【俳句】プレバトのお題で一句詠みましょう 6
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感性の鈍い方に俳句は向いておりません >>348
「かまどねこ」なのに外の風景や行く先があったりしてちょっと??? >>337
> 金網に片手袋を結びけり
日常よく見かける光景なのに、ちょっと気になりました。
『金網』が見たまますぎて惜しいような… >>358
金網よりも結びけりの方が気になる
これだと作者が結んでるけど
結ばれてるのをふと見つけたその方が詩的かも
やっぱり結ばれりかな
ただ現実的に金網に片手袋を結ばないだろうし
吊るされりがいいな >>356
竈猫が行き先は日差しに聞けと言っている
もしくはそう感じるって事なのかな
竈猫の外の風景とか行き先とは
どこにも書いてないと思う
聞けと と 聞くとの違いだね >>337
『片手袋』というのが素敵な発想なのかな。
広ーい公園に手袋が片っぽだけポツンと置いてけぼりにされている…その心細さがいいと思う。 >>361
それ。
確かに作者が手袋を結んだより
結ばれている手袋を見つけた方がいい。 俳句で一番最後の言葉って脳裏に残りやすいのね
そう考えると片手袋
もしくは結ぶかけるが最後に来てほしい
この句の核はポツンと残された片手袋だし 金網の片手袋といえば結ぶとかいらないんだよね
言わずもがなでしょ 網に下ぐ片手袋の日差しかな
俳句サクサク見た?
文語使おうね
手袋に射す日差しをメインにすることで
冬の日差しの寂しさを表現してみました > 金網に片手袋を結びけり
すごく好きな句。
結ぶ人の優しさが出ていてこのままが良いと思う。 >>372
私もこのままがいいと思います。
金網に公園やグラウンドの感じも出てますし
早く持ち主が見つけてくれるといいですね。 372だけど自演じゃないw
最後が手袋の方が良いのは同意だだけど、リズムを失うくらいなら
元の形がいいなあ。金網も片手袋も結びけりも全部必要。動かせない。
あと意外に好きなのが
>>341 たこ焼きのあつあつハフハフ冬日和
かっこつけていないところが好き。中八に好感w 「「に」という助詞は、どうしても散文的になってしまうんですよ。
ここはきちんと「や」で区切ってください」 >>381
木枯や鐘に小石を吹あてる
吹きあてる かな。小石が良い味。「に」の使い方難しいね。どうしても散文的になる。
>>384
光射す金貨のすだく銀杏散る
すだれの間違いで金貨をのれんみたいにしていてキラキラしてるのかなあと読んだら
すごく光り輝いているw みっつに切れてしまっているけど似たような内容だからあまり気にならないね。 >>383
小春日の木漏れ日の暮る水面かな
「暮る」文語の終止形 「暮るる」文語の連体形
暮るる水面かな のほうが句として自然に感じに思う。
小春日・木漏れ日・暮るがイメージが近いので離してみたらどうか。 >>371
薄ら日に片手袋を拾いけり
なんかかっこいいと思いました。
薄くても日が差しているのが似合う。
>>389
冬茜雑木林の音止みぬ
これもかっこいい。どんな音なのか想像できなかったけど。団栗が落ちる音? >>396 それだと金貨集めて山を作ってるみたいで、なんの光景か分からず
三段切れが悪目立ちするので、金貨のすだれがキラキラしているよ銀杏散っているよの方が
面白いように思った。 >>389
そうですね。
『雑木林の音』って何なのでしょう?気になります。 >>388 枯落葉みどり色のボール一つ
見たままに読んだんだろうと思う。枯葉にみどり色が鮮やかに感じた
その感覚を持ったまま語彙を増やしていけば良いと思います。 >>394
> >>381
> 木枯や鐘に小石を吹あてる
> 吹きあてる かな。小石が良い味。「に」の使い方難しいね。どうしても散文的になる。
この句の作者は芭蕉
> >>384
> 光射す金貨のすだく銀杏散る
> すだれの間違いで金貨をのれんみたいにしていてキラキラしてるのかなあと読んだら
> すごく光り輝いているw みっつに切れてしまっているけど似たような内容だからあまり気にならないね。
光射すは金貨にかかっている
三段切れではない >>395
> >>383
> 小春日の木漏れ日の暮る水面かな
> 「暮る」文語の終止形 「暮るる」文語の連体形
> 暮るる水面かな のほうが句として自然に感じに思う。
> 小春日・木漏れ日・暮るがイメージが近いので離してみたらどうか。
イメージに近い言葉は近づけるのか定石
下五と上五に振り分けない
番組でなっちゃんなんか言ってる? >>397
> >>371
> 薄ら日に片手袋を拾いけり
>
> なんかかっこいいと思いました。
> 薄くても日が差しているのが似合う。
似合うの意味不明です
> >>389
> 冬茜雑木林の音止みぬ
>
> これもかっこいい。どんな音なのか想像できなかったけど。団栗が落ちる音?
