国の全羅北道群山市とソウル近郊の仁川広域市には共通点がある。共に19世紀に開港し戦前から華僑が居住するなど
中国との関係が深いことだ。今回は韓国の中の「中国」を探訪する。(群山、仁川 藤本欣也、写真も)
群山市内でタクシーに乗り、行く先の薬局名を伝えると50代ぐらいの運転手は顔をほころばせた。
「知っていますよ。子供のころ薬を買いに行ったものです。懐かしいなあ」
小さな商店街に「中国長壽堂薬局」はあった。店長で群山華僑協会会長の★(刑のつくりがおおざと)広義氏(71)が店の外で待っていてくれた。
1945年中国山東省栄成市で生まれ家族と共にソウル近郊の仁川に移住。
6歳の時朝鮮戦争の戦火を逃れて群山にやってきた。大学の薬学部を出て71年から店を経営している。
「チャイナドレスを着るのも結婚式のときぐらい。普段の生活で自分が華僑だと意識することはないわ」
市内の老舗中華料理店「濱海園」。会長の隣に座った長女★(刑のつくりがおおざと)礼容さん(45)は笑った。会長礼容さんともに韓国語中国語を不自由なく操る。
市内に41年開校の華僑小学校があり中国語で授業が行われているらしい。会長も礼容さんも卒業生だ。
韓国と中国は最近経済的な結びつきを強めている。中国人観光客の“爆買いツアー”で経済が潤っているのは日本だけでなく韓国も同じ。しかも群山は山東省から近い。
チャイナマネーは群山にどんな経済効果をもたらしているのでしょうか?
意気込んで聞く私に会長は静かにほほ笑みながら首を横に振る。「ありませんな。華僑の社会にも特に影響はないですよ」
会長大半は戸籍を残しているだけで実際に住んでいるのは40人ほどだというではないか。だとすると、華僑小学校もやっていけないのではありませんか?
「ええ経営難に陥っています。児童は18人しかいません。私もこれ以上投資ができない状況です…」学校運営を任されてきた会長はこうも言った。
「韓国に帰化する華僑も増えています。その方がビジネスがしやすいから」
中国のパスポートではまだまだ行けない国やビザを取るのが面倒な国が少なくないのでしょうね

長は怪訝な顔をした。「私たちのパスポートは台湾のですよ」韓国の華僑をめぐる取材が始まった。