難波の地下街が、虹の街と呼ばれていた頃には、
泉の広場の噴水も、猿交などとは無縁の
健全な待ち合わせ場所だった。

階段あがると、梅田の場末にも近いので
50年間で雰囲気が徐々に染まってしまった。