【物語を超える】ゲームで感動したストーリー
ゲームは物語を超える 本を読んでもドラマを見ても感動しなかったけどゲームでは涙を流して感動したストーリー 8bitや16bitのピコピコサウンドやチープなグラフィックをものともせず感動を与えてくれた そんなエピソードを語ろう 私のそんな初体験は忍者龍剣伝 ラストでの父との永遠の別れは本当に泣いた 文句なしにファミコン探偵倶楽部でしょ 感動自体は1の方が上だったけど2もすごく良かった これで夏休みの読書感想文書きたかった ファミコンならドラクエ5かな。 ゲームの物語でここまでの話を描けるとは思はなかった。 英雄伝説の白き魔女。 98版でやって戦闘は糞だったが、シナリオは秀逸だった。 いろいろ移植もされてるが、他機種の戦闘はよくなってるのかな? 3って隣の次元から絶望砲みたいなの撃ってくる話だっけ? マップスのパクリじゃねーかと思った記憶があるw RPGならドラゴンスレイヤー英雄伝説のストーリーに感動した ラスボスはとことん悪いヤツってのがお決まり相場だったのにアグニージャの根は善だった その真意を知って自分を省みてセリオスは一度は葛藤するけど それを乗り越えて最後は純真な瞳を開き未来へ歩き出す決意をして愛すべき人のもとへ帰る これはウルッときたよ あれは当時流行ってたエコ説教ラスボスのテンプレじゃん すでに使い古されてたはいはい人間が悪いんですよねーwって話だろ 思えば当時自然破壊として槍玉に挙げられてたのはフロガスだった ファミコンのRPGならファイナルファンタジー2 エンディングだけじゃなく道中も本当にドラマいっぱい 悲劇だけじゃなくゴードンの成長も見どころ 人を選ぶがAIR・・・ってスレ違いか >>5 白き魔女いいね 小説みたいな話、話にマッチした音楽 デュルゼルの手紙のシーンや最後のラップじいさんとの話で 人生の教訓のような台詞も素晴らしい >>1 の ゲームは物語を超える って何だっけ?どっかで聞いたことあるような >>14 ファイアーエムブレム外伝のCMじゃないか? 92年3月だからファミコン末期のゲーム あのゲームの感動ポイントはルドルフ将軍の最期かな >>3 ファミコン探偵倶楽部は間違いなくファミコン屈指の感動作 特に消えた後継者のクライマックス 悲しい過去 → 人形と母ユリの遺言 → エンディング これは泣かずにいられなかった あのBGMも秀逸でピコピコだなんて思えないほどだった バンピートロット オブリビオンとスカイリム フォールアウトニューベガス 普通にプレイすると表向きの話だけが見れて プレイヤーが調べると裏事情がわかるようになってるゲームが好き 映画を超える感動をゲームから…というのは経験ないなあ >>20 >>22 やっぱゲームファンでもそう思う? 誰が見ても同じストーリー=シナリオ プレイヤーにとって異なるストーリー=ナラティブ シナリオならゲームは映画に及ばないのは当然 >>24 そう思うね。 理由は5ch向きに短文化して述べるのは難しいので、とりあえず割愛 >>25 一本道シナリオでも映画の秀作と比較すると、アイデア性が明らかに劣ってる。 ただそれは仕方ないことだとも思ってる。 レトローゲーム時代の話だけどね。 近年のRPG等は一切プレイしてないので、全く知らない おれはゲームの方が感動したかな もちろん自分でそこまでやったという達成感も手伝ってるけど レトロゲーだとゲーム内の最小限の薄いストーリーよりも それをプレイしている自分自身の動向こそ重要なのさ 難しいゲームを苦闘のすえクリアするまでの感動のストーリー 苦戦したってシナリオで書かれても 実際に苦戦したナラティブな経験に及ぶわけがないからな ファミ探もいいけど新鬼ヶ島のラストも感動的だったよ 平成新鬼ヶ島は島はイマイチだったのがいただけない ラストオブアスは完全に映画超えだったなぁ かまいたちの夜も映画を軽く超えるストーリー体験だった >>30 確かに平成鬼は単に島が崩れて沈んで終わり そのままスタッフロールだもんな 男の子と女の子の別れもないし男の子がおじいさんとおばあさんの元へ帰る描写もない あれカットしちゃダメだ なぜ、ゲームは映画的な一本道シナリオが不得手かというのは野球に例えるとよく分かるよ。 