>たとえば、116ページの第一パラグラフの最後で「〜意味がほどんどなくなってしまう」と書く。これはどういうつもりで書いたのか?
 100のうち99は意味があるというのか? じゃあその残りの1の意味がある部分はどこか? 随筆じゃないんだから、「意味がない」あるいは「意味がある」と書くべき。

→ そんな断定をすれば、かえって学説の説明自体が破綻しませんか?

「現代社会においては、「新しい人権」として保障すべき重大な価値となっている。憲法に規定のない「新しい人権」を認めようとする場合、憲法上の根拠となる適切な規定は、13条をおいてはない。
ところが、先の解釈は、13条を訓示規定と解していた。訓示規定を新しい人権の法的根拠とするわけにはいかない。
かといって、13条に法的効力を認めれば、すべての人権が公共の福祉=「外在的制約」(社会経済的政策目標による制約)に服することになり、人権保障の意味がほとんどなくなってしまう。」(第2版、116頁)

ここで1意味があるとか10意味があるとか言っても仕方がないでしょう。そもそも数字化できませんし、外在的制約をどう解釈するかという議論抜きには人権保障の程度がどの程度弱くなるのか言えません。
ただ、一般論として、「外在的制約に服するとなれば、立法裁量が尊重される。結果、憲法上の人権保障はかなり弱くなる」というのは言えます。
それ以上の細かい解釈は、論文でやればいいことです。

加えて、指摘しますがここで「意味がある」「意味がない」と断定するのも間違いです。
・「意味がある」という文章がここで入るのは意味不明です。文脈ごと書き換えて「外在的制約に服するといっても、人権保障の意味は少しある」と結論するという手はあるかもしれませんが、これは「意味がある」との断定とは違いますし、変更の実益はありません。
・「意味がない」というのは論外です。「外在的制約に服するということは、憲法上保障の意味はないということだ!」なんて言えません。
 「意味がほとんどなくなってしまう。」は随筆風に書こうとした結果ではなく、正しく書こうとした結果だと読めるのですが・・・・・・。