反骨の歌人・篠原俊則
20年11月15日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
スーパーに入りたる熊を「駆除」せりとニュースは伝う「射殺」と言わず (馬場あき子 選) 20年11月22日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
一枚の葉書に一首 沈黙の善人などでありたくはない (永田和宏 選)
登るべき山を語らず木を語るビジョン乏しき所信表明 (佐佐木幸綱 選) 20年11月29日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
トランプの話す英語は分からぬ美しくないことは感じる (永田和宏 選) 20年12月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
コロナ禍の七万人の失職者「越冬」という言葉を思う (高野公彦 選)
任命拒否された教授が案じいるゼミ学生の就職活動 (永田和宏 選) 20年12月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
認めない大統領と答えない首相はどこか似てる気がする (永田和宏 選) 20年12月27日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
コロナ禍の視察の知事を玄関に並び待ちいる医師らの心 (永田和宏 選)
購入日記したアイロン「昭和」という母の拙き文字がまだある (高野公彦 選) 21年01月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「危機感を共有せよ」と危機感のない大臣が国民に言う (高野公彦 選) 21年01月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
襁褓してコロナ重症患者らを看護するとう夜勤看護師 (高野公彦 選)
監督に抱きつく勝者と監督に抱かれる敗者に分かつ勝負は (永田和宏 選) 21年01月31日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
元日の朝に保健所職員が感染経路追えぬを詫びる (佐佐木幸綱 選) 21年02月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
三が日レタス植えおりコロナ禍に母国へ帰れぬ実習生が (馬場あき子・佐佐木幸綱 選)
戸を開けてくれぬ老人エアコンの音に生存確認をする (高野公彦 選)
飲食が感染場所だと語りおりGoToイートを進めた総理が (永田和宏 選) 21年02月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ワクチンもオリンピックも政権を維持するための道具ではない (永田和宏 選)
待機中亡くなる庶民と感染後すぐに入院できる議員と (高野公彦 選) 21年03月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
黒人のワクチン接種は白人の一割にすら満たぬアメリカ (高野公彦 選) 21年03月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
肘当てを縫いたるセーター丁寧に生きいし母のひと世を思う (高野公彦 選) 21年04月04日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
水平に銃を構えて民を撃つミャンマー兵を「国軍」と呼ぶ (永田和宏 選) 21年04月11日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
民主派を一掃する法成りしこと周庭氏らは獄に知らざり (永田和宏 選) 21年04月18日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「文春」に怯える与党も「文春」に頼る野党も我ら選びぬ (永田和宏 選) 21年04月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
死の意味をいまだ知らざる七歳の少女の命を奪う銃弾 (永田和宏 選)
ミャンマーの少女の射殺子どもらの未来はいつも大人が奪う (高野公彦 選) 21年05月02日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
レタス獲る人のライトと異国語が静かに動く夜明けの畑 (佐佐木幸綱 選) 俺は35年ぐらい前に12時間夜勤バイトをやっていた
当時出始めた裏ビデオを見るビデオデッキと裏ビデオを買うためだ
当時ビデオデッキは10万以上したし裏ビデオも1本1万近くした
当時のバイト仲間は目的はみな同じで早く見たいな〜といつも話していた
そして売ってる店を探すのも一苦労だったしこっちから選ぶことはできなかった
裏くださいと言って店員が出したものをただ買うだけだった
そしてそれが今で言うハズレでも決して頭には来なかった
なぜなら万個が見れればそれで十分だったからだ画質内容最悪、モデルがおばちゃんでも僕たちは固唾を呑んで見守った
それが今ではどうだ、クリック1つでただで万個が見れる
しかも画質最高モデルも芸能人と変わらないくらいかわいい子が多い
にもかかわらずやれ内容がどうだ、女がどうだと来る、ただでひとんちの娘の万個が見れるのにだ
確かに好き嫌いはあるだろう、しかしゴミ箱に捨てるときちょっと思い出してほしい
その昔、ただ万個を見るためだけに必死にがんばって働いてた男たちがいたことを 21年05月09日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「どうかどうかどうか行動を」ミャンマーの大使は声を震わせ訴う (馬場あき子 選) 21年05月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「処理水」の入った瓶を持つ総理両手に真白き手袋をして (高野公彦 選) 21年05月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「路上飲み」「マスク警察」「帰省狩り」コロナは日本の言葉も汚す (佐佐木幸綱 選)
