我らは生きる (馬場あき子 選)
「基地からのしみ出し」と言うウイルスが自ら意志を持ちいるごとく (高野公彦 選) 22年02月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
抜きたての大根洗えば初めての光と水をはじく真白さ (馬場あき子 選)
こんにゃく屋傘屋刃物屋ものひとつ作って暮らしていけたあの頃 (永田和宏 選) 22年02月20日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
名を持たぬ雑種が気楽でいいよなと二匹の保護猫膝に酒飲む (馬場あき子 選) 22年03月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
真愛ちゃんが乗ったのだろう補助輪のついた自転車現場に残る (永田和宏 選) 22年03月27日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
夜の闇に乗じて移動する軍をロシアは「平和維持軍」と呼ぶ (高野公彦 選)
ウクライナの民の命を奪う国ロシアが安保理議長を務める (永田和宏 選) 22年04月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ロシアの兵ウクライナの兵前線の兵の誰にも母がいること (永田和宏 選)
一杯の紅茶とパンに涙する捕虜となりたるロシアの兵士 (馬場あき子 選) 22年04月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
爆撃に怪我した妊婦を兵士らが運ぶ二人の命を運ぶ (佐佐木幸綱 選)
壁の無きキエフのアパート部屋ごとに暮らしがあった命があった (高野公彦 選)
侵略のニュースの解説専門家は「落としどころ」と幾度も言えり (永田和宏 選) 22年04月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
戦争は「始まる」ではなく「始める」であるとつくづく思う如月 (永田和宏 選)
銃撃に腕失いし九歳の少女はピンクの義手を欲るとぞ (馬場あき子 選) 22年04月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「子どもらの未来の自由を守るため」男ら言いてキエフに残る (高野公彦 選)
戦場に掘られた穴に重なれり納体袋に納体袋が (永田和宏 選) 22年05月01日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
火柱のロシアの戦車に溜飲が下がるそこにも人がいるのに (永田和宏 選)
戦争をしない生きもの春の野に雲雀と燕がこぼすさえずり (馬場あき子 選)
百四十三個のテディベア並ぶロシアの奪いし子どもらの数 (高野公彦 選) 22年05月08日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
実習生増えるふるさと初めての夜間中学開校をせり (佐佐木幸綱 選)
暖房の無き地下壕に新生児抱きて暖め続けし看護師 (高野公彦 選) 22年05月15日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
その靴とズボンで夫を見分けたと妻が戦争の惨さを語る (佐佐木幸綱 選) 22年05月22日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
犬の目はただ真っ直ぐで人であることが時々罪に思える (高野公彦 選)
核のあるこの世に生まれ核のあるままのこの世を去らねばならぬ (永田和宏 選) 22年06月05日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
爆音のとどろく街のアカペラの女性兵士の清き歌声 (高野公彦 選)
封筒の厚さと重さが君からの最後の手紙と教えてくれた (永田和宏 選) 22年06月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
教職を辞めて気づけりチャイムにはかくものどかな響きあること (高野公彦 選)
投降のウクライナ兵の行き先が「カティンの森」ではないこと祈る (永田和宏 選)
投降の兵は護送のバスの中軍用犬の頭撫でおり (佐佐木幸綱 選) 22年06月26日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
人びとが来世の結婚祈りつつ花入れる若き兵士の棺 (馬場あき子 選) 22年07月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
戦況を語るテレビの解説者ひとつの国を色分けしつつ (永田和宏 選) 22年07月10日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「訳あり」の野菜と果物並べられ「訳あり」だらけの人間が買う (高野公彦・馬場あき子 選)
名を呼ばれ頬撫でられるためせめて母国へ帰れ兵士の遺体 (永田和宏 選) 22年07月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
造る人売る人買う人使う人 人から人へと渡りゆく武器 (高野公彦 選) 22年07月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
母の日と父の日がやっと終わったと言いし教え子今に忘れず (永田和宏 選)
嫁いでも好み忘れず父の日のモネのヨットの絵の図書カード (高野公彦 選) 22年07月31日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「底辺の仕事」という記事底辺の人間いるかのごとき発想 (佐佐木幸綱 選) 22年08月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
逃げもせず声上げもせず銃撃の現場スマホに撮りいる人々 (高野公彦 選) 22年08月14日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「民主主義守る国葬」国会の議論も経ずに決定をする (高野公彦 選)
