連投すまん。

>昭和53年頃、「鈴木竹雄」先生の教科書が、受験生の基本書であった時代に、中央大学の階段教室で、ワイヤレスマイクを持って歩きながら、「鈴木」教者を見つけると、次から次へと質問を浴びせた木内先生。

これで「論破」したという評価はちょっと。

>木内先生(教授・博士)が存命なら、現在の商法の混迷を統一的に説明する理論を打ち立てられたかもしれません。

そこまで優秀なら、お弟子さん、あるいは兄弟弟子(高窪先生の弟子)が理論を承継して深めるということがあっても良さそうに思えますが。

>それはともかく、この本を理解できなければ司法試験には合格しないでしょう。間違って理解せず、読みもせずに合格しても商事法では役に立たない弁護士になるでしょうね。

思い入れが強すぎです。「木内」を読む前に「鈴木」だろ。
で、「鈴木」で事足りるでしょう。