この句は雑すぎ
そこは指摘してあげるべきでしょう >>398
> >>396 それだと金貨集めて山を作ってるみたいで、なんの光景か分からず
> 三段切れが悪目立ちするので、金貨のすだれがキラキラしているよ銀杏散っているよの方が
> 面白いように思った。
句の意味をきちんと理解することからです
すだくをすだれに変えてしまうとか
全く意味が分かりません
三段切れにもなっていませんし
何の光景か分からない方も少ないでしょう >>397>>399
ふつうに冬風に枝葉がこすれる音
夕方になって風が止み、雑木林に夕日が指す光景
>>403
具体的に指摘or添削お願い 冬茜という季語が「雑木林の音」という言葉の肉付けを出来てないから、何それって人が多いのかもな
俺はこのままでも伝わったし、アリだと思うけど、分かりやすくするなら
秋茜雑木林の風止みぬ
とかじゃね >>405
まず風が止んだというのは大事な情報です
>>406さんの言われる通りです
単に風景の描写ならこれでいいと思います
添削とは本人の言葉を極力残したいので
>>406さんの添削は素晴らしいと思いますよ 個人的には…
秋茜の雑木林の風が止んだ
きつい言い方になってしまいますが
だから何? そう思ってしまいます
雑木林の風がやんだことで何を感じたか
そのビジョンが作者さんにおそらくないのでしょう
ですから人に伝わりにくい句になってしまいました
この句で何を伝えたいのかもう少し詳しく書いてもらえれば
夏井先生のようには行きませんが添削何とかしますよ >>408
昼間は晴れていたけど、風がビュービュー吹いて、せわしく落ち着かない感じ
寒いからコートにうずくまって歩いたりベンチにかがんだり
枝葉のこすれるカサカサカサという音も、鳴りっぱなしだから気にしなくなった
夕方になって風が弱まり、ふと気づくと音がほとんどしなくなった
そこに夕焼けの赤く長い光が、雑木林の奥まで入り込んで
コートの中にも差し込んで
なんとなくふわーっとした落ち着きと、ほんのりとした温かみのようなものを感じた、という情景
だから秋茜では私の詠みたい情景とは全く異なってしまうのです >>409
ああ、ごめん
冬茜が秋茜になってるわ
誤変換 風止みぬ、だと、伝わりやすいけど、>>408氏の言うように「だから何?」
となってしまうかなと思いまして
ふと気づくと静かになっていた、という聴覚を強く出すことで
夕日の柔らかい暖かさを対比させたかったから、音にした
でも、たしかに音だと伝わりにくいんだよね
何か別の良い言葉があれば、と思います >>409
ありがとうございます
これらを一言で言うと
凪の秋夕焼で終わってしまいます
ふわっとした落ち着きとほんのりとした温かみ
これを句の核としたいようです
落ち着き温かみを感じた…
これを具体的な映像で描写するのが俳句です
俳句というのは17音しかありません
夕方の前はとりあえず切り捨てましょう
この夕方にもう少し具体的な説明が必要です
この説明ができるか否かで人の心を動かせる句になるか否か
これが決まってきます >>413
おっしゃる通りですw
多少ありがちな発想ですので
心が海に飛んでいました
●●●●● 茜の凪のコートかな
雑木林そしてその反対には海
風が止み夕焼けがコートを照らしている
取りあえず現在の状況だとこんなところでしょうか
私では…
もう少し情報が欲しいです 光射す/金貨のすだく/銀杏散る
これ三段切れで読む人のほうが多いと思うよ。
光刺す金貨「の」主格と読んだら「キラキラした金貨 が 集める」「銀杏散る」で
金貨に手足が生えて集めているみたいだし、季語と相反しすぎてよくないと感じた。
いっそすだれの方が面白いと思うよ。
作者には不本意な言葉だろうから申し訳ないとは思うけれど
一意見として面白がっていただけたら。一文字変換の面白さも俳句の楽しさ。
鐘の句は現代人が読むにはできすぎな光景とまず思った。
小石は面白いけどこんな場面に出逢うかなあみたいな。
ただ芭蕉の時代は近代俳句確立前だから初心者スレではそぐなわないと思います。 >>409
たいへん詩的で美しい景色ですので私なりに575にしてみました。
風やみぬ斜陽の木々へコートへと >>389
> 冬茜雑木林の音止みぬ
『音』が何かをはっきりさせるのがいいのかどうか、判断が難しいです。
先週のプレバトでも