映画なら甲子園で逆転サヨナラホームランで劇的勝利というシナリオを描けるけど、 野球ゲームでそんなシナリオを書かれると理不尽になる。 なぜなら、そのシナリオを実現するためには、自分(プレイヤー)がどんなにがんばっても、 9回裏の時点で相手に負けているという展開になる必要があるから。 つまり、「実際に苦戦したナラティブな経験」ではなく「シナリオの都合で予め決められた展開」になるので、 たとえ自分が攻撃を頑張って10点とっても、9回表時点には相手に11点取られてしまう。 で、9回裏はランナーを出して、必ずホームランを打たなくてはいけない。 こんなもん白けるだけだよ。 野球ゲームなら「頑張らないと負ける」っていうシナリオもありだよな ゲームの勝敗をシナリオ(書き手によって事前に書かれるストーリー)に絡めるのがアホとしかならんだろ ゲームならナラティブ(受け手の内面にその場で作られるストーリー)にしろ 結論的にはゲームのシナリオはそのゲーム性に合ったものじゃないと駄目ということ。 そのシナリオがゲーム性を邪魔してはいけないということ。 それが分からない人は良いゲームシナリオを書けないということ。 だっから、小説家がゲームシナリオを担当しても面白いものが書けないということ。 …なんだよね。 違う解決策ではノベルゲームにしてしまうことが挙げられる。 それなら逆転サヨナラホームランみたいな途中の展開を規定しなければいけない話もありだろう。 新鬼ヶ島は男と女を入れ替えるのがめんどーでつまらなかったな ちょっとありえんような仕様だった 任天堂つーのはゲームを面倒にして失敗してるゲームが多々見受けられる 男と女を入れ替えるからこそのストーリーとフラグ立ての面白さを追求した鬼ヶ島は名作! でも、実は遊遊記のほうがもっと名作だと思うのだが、世間一般は違うみたいだ。 結論ということなら、シナリオ以外にもストーリー表現手段はあるので ゲームのストーリーをシナリオだけで表現するのは間違いってところだな 遊遊記はCMこそインパクトあったもののいかんせん売れなさすぎた それを抜きにしても感動では新鬼ヶ島の方が上だと思う ストーリーは物語すべてのこと。シナリオもナラティブも含む。 シナリオはストーリーの一種。 前もって用意されて、誰が読んでも同じになるもの。筋書きともいう。一本道のゲームは総じてシナリオで構成されている。 ナラティブもストーリーの一種。 設定や伏線からの深読み、ゲーム中に偶発的に得られた経験などプレイヤーごとに異なるもの。自由度の高いゲームから得られる。 実例としてゼルダBotWはナラティブを目指して構成されている 昔のゲームにはシナリオしか存在しなかったので、それと区別するために提唱された。 GOTYからストーリー部門やシナリオ部門がなくなってナラティブ部門になってるのも知らんのだろうな >>43 それ英語の話だね。 批判するつもりは全くないけど 日本語だとぜんぶ物語だからな だからストーリーとシナリオとテキストの区別がつかない storyは物語。 scenarioは脚本。 つまりストーリーを文字に起こしたものが、シナリオ。 textは文章の「本文」を指す語なので、物語であるか否かは関係ないよ シナリオって脚本だよ。 映画シナリオ入門…みたいな本があるから大きな本屋さんに行ったら読んでみて。 映画のシナリオ=脚本がどうやって書かれているのかが学べるから。 最近はようやくゲームのシナリオの書き方・・・みたいな本も出てきたよ。 