缶ピース長髪下駄履き思草寮まだ何者でもなかった私 (永田和宏 選)
マリトッツォ作る手立ても銃作る手立ても検索できる「便利さ」 (馬場あき子 選) 22年08月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
四国から出ることはもうないだろうちちはは眠る墓まで歩く (佐佐木幸綱 選) 22年08月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
不安さえ商品として売り出せり「認知症保険」「孤独死保険」 (馬場あき子 選)
国葬の国費があれば幾人の孤児の食事が作れるだろう (高野公彦 選) 22年09月04日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
放置され二歳の姉は一歳の弟励まし車中にありしか (永田和宏 選) 22年09月18日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
一期目の民生委員の三年に八人見送り二期目を迷う (高野公彦 選) 22年09月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
大根にも葱にも泥がついていた釣銭のざるありし店先 (永田和宏 選) 22年10月02日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
送られる政治家よりも送ること決めし政治家の目立つ国葬 (永田和宏 選)
「時代ガチャ」あるかもしれぬバブル期の親を羨む子どものツイート (馬場あき子 選) 22年10月09日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「人間はあずらなんだら死ねんのや」窪んだ目をした老女が言えり (高野公彦 選)
見るための写真ではなく若者は見せる写真を幾枚も撮る (佐佐木幸綱 選) 22年10月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
千奈ちゃんの献花台には花よりもペットボトルの多く並べり (永田和宏 選)
家族葬の会館となる 若者の減りゆくまちの結婚式場 (高野公彦 選) 22年10月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「丁寧に」「真摯に」「重く」意味のなき枕詞の生まれし国会 (馬場あき子 選)
在任の長さではなく敬愛の深さの違いを思う国葬 (永田和宏 選) 22年11月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
プーチンは「ヒロシマナガサキ」使いおり三度目脅す材料として (高野公彦 選) 22年11月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
攻めること「軍事作戦」などと言い攻めらるること「テロ」と言い張る (永田和宏 選) 22年11月20日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
掛け売り帳ありし頃には買い物に言葉があった人間がいた (馬場あき子・佐佐木幸綱 選)
「侵攻に後悔はない」戦場に行かなくていいプーチンが言う (高野公彦 選) 22年11月27日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
この星にもともと無かりし国境を決めし時より戦争はある (永田和宏 選) 22年12月04日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
梨泰院の雑踏に知る生き物の体の重さも凶器となること (高野公彦 選)
足跡のついた衣服や血のついた靴をカメラは執拗に追う (永田和宏 選) 22年12月11日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
乳牛の雄の仔牛は百円に買い叩かれる秋の競り市 (馬場あき子 選)
唯一の救いは死刑の命令を一度も下さず辞めたりしこと (佐佐木幸綱 選) 22年12月18日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
日韓の首脳の挨拶通訳が本人よりも頭を下げる (永田和宏 選) 22年12月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
大臣も国会議員も仕事中居眠ることができる生業 (高野公彦 選) 23年01月08日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「人は皆必ず死ぬ」とプーチンが戦死の兵の母に言いたり (高野公彦 選) 23年01月15日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
真珠湾攻撃の日に防衛費のための増税総理は決める (馬場あき子 選) 23年01月22日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「平和への貢献」と言いバイデンは防衛強化の日本を褒める (高野公彦 選)
初めてのみどりご妻より受くるごとくメッシはワールドカップを抱けり (永田和宏 選) 23年01月29日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
殺処分終えし鶏舎に静けさと白き轍のくきやかにあり (佐佐木幸綱・馬場あき子 選)
鶏の声が耳から離れぬと処分を終えし男が泣けり (高野公彦 選) 23年02月12日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
式典に酒飲み暴れいる二十歳戦場に銃構える二十歳 (永田和宏・高野公彦 選) 23年02月26日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「異次元の少子化対策」財源も示さず論ずる総理の異次元 (高野公彦 選)
「国民の命を守る」ための武器それが命を危険に曝す (永田和宏 選)
あと一期民生委員を務めんと決め新しき手袋を買う (馬場あき子 選) 23年03月12日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
バタフライ地雷、花びら地雷という優しく美しき名をもつ兵器 (高野公彦 選) 23年03月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
救出の度に拍手の沸くトルコ拍手沸かざりウクライナには (馬場あき子 選)
休み時間短すぎると子ら読みき学級文庫の「はだしのゲン」を (高野公彦 選)
教材の「はだしのゲン」を差し替える広島なのに広島なのに (永田和宏 選) 23年03月26日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「戦争の収束はまだ」戦争をコロナのごとく識者が語る (永田和宏 選) 23年04月02日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
幼子がゲーム画面に人を撃つ薄き笑いを浮かべつつ撃つ (永田和宏 選) 23年04月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
水を飲む二匹の猫の柔らかき舌音聞こゆる春のあかつき (馬場あき子 選) 23年04月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
こんなにも豊かな笑顔をもっていたマスクを着けず下校する子ら (高野公彦 選)
「新兵を募集してます 要るものはあなたの命ひとつだけです」 (永田和宏 選) 23年04月30日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
給付金配るニュースにああそうかもうすぐ選挙なのかと気づく (高野公彦 選)
三越のライオン像もハチ公もマスク外せる春となりたり (永田和宏 選) 23年05月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
四畳半共同便所不便さが青春だったと思える昭和 (永田和宏 選) 23年05月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
マイナンバーカードが電子徴兵に使われるかもしれない未来 (高野公彦 選)
戦争はこうして静かに忍び寄る学術会議への人事介入 (馬場あき子 選) 23年06月04日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ただ一度生まれ来たりし悲しみを詠みし男もべラフォンテも逝く (永田和宏 選) 23年06月18日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
羊の毛刈りゆく男ははつ夏を知らせるごとく村を巡りき (馬場あき子 選)
ロシアにもウクライナにもいるだろう教え子の死を知りし教師が (永田和宏 選) 23年06月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
核の無き世界を論ずるサミットで核のボタンの真黒き鞄 (高野公彦 選) 23年07月09日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
まだ選挙終わらないから財源ははっきり言わぬ少子化対策 (高野公彦 選) 23年07月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ダンスなど躍らなかったあの頃の東海林太郎の直立不動 (佐佐木幸綱・永田和宏 選) 23年07月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「丁寧に説明をする」処理水の放出はもう既定という意味 (高野公彦 選) 23年08月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
父の日の図書カードもてもう一度読まんと「御宿かわせみ」購う (高野公彦 選) 23年09月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
レジ前のビニールシート外されて笑顔と声の柔らかき朝 (高野公彦 選)
人間の値打ちを言っているようで聞くのが苦しい「最低賃金」 (永田和宏・馬場あき子 選) 23年09月10日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
より多く命を奪う武器を持つことを抑止と為政者が言う (永田和宏 選) 23年09月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
行きました見ました説明しましたと言うためだけに福島へ行く (高野公彦 選) 23年10月01日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
マンモスの牙守り来しシベリアの凍土溶けだし盗掘進む (高野公彦 選)
スーパーに「昆虫釣り」の出店見ゆ子らが遊びに命釣上ぐ (馬場あき子 選) 23年10月08日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ウクライナ七万ロシア十二万侵略なくばまだ在りし人 (永田和宏 選) 俳人の長谷川櫂とやらいう変態山出しオカマは
妻子に隠れてゲイの発展場へ忍び込んでは、
男と見れば見境なしに言い寄っては悉く断られたり
他の男性の性器を覗き見たり、更衣室に隠しカメラを据えて盗撮をしたり
等々と口には出来ない淫猥な所業を働いているという。
東海大学においても、男性教員や男子学生たちにセクハラ行為を続けては
物議を醸しているとのこと。
この変質者は、熊本県下のド田舎チョン部落出身者で、劣等感の塊。嫉妬心と猜疑心、醜い心根から
優れた人々を中傷誹謗して回っている下の下、最低最悪のクズだ!
こんな最下等のチョンを蔓延らせて居ては断じて良く無い!!
この長谷川チョンについて詳しくは「長谷川隆喜」で検索してみるといい。 23年10月22日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
寺を継ぎ僧となりたる教え子に知らず知らずに敬語を使う (馬場あき子 選) 23年10月29日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
訪露してロシアの勝利を信じると言いし日本の国会議員 (高野公彦 選)
駅前の更地となりし古書店のはたきの親爺の今を思えり (永田和宏 選) 23年11月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
あちこちの壁に当たりて向き変えるルンバのごとき総理の施策 (高野公彦 選)
壁薄き下宿ラジオを耳に当て一人アリスを聴いていた夜 (永田和宏 選)
この子らが泣くためだけに生まれしとは思いたくなきガザの映像 (馬場あき子 選) 23年11月26日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
怪我の子を抱きて「神よ」と叫びつつ瓦礫のなかを走る父親 (馬場あき子 選) 23年12月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
漱石も驚きおらん運転士不足の坊ちゃん列車の休止 (高野公彦 選) 23年12月10日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
四時間の戦闘休止ガザ地区の幼き子らの二十時間よ (永田和宏 選) 23年12月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
角打ちの酒屋も湯屋もなくなりて表情薄き冬の町並み (高野公彦 選) 23年12月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
八十年前にはありき招集が召集だった暗き時代が (永田和宏 選)
「樹木葬、散骨できます」寂れゆくこのふるさとのための折り込み (馬場あき子 選) 24年01月14日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
周庭氏の亡命に知る生まれしより我がもつ自由の意味と重さを (馬場あき子 選) 24年01月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
図書館船の就航を待つ瀬戸内に浮かぶ小さな島々の子ら (高野公彦 選)
涙して「悔しい」と言う副大臣まるで自分が被害者みたいに (永田和宏 選) 24年01月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
紙の本、紙の新聞 アナログの言葉は真っ直ぐ心に届く (高野公彦 選)
児童より父母と祖父母の多くいる小学校のマラソン大会 (馬場あき子 選) 24年02月11日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
焼酎を呑む日々なれど燗酒を今宵は飲まん「舟唄」思い (馬場あき子 選) 24年02月18日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
時という包帯がある PKを外し芝生に泣き伏す少年 (高野公彦 選)
「頑張れ」と入試の朝の教え子に言ってしまったあの時の悔い (永田和宏 選) 24年02月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
良心の呵責ではない 死を前に自分に戻りたかった「桐島」 (永田和宏 選) 田中恵子という変質者に関して
かの悪名高い「久美浜出身の田舎者チョンババア」=「田中恵子」めを屠殺してしまえ!
昭和34年生まれで、「田中貞夫」の私生児として生まれたらしいが、もちろん躾けも何もない捨て育ち。
生来、知能が低く、お情けで久美浜高校を卒業させて貰った低能児。
そのせ人並みに扱われると何を勘違いしたのか、のぼせ上がって身の程知らずの大口を叩いたり、
目上の人たちに無礼な言動を繰り返したりする有り様。
京都の呉服問屋に拾って貰っておきながら、恩を仇で返すような畜生以下の振る舞いを重ね、
醜女のくせしてケバイ化粧をして恥じない正真正銘の化け物スベタ。
男性と見れば相手構わず色気を出しては言い寄る為体だが、もちろん誰にも相手にされぬ不様さ。
なれの果ては、因果の報いで梅毒に全身をおかされ、もともと低い鼻は腐り落ち、野垂れ死に寸前とのこと。
こんな卑しい朝鮮女に国土を穢されてはならないから、一刻も早く殺処分にして半島へ送り返そう。
この超ドブスババアの写真を見たら、あまりの醜さに全員そろって卒倒するのは間違いないぞ!
この「田中恵子」という化け物は、悪行の酬いで黴毒に冒されて鼻は崩れ落ち、正真正銘の怪物となり
後は野垂れ死にを待つばかりだという噂が聞こえてきた! やはり「悪因悪果」はあるものだ!!!
目下の悪疫の元凶は中共の武漢と云うより、久美浜穢多部落の田中恵子だと言えるだろう!!!!!!!!!!! 24年03月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
政治家の息子や娘が政治家になるこの国の多臓器不全 (高野公彦 選) 24年03月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
質問に答えず言質を取られぬよう意味無き言葉を連ねる総理 (高野公彦 選) 24年03月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
もみ殻に売られいたりしあの頃の卵は確かな重さもちいき (永田和宏 選) 24年03月31日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
百歳を迎えし村山富市の両の眉毛の長さと白さ (永田和宏 選)
ハルキウの地下鉄の駅空見えぬ教室があり児ら学びいる (馬場あき子 選)
「脚はもうないのに足が痛む」と言うベッドの上のウクライナ兵 (高野公彦 選) 24年04月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「勇気ある国際的な女性賞」五ノ井里奈さんに贈るのは日本ではなくアメリカだった (馬場あき子 選) 24年04月14日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
卒業の高校生が船長に花束渡す小豆島港 (馬場あき子 選) 24年04月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
手を合わせプールへ深き礼をする五輪出場決めし璃花子は (高野公彦 選) 24年04月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
人間の形に白き布巻かれ遺体がガザの瓦礫に並ぶ (永田和宏 選)
店主泣き客も泣きつつ手を握る輪島の出張朝市の店 (馬場あき子 選)
裏金の議員の処分を急ぎおり真相を闇に葬らんとし (高野公彦 選)