『鉄の鳥』は飛行機かもしれない、クレーンかも寒さで動きが鈍った鳥かもしれない。
どの読みも全部きちんと受けとめる。
と先生はおっしゃっていました。 >>389 冬茜雑木林の音止みぬ
悪くない句だけど万人が腑に落ちる句ではないよね。
作者が作りたかったからという意味ではこのままで十分良いと思います。
読者のための句であれば創作やフィクションを追加したほうが良います。
季語以外の言葉が漠然としている場合は動物とか生活の具体的な季語が相性が良いのでは。
鵙の贄雑木林の音止みぬ
神の留守雑木林の音止みぬ
おでん食う雑木林の音止みぬ >>409前半読んで自分なりに
冬風の雑木林の鳴りやまず
冬ざれの風の無音を聴きにけり
冬風や雑木林のソクラテス
ソクラテスは上にあった句からいただきました。
やっぱりソクラテスの独自性が目をひくかな。 372さん、374さんありがとう。
コッペパン包む冬日のわら半紙 今回のお気に入り
>>334
「枯芝を撫づればチロの背中かな」
生き死にネタはハマると破壊力抜群 「れば」がやや気になる 撫づれり?
>>391
「木枯らしに子犬公園デビューかな」
わざわざ木枯しの日に公園デビューってのが、逆にシュール
>>421
「ガソリンの匂ふ軍手の冬日かな」
また労働者か!と思ったけど落葉掃除かも プレバトスレからコピペしてきました♪
11/30「初冬の代々木公園」
12/7「冬の帰路」
12/14「雪の露天風呂」 >>425 それがまた俳句の楽しさ。分からないものは分からないままでおk
自分が好きなタイプの句だけ楽しむで構わない。とにかく続けることが大事。
人が良いといってもどこが良いか分からないと思ったらその気持ちはそのままに尊重してください。
いつか感覚が変わったり、やっぱりワカラン嫌いかもしれない。
色んな解釈をぶつけ合い語り合うのが楽しい。繰り返していると必ず上達します。 でも意味が分からないのは「才能ナシ」になるんじゃないの?
とりあえず意味が分かる句になって初めて「凡人」
俳句らしい詩心のある句であれば「才能あり」 >>427
新聞紙だと焼き芋みたいだし英字新聞だとなんかオシャレすぎるし
包むのは冬日の色と温もりが感じられる藁半紙じゃないとダメなのでしょうね。
ほのかにお日さまの匂いとパンの匂いも混じって鼻孔をくすぐります。
うーん、ちょっぴり悔しくなるくらい好きな句です。まいりました(笑) >>434
@句を作る力がない
A読み取る力がない
作る力と読み取る力は両輪の輪なのでどちらかひとつだけできる人はいません。
意味ワカランという言葉が出る場合はAの場合が多いです。
つまり未熟な句があったときに具体的に分からない理由を述べることができればおk(Aではない)
例えば「ソクラテス」という言葉は感傷に走りすぎて写生をよしとする人には受け付けないと思います。
そういうことを説明できるのであれば「この句はいただけない。自分には理解できない」でよいと思います。
自分が好きでない句を他者が褒め称えているとあまりいい気分ではないですが
「自分は写生や格調を求めたい」という強い芯があれば、気にしなくて良いと思います。
俳句ではみんな好き勝手言ってよし。ただ自分なりに鑑賞の力は磨いていきましょう。 >>427 コッペパン包む冬日のわら半紙
めちゃくちゃ上手いですね。冬日の位置が練られていると思います。
わら半紙の素朴さ飾り気のなさがコッペパンとコッペパンを持つ人に響きあっています。
誰でも作れそうで作れない句だと思います。 >>438
「ソクラテス」「ボイジャー」が分からないのではなく、
「ソクラテスの破調」「ボイジャーの声」が分からないのです
これが「ソクラテスの不安」「モーツァルトの変拍子」「ボイジャーの返し光」などだったらまだ分かる
「ソクラテスの行脚」「ソクラテスの腕まくり」でも、まだギリ分かる
なぜならその言葉自体の意味は分かるから
ところが「ソクラテスの破調」となると、何だそりゃ、となってしまう
こういうのは二物衝撃や取り合わせという詩的なものではなく
単にインパクトのある言葉を並べただけじゃないかと、訝しんでしまうのです >>418
> 凍蝶よボイジャーの声聞こえるか
この句なんの句きになる句 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています