それに対しわれわれは、そうした企業別組合なる弱点は政府ならびに経営者らからの攻撃を含んだ政治経済、GHQ民主化指令との史的沿革等の条件により規定されたものであり、その克服には職場闘争、遵法闘争、ピケ等の集団行動こそが重要になると考える。したがって、それを抑制することはさらに組合を抑圧し、使用者への隷従を促進することになる。それは憲法28条で保障された労働合原理に照らして反価値的な事態である。このように労働法学界においては、企業別組合の特殊性を法理に反映させる、あるいは反映させない論理を規定しているものは、このような異なった立場にほかならない。いずれにせよ、前者の法理においては現実の労働事件につき労働者側の行動を是認することは困難であろう。そして、東大・菅野一派らが意識すると否とを問わず、それは労働運動の流れに抗するものとなり、客観的に見れば現行市民法の虚偽性を黙認し、労働者への使用者による搾取を容認する経営者や体制側の望む法理とならざるを得ないものであった。しかしどのような立場をとるにせよ、現行憲法下における労働法ゆえにブルジョア法の限界が常に存することは否めない。