「処理水の放出」と言い「汚染水の遺棄」とは言わぬ為政者たちは (高野公彦 選) このスレッドは過去ログです
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4 21年05月30日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「処理水」を放出するしかできぬのに美浜3号機再稼働する (馬場あき子 選)
「県境を超えるな」と言い国境を超える五輪を止めぬ都知事 (永田和宏 選) 21年06月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
決断のできぬ総理は常に言う「総合的に判断する」と (高野公彦 選)
六割が改憲望む四割に私はいよう初夏の空見る (永田和宏 選) 21年06月20日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
薔薇の根の思わぬ深さ 目に見えぬところにいつも真実はある (高野公彦 選) 21年06月27日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
根拠無きコロナ対策定まらず総理の揺れる視線のように (永田和宏 選) 21年07月11日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
作曲家よりも寺内貫太郎だった昭和の父親だった (高野公彦 選) 和歌山出身の下村拓郎様(35歳、元自衛隊)は天才的な頭脳と最高の人間性を有しているよ 21年07月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「今日だけは泣かせてほしい」廃刊の蘋果日報の記者言いしとぞ (馬場あき子 選)
「痛別」が辛い別れの意味と知るリンゴ日報の一面の文字 (高野公彦 選)
子や孫に読ませんとして人々が購う最後の「リンゴ日報」 (永田和宏 選) 21年08月08日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
人間を人間のまま救わんと泥にまみれて泥を掻く人 (永田和宏 選) 21年08月15日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ウイルスに勝てない証 観客のいない五輪の開会式は (馬場あき子 選) 21年08月22日(日)朝日新聞東京版朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
金メダル選手へ祝いの電話する姿をテレビに撮らせる総理 (高野公彦 選) 21年08月29日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「オリンピック観るくらいなら眠りたい」現場の激務を語る看護師 (永田和宏 選)
「ママ、ママ」と呼んだのだろうか炎天のバスに閉じ込められた園児は (馬場あき子 選) 21年09月05日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
記者が問い総理が答える「責任」の意味の重なること無き会見 (永田和宏 選) 21年09月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
対策の捗っている現場しか視察をしない政治家たちは (永田和宏 選) 21年10月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
独り居の老女の安否確認を終えて跨るサドルの熱さ (高野公彦 選)
「逃げられる人はいいよ」と退陣のニュースに居酒屋店主はポツリ (永田和宏・佐佐木幸綱 選) 21年10月10日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
コロナには動かぬ議員が総裁の不出馬を知り蠢き始める (佐佐木幸綱 選) 21年10月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
幾重にも畳みてホームレスは待つワクチン集団接種のチラシ (馬場あき子 選) 21年10月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
命無き身体の重さ 撥ねられし鹿を四人の男が運ぶ (高野公彦 選)
熱湯に逝きしあなたがいたことを私は必ず覚えていよう (永田和宏 選) 21年10月31日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
秋の日の朝の陽ざしのなかに立つみずから光るごとき黒山羊 (馬場あき子 選)
あの夏の熱きひと日の輝きよユニフォーム脱ぐハンカチ王子 (佐佐木幸綱 選) 21年11月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
髪の毛が黒でなければならぬ理由語れず生徒に黒を求めき (馬場あき子 選) 21年11月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「本人」と大きく書かれたマスクあり選挙用品商う店に (佐佐木幸綱 選)
投げるのが怖かったと言う松坂のヒゲには白きヒゲも交じれり (高野公彦 選)
「怪物」も「王子」も浮かべる投げられぬ悔しさよりも安堵の表情 (永田和宏 選) 21年12月05日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「化石賞」とるため総理は専用機使いイギリス往復をせり (高野公彦 選) 21年12月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
難民の少女がカメラ見つめおり「so cold」と額に書いて (馬場あき子 選) 22年01月09日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
社会不安あおった罪にスーチー氏を裁く軍部が不安を煽る (佐佐木幸綱 選) 22年01月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
メルケルの十六年に日本の総理は九人入れ替わりたり (馬場あき子 選)
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>>188の一首目の歌が「第38回 朝日歌壇賞(高野公彦 選)」に選ばれる。 22年01月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「ふざけんな」国の隠蔽体質を鋭く衝けり赤木氏の妻 (佐佐木幸綱 選)
賠償金払って「森友」隠すこと妻の願いを踏みにじること (高野公彦 選) 22年01月30日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
文通費庶民はきっと忘れるさ年末年始過ぎるころには (永田和宏 選) 22年02月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
核戦争回避を言えり核兵器廃棄をしない五カ国寄りて (永田和宏 選)
基地からの感染拡大抗議すらできない国に我らは生きる (馬場あき子 選)
「基地からのしみ出し」と言うウイルスが自ら意志を持ちいるごとく (高野公彦 選) 22年02月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
抜きたての大根洗えば初めての光と水をはじく真白さ (馬場あき子 選)
こんにゃく屋傘屋刃物屋ものひとつ作って暮らしていけたあの頃 (永田和宏 選) 22年02月20日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
名を持たぬ雑種が気楽でいいよなと二匹の保護猫膝に酒飲む (馬場あき子 選) 22年03月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
真愛ちゃんが乗ったのだろう補助輪のついた自転車現場に残る (永田和宏 選) 22年03月27日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
夜の闇に乗じて移動する軍をロシアは「平和維持軍」と呼ぶ (高野公彦 選)
ウクライナの民の命を奪う国ロシアが安保理議長を務める (永田和宏 選) 22年04月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
ロシアの兵ウクライナの兵前線の兵の誰にも母がいること (永田和宏 選)
一杯の紅茶とパンに涙する捕虜となりたるロシアの兵士 (馬場あき子 選) 22年04月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
爆撃に怪我した妊婦を兵士らが運ぶ二人の命を運ぶ (佐佐木幸綱 選)
壁の無きキエフのアパート部屋ごとに暮らしがあった命があった (高野公彦 選)
侵略のニュースの解説専門家は「落としどころ」と幾度も言えり (永田和宏 選) 22年04月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
戦争は「始まる」ではなく「始める」であるとつくづく思う如月 (永田和宏 選)
銃撃に腕失いし九歳の少女はピンクの義手を欲るとぞ (馬場あき子 選) 22年04月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「子どもらの未来の自由を守るため」男ら言いてキエフに残る (高野公彦 選)
戦場に掘られた穴に重なれり納体袋に納体袋が (永田和宏 選) 22年05月01日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
火柱のロシアの戦車に溜飲が下がるそこにも人がいるのに (永田和宏 選)
戦争をしない生きもの春の野に雲雀と燕がこぼすさえずり (馬場あき子 選)
百四十三個のテディベア並ぶロシアの奪いし子どもらの数 (高野公彦 選) 22年05月08日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
実習生増えるふるさと初めての夜間中学開校をせり (佐佐木幸綱 選)
暖房の無き地下壕に新生児抱きて暖め続けし看護師 (高野公彦 選) 22年05月15日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
その靴とズボンで夫を見分けたと妻が戦争の惨さを語る (佐佐木幸綱 選) 22年05月22日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
犬の目はただ真っ直ぐで人であることが時々罪に思える (高野公彦 選)
核のあるこの世に生まれ核のあるままのこの世を去らねばならぬ (永田和宏 選) 22年06月05日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
爆音のとどろく街のアカペラの女性兵士の清き歌声 (高野公彦 選)
封筒の厚さと重さが君からの最後の手紙と教えてくれた (永田和宏 選) 22年06月19日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
教職を辞めて気づけりチャイムにはかくものどかな響きあること (高野公彦 選)
投降のウクライナ兵の行き先が「カティンの森」ではないこと祈る (永田和宏 選)
投降の兵は護送のバスの中軍用犬の頭撫でおり (佐佐木幸綱 選) 22年06月26日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
人びとが来世の結婚祈りつつ花入れる若き兵士の棺 (馬場あき子 選) 22年07月03日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
戦況を語るテレビの解説者ひとつの国を色分けしつつ (永田和宏 選) 22年07月10日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「訳あり」の野菜と果物並べられ「訳あり」だらけの人間が買う (高野公彦・馬場あき子 選)
名を呼ばれ頬撫でられるためせめて母国へ帰れ兵士の遺体 (永田和宏 選) 22年07月17日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
造る人売る人買う人使う人 人から人へと渡りゆく武器 (高野公彦 選) 22年07月24日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
母の日と父の日がやっと終わったと言いし教え子今に忘れず (永田和宏 選)
嫁いでも好み忘れず父の日のモネのヨットの絵の図書カード (高野公彦 選) 22年07月31日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「底辺の仕事」という記事底辺の人間いるかのごとき発想 (佐佐木幸綱 選) 22年08月07日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
逃げもせず声上げもせず銃撃の現場スマホに撮りいる人々 (高野公彦 選) 22年08月14日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「民主主義守る国葬」国会の議論も経ずに決定をする (高野公彦 選)
缶ピース長髪下駄履き思草寮まだ何者でもなかった私 (永田和宏 選)
マリトッツォ作る手立ても銃作る手立ても検索できる「便利さ」 (馬場あき子 選) 22年08月21日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
四国から出ることはもうないだろうちちはは眠る墓まで歩く (佐佐木幸綱 選) 22年08月28日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
不安さえ商品として売り出せり「認知症保険」「孤独死保険」 (馬場あき子 選)
国葬の国費があれば幾人の孤児の食事が作れるだろう (高野公彦 選) 22年09月04日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
放置され二歳の姉は一歳の弟励まし車中にありしか (永田和宏 選) 22年09月18日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
一期目の民生委員の三年に八人見送り二期目を迷う (高野公彦 選) 22年09月25日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
大根にも葱にも泥がついていた釣銭のざるありし店先 (永田和宏 選) 22年10月02日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
送られる政治家よりも送ること決めし政治家の目立つ国葬 (永田和宏 選)
「時代ガチャ」あるかもしれぬバブル期の親を羨む子どものツイート (馬場あき子 選) 22年10月09日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「人間はあずらなんだら死ねんのや」窪んだ目をした老女が言えり (高野公彦 選)
見るための写真ではなく若者は見せる写真を幾枚も撮る (佐佐木幸綱 選) 22年10月16日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
千奈ちゃんの献花台には花よりもペットボトルの多く並べり (永田和宏 選)
家族葬の会館となる 若者の減りゆくまちの結婚式場 (高野公彦 選) 22年10月23日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
「丁寧に」「真摯に」「重く」意味のなき枕詞の生まれし国会 (馬場あき子 選)
在任の長さではなく敬愛の深さの違いを思う国葬 (永田和宏 選) 22年11月06日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
プーチンは「ヒロシマナガサキ」使いおり三度目脅す材料として (高野公彦 選) 22年11月13日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
攻めること「軍事作戦」などと言い攻めらるること「テロ」と言い張る (永田和宏 選) 22年11月20日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
掛け売り帳ありし頃には買い物に言葉があった人間がいた (馬場あき子・佐佐木幸綱 選)
「侵攻に後悔はない」戦場に行かなくていいプーチンが言う (高野公彦 選) 22年11月27日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
この星にもともと無かりし国境を決めし時より戦争はある (永田和宏 選) 22年12月04日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
梨泰院の雑踏に知る生き物の体の重さも凶器となること (高野公彦 選)
足跡のついた衣服や血のついた靴をカメラは執拗に追う (永田和宏 選) 22年12月11日(日)朝日新聞朝刊「朝日歌壇」より
篠原俊則
乳牛の雄の仔牛は百円に買い叩かれる秋の競り市 (馬場あき子 選)
唯一の救いは死刑の命令を一度も下さず辞めたりしこと (佐佐木幸綱 選)