そういう入門書を書く人って一流でない人か現役を退いた人が多いからあまり当てにならない 脚本はあらかじめ書くもので誰が読んでも同じ ゲームのストーリーは分岐したりループしたり自動生成されたりするからシナリオだけじゃないよな 100人のプレイヤーがいれば 100通りのストーリーがある そういうのがゲームではないだろうか 一本道のストーリーなんて映画や小説や漫画を見ればいいんだ ザ・思考停止やな 映画レベルのストーリー体験とゲーム要素がちゃんと融合した作品もある 需要もあって巨大ビジネスとして成立してる 何故頭ごなしに否定するのかなぁ まぁ、ストーリーに感動するか否かは最終的に受けての感性なので。 今の大作には、ほとんど映画レベルのストーリーが入っているけど、 やっぱり一本道のシナリオでは、映画には勝てないんだよなぁ。 ゲームはプレイヤーが主人公だけど、映画はシナリオライターが主人公を100%コントロールするからね。だから、映画は素晴らしいんだ。 レトロゲー しかやってないだろw あんたが言ってるのは願望 時代についていけない心理の裏返し よくできた海外ドラマ見ると映画のストーリーなんて2時間で終わってしまって薄っぺらくてもう娯楽の頂点じゃないと思うわ 今のゲームは映画レベルのストーリーを当たり前に入れているでしょ? 映画レベルのストーリーで盛り上げながらゲームの没入感を高める手法はもう確立されていると思う。 それでもシナリオの出来で映画に勝てないのはプレイヤーが主人公を操作するからだよ。 映画のシナリオ論的にそれは無理があるから、映画には及ばないと言っているだけ。 これはシナリオ論的な話なので、俺はこのゲームのストーリーに感動した云々とは別の話だよ。 そりゃシナリオに限定したら及ばないのは当然だろ 限定する意味がないけど たまにね、映画は完全に観客だけど、ゲームはプレイヤーが主人公を操作するから、 ゲームの方が感情移入できてストーリーも上、などと宣う人がいるからね。 そういう問題じゃないんだよ。 映画はプレイヤーが主人公を操作しないからすばらいいのだし、ゲームはプレイヤーが主人公だから素晴らしい。方法論が違う。 操作するからシナリオ以外の方法でストーリーを表現するって話だからな シナリオに限定したら映画の方が上という話に意味がない 操作することでストーリーを変えられるギミックなら、ある クロノトリガーや幻想水滸伝2 確実にシナリオ(脚本)じゃないパターンとして ランダム生成される劇的なシーンをストーリーと呼ぶかどうかという話だな シレンで万全の状態から大ピンチになるとか ベセスダRPGのNPCが助け合ったり喧嘩したりするとか あとは風ノ旅ビトやSkyのようなシナリオが存在しないゲームのストーリーなんかは 映画とは異質すぎてとてもじゃないが比較ができない >>68 それこそがゲームだから描けるストーリー(物語)だ。 もし、映画で主人公が勝手に行動したらシナリオは崩壊する。 だから、映画的なシナリオを取り入れるほど、映画のような物語を味わえるが、ゲームとしては窮屈になる。 その行き着く先が選択肢のないノベルゲーム。 もっとゲームはインタラクティブであっていい。 ゲームだからこそのストーリーを無視して 映画より脚本が劣る!と主張することがいかにアホらしいかという話だな 定義厨というか持論を発表したいだけの奴がイキってスレぶち壊して終わるパターンやな ゲームならではのストーリー=ナラティブについては 7年くらい前からCEDECやGDCで取り上げられているね シナリオとの差別化がゲームでは重要 米ドラマの傑作『プリズンブレイク』を観たとき、5分に一度予想を裏切られるストーリー展開に、驚嘆した。 ああいうのは、主人公の言動を完全に束縛することができないゲームでは、不可能。 原理的なレベルで無理といえる ドラマは話が固定的だからこそ、思い付く限り最良の状態(シナリオ作成上におけるアイデアの質・密度が 最も高い状態)に固定できる。 極端な話(自由度の高い)ゲームは無節度なプレイによって、作為的に退屈な展開にすることすら可能 シナリオの優位性ってだけだろ? ナラティブでは映画はゲームにはとてもじゃないが勝てない もし映画がナラティブだったらそれは映画じゃない。 つまり勝ち負け以前に、ナラティブ性を競う勝負を行えない。 ゲーム固有の部分だけを取り上げてその点が勝っている、というのは当たり前のことを言ってるだけだ >>76 だから映画とゲームではストーリーの優劣は決められないってことだな 自由度の高いゲームに映画的なシナリオは組み込めない。 逆に言えば、プレイヤーのできることを少なくすればするほど、 具体的にはノベルゲームみたいに、プレイヤーの自由をいくつかの選択肢に絞るデザインだと映画的なシナリオを組み込めるよ。 痛いとか言っていないで、話を広げてみたらどうだい? 物語を超えるって書いてあるから ゲームのストーリーに特化した話をする方がスレタイに則してる 『街』に対する指摘が面白いね。 あれもゲームでしかできない物語で、かついまだにノベルゲームの到達点だけど、 プレイヤーはあくまで読みてであってナラティブとは言い難い…というのはなるほどと思った。 FF13やメタルギアソリッドみたいな映画的ゲームもナラティブとは言い難いというのもその通りだ。 >>89 GDC 2019のラザロ氏の話はおもしろかった。 『Follow the White Rabbit』というゲームは、映画マトリックスと関係あるかな? 一方、CEDEC 2013の簗P洋平氏の話は月並みで、素人と大差ないw >「キャラクターの心理的成長(=オニオン&キャラクターアーク)」 うーん、なぜ玉葱が出てくるんだろう… opinion を訳したあと誤字ったのかな? >夢とテーブルトークRPGとナラティブ 正しくは「テーブルトップRPG」(tabletop role-playing game)。 または ペン・アンド・ペーパーRPG(pen-and-paper role-playing game)。 TRPG(TTRPG)について長々解説してるわりに、名称を間違えてる。 英語を翻訳して記事にする人が間違えてると、若者達が中高年同様に テーブル「トーク」が正しい英語だと勘違いしてしまう 主人公の感情表現が豊かだとプレイヤーとの感情に乖離が生まれやすい。 これについては主人公の感情を単純なベクトルに収めることが重要。 キャラクターの体験を、自分の体験として認識するようになる作品なら『同級生』を挙げられる。 これはナンパゲームで、主人公の感情は登場人物の女の子とのHへとベクトルが向けられている。もちろん、プレイヤーの感情もお気に入りの女の子とのHへとベクトルが向けられている。 女の子とのHシーンでは、女の子の体をクリックすることで「舐める」「触る」といった行動が可能で、女の子の反応を伺うことができる。テキストは決まっているが、自由に攻められることで、あたかもプレイヤーが女の子とHしている感情が芽生えると言う。 そして、最後はプレイヤー自身の右手で自らフィニッシュ!これ以上のナラティブは存在しない。 >>89 しかし女性で、ここまでゲームをロジカルに分析する人がいるのが、白人の凄さだよな… 平均IQは黄色人種が高くても、発想力は向こうが上だ 日本のオタク女性だと情緒的な話しかしないもんな 良くも悪くも半径5メートルの世界で生きてる ドラクエって3までは物語らしい物語はなかったのだが、 4から一気に物語性が増して、そのピークが5だと思う。 ゲームであんな素晴らしい物語が描けるとは当時思わなかった。 でも、5は物語のピークがラスボス前に来るんだよね。 だから、ラスボスがおまけみたいになってしまった。そこだけは失敗だな。 4は物語のピークとゲームのピークが見事に一致しているね。 パーティキャラに個性と物語を持たせたのはもちろん、ラスボスにも物語性を取り入れたのは、 当時としては画期的だった。 ドラクエWのピサロとテイルズオブファンタジアのダオスは、人間のせいで魔王になったラスボスである。 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる