1976生まれくらいの奴がゲームについて語るスレ [転載禁止]©2ch.net
PC98ソーサリアンやりながら
スマホでデレステもやってる
今のゲームも昔のゲームも好き 徳川軍二十万人vs十勇士 https://youtu.be/JY5Vk2YQ6ls
をみて、飯島健男の勝ち!と思った BURAI八玉の勇士伝説 敵は二億四千万、挑むは八匹の狼たち!!
いや、広告コピーを書いたの誰か知らんけど ファミコンと同時にPCゲーにも存在感があって面白い時代だったね
友達がファミコンで自分が88ユーザーだったから互いに行き来して
違いを楽しんだものよ 玩具売り場で敢然と鎮座してるカセットビジョンの残念感はガキだった俺でもFCの圧勝を感じた
ピュウ太のコントローラーは色々と酷すぎて未だに合理的な持ち方が分からない(SLボタンとSRボタンは右手で押してた)
ひょうきん族みてると任天堂のCMが入ってワクワクした
ジャレコのカセットは少し他社カセットより重いのは何でだろうと思ってバラしたら親に怒られた
以上、おっさんの思い出だスマンな 段々と狭くなっていくカセットビジョンの枠に、俺だけは見捨てないぞと強く誓った小学生時代
まあその後ツインファミコン手に入れてうきうきだったんですけども ゲーム熱が冷めない
毎日3時間やっても消化出来ないほどゲーム三昧だわ
今はほとんどPS4に移行したが、PS3はいいゲーム機だった
生涯で一番稼働した
5000時間くらい壊れずにまだ現役 ゲームは子供の遊びという人もいるけどまだ大人の遊びか
子供の遊びかという時代的な判定を経ていないと思う
今の中年がまさにゲームに触れた最初の世代だからなあ
正直どっちに転ぶか分からないわ
まあゲームと言うなら囲碁将棋だってゲームなのにちゃんと
大人の趣味として市民権を得てるしいけるんじゃないかと思うが パソコン派はpc88の時代が終わり、pc98を親から買って貰ってた世代か? メガドラのストライダー飛竜の敵キャラで「ウンコビチッ」とか「半額かもっ」とか言ってたヤツいたじゃん?
あれホントは何て言ってんだ? レトロゆえに強力な副業ドットコム
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
6RTRV 小学生の頃電器屋で見たX68000は面白そうなゲーム機だったけど
手に入れる前に廃れて終わってた
あれのユーザーだった更に上の世代は偉そうに語るよね それじゃピンポンイントに76年生まれとしての思い出をストレートに書くか
10歳の時が高橋名人とハドソンのキャラバンの最盛期ってのは
今思うと良かったな
それより大きかったらもう醒めた目で見てたかもしれないし
もっと小さかったら資金力も行動力も情報収集力も限定されていて
ここまで熱くならなかったと思う 今振り返ると85、86、87年のファミコンゲームの密度と熱さは異常だな
スターフォース&ソルジャーで高橋名人に憧れてる暇もなく
ディスクシステムとスーマリ、さらにドラクエシリーズも出始めた
ハドソンゲーだと他にはロードランナーとボンバーマンにもハマってたし、
ポートピア、オホーツク、さんまなどの黎明期の推理アドベンチャーも熱かった
普通に学校行って、塾や習い事もあったのにこんなに大量のゲームを
時間をどうやりくりしてプレイしていたのか全然思い出せない…
1人でこんなに買えるわけないから、友達との貸し借りを駆使して
色んなゲームをプレイしてたのは覚えてるが、今だと2〜3個のゲームを
やってる間にあっという間に1、2年なんて経っちゃうのに、
子供の時って物凄いバイタリティと移り気だw クラスで一人だけファミコンではなくセガMk3持ってた〇田君。
無神経にファミコンやろうぜ、と言っててゴメンな
まさか数年後、自分がメガドライバーになるなんて思いもしなかったよ
もし、転校していかなかったらメガドライブで熱い青春を語れていたかもな >>134
同じ思いを抱いてる奴はかなり多いとみた 今から考えて見ると
ぜんぜん面識もないやつが
俺んちに遊びに来てファミコンやってたな 俺はその面識のない奴の立場になったことあるわw
友達の友達の友達、ぐらいの関係の奴にそいつがお目当ての
新作ソフトを持ってるってだけで、そいつの家に”友達”と”友達の友達”と
3人でおしかけたりした
”友達の友達”はそいつと友達だからいいが、俺と俺の友達は
面識ほとんど無し
向こうにしてみればよく知らん二人が、自分の友達とセットになって
やってきたという
>>136の家に来た奴も多分そんな感じの、友達のそのまた友達、
みたいな関係の奴でしょ でも楽しかったな
1年くらいだけだったけど
友達が増えた気がした あの当時のあるあるだなw
いまはネットの時代だからそういう出向く出向かれるってのがないのだろうな……オフ会ぐらいか? カセットの交換借りをしまくってて、どこのどいつがオレのカセットを持ってるのかも不明だった
又貸しのやり放題
でもオレ的にも思わぬ掘り出しゲームがプレイできて嬉しかったけどな
結局、みんなのカセットが元に場所に戻ることはなく、オレんちにも裏面に「たかし」とか
マジックで名前が書いてあるエキサイトバイクが残ってたりした >>133
ファミコンでやり込み出来るの少なかったから、クリアしたら終わりと認識すればかなりのゲームを遊べたな。
裏ゼルダぐらいしか、やり込みモードあるゲーム思い出せない。 剣無しゼルダみたく、
やり込みというか、縛りプレイの方が主流だった気がする そんな厳しい縛りプレイやってたんか
せいぜいファミスタでTチームの奪い合いが起きるから使用球団固定で遊んでたくらいしかないな 76年生まれの大きなポイントとして小学校入学の年にファミコンが出たというのは大きいな
小学校の6年間をファミコンと共に歩んだわけで
これが2つ3つ上の学年の人たちはファミコンの無い小学校生活を数年送ってるから、
ゲームの話をするとそこでちょっとズレがある
ゲームウォッチも自分らの知らない古いものを知ってたり、アーケードやPCのゲームに
触れてるお兄ちゃんたちも多かった
そこはファミコン一辺倒だった自分たちと比べて大人だなーって憧れもあった まあ76年組も小学校低学年の時はまだゲームウォッチとファミコンの
両刀使いって感じだったが、ゲームウォッチはあくまでサブで、
ほぼ最初からファミコンが真ん中にあってのゲーム生活だったから
逆に3〜4つぐらいまでの下の学年とはあまり感覚のズレがなかった
最初からファミコンありきの小学校生活って点で共通してたから >>143
ガキの頃ってすさまじい縛りプレイを平気でやってた奴多いな(笑)
ガキの頃はガキの頃で
大人ってすげえスーパープレイができるんだなと感心してたりした 初代ファミスタは「R」のレールウェイズ禁止ってとこ多かったな ファミマガやファミ通といった専門誌の創刊や廃刊に立ち会えたのもまた感慨深い
新作情報とか雑誌の小さい画面写真1枚で盛り上がったもんだ ファミコン誌の百花繚乱って点でもやっぱり85〜87あたりは熱かったな
90年代に入るとファミ通、ファミマガ、マル勝、ヒッポンの四強にほぼ絞られちゃったが、
それ以前のもっと混沌としたファミコン誌の黎明期が好きだった
ハイスコアとかファミコンチャンピオンなんかがまだあった時代
本屋でもどの雑誌が自分の知りたい裏ワザや攻略法が載ってるのか、
数が多すぎてチェックするのが大変だったのも懐かしい ゲームボーイもね
ハイスコアと言えばゾンビハンター
ソフトが当たる50円アイスもあったな ファミコン本体は、当時父が麻雀をやりたいがために、おねだりせず発売当初に手に入ったのは嬉しかった記憶がある バルーンファイトの二人プレイで、友達が一人減りました ファミコンを論じた研究本、もしくはファミコンソフトのカタログ的な本なんかは
21世紀になってから当時を振り返る感じで沢山出てるけど、
往年のファミコン雑誌の研究ガイド本みたいなのも出してほしい
複数の出版社に協力取り付けなきゃいけないから大変かもしれんが
潰れた会社もあるし >>152
同時期にデビルワールド・アイスクライマー・クルクルランドと友情破壊ソフトが目白押しでしたな 初代マリオブラザーズもな
って、全部任天じゃねーかw
コナミワイワイワールドは楽しく協力プレイできたのにな。
操作するキャラに性能差があったから役割分担が機能したのかも。 >>152
>>154
>>155
そこが任天堂の真骨頂よ
ゲームってのをよくわかっとるわW モンハンでつい調子にのって仲間を打ち上げてしまうお主とか、
任天堂の策にはまっておるわ……………などと考えとる むしろ任天堂の洗礼を受けた連中は少々の失礼をされても
それがゲームというもんだと嬉々として遊んでおるのではないか?
(もちろん足の引っ張り合いモードに突入)
バトルシティなどはトチくるって司令部攻撃する奴もいたのう マリオブラザーズは対戦が熱かったな
当時は「殺し合い」と言ってた えらくピンポイントなスレタイだが、
誤差は何年くらいまでだ? >>156
デビルワールドで殺し合いしたわ
あと、初代マリオブラザーズも >>160
ゲーム機=ファミコンだった世代までじゃないかね
±3年ってところかな >>159
言ってたねえ
子供なりに揉めないように最初に取り決めをしてプレイしてたよ
「んじゃ今日は殺し合いな」「今日は協力でな」って感じで
でも小2ぐらいのガキゆえに途中で協力の約束を破って
喧嘩になる事も多々あった
あと一歩、相手を突き飛ばせば…っていう絶妙のタイミングが発生すると
つい悪戯心で殺したくなっちゃうんだよw ナムコもわりと殺し合いになる系あったよな
既出のバトルシティもそうだけどワープマンとかスカイキッドとか マリオブラザーズに関しては取り決めをしての殺し合いは最初から
”勝負”としてやっていたな
今思うと後のストUみたいな対戦格ゲーの原点だったかも
この頃はスポーツゲーム以外はプレイヤー同士が戦うゲームって
ほとんど無かったと思うし
アーバンチャンピオンやマッスルタッグマッチあたりで初めて
プレイヤー同士が格闘するゲームの面白さを知った気がするが、
そのさらに前に実はマリオがあったのかなと 1973年生まれがちょっとお邪魔します。
一通り読んで想像以上にジェネレーションギャップを感じた。
たった3年の違いなのに。
あの頃のゲームの進化のスピードって本当にすごかったんだなあ。
>>132なんかは読んでて確かに!と思った。
当時は周りも高橋名人ブームには冷めた目で見てて、
どちらかというと話題にするのが恥ずかしい雰囲気だった。
友達が来るときには高橋名人の冒険島のカセット隠したりしてた。
このゲーム今でもたまに遊ぶくらいに大好きなんだけどね。
>>144の通りで、低学年の頃はひたすらゲームウォッチで遊んでた。
サルのようにドンキーコングばっかやってたなー。
それしか持ってなかったし。
ファミコン出たのが小4でスーマリが小5、ドラクエ1は中1だったかな。
そのままウルティマ、ウィザードリィとRPGにハマっていった。
ドラクエ出たときに小学生だったらまた違ったゲーム遍歴を歩んでいたのかなあとおもったり。
長くなってしまったけどちょっと懐かしい気持ちになったので、お邪魔しました。 >>166
76年生まれの俺の
小学校高学年はドラクエ1〜3と共に成長してた気がする
4はAI戦闘?AIってバカなんじゃないの?
と発売前から冷めた目で見てて、手を出さなかった
その後、ウィザードリィに流れたが
ドラクエがRPGの元祖と信じていた俺には衝撃的だった
キャラメイクや転職などハマった部分は全部パクリだったとは。
もう2年ほど年が下だったら何の疑いもなく4をプレイしてて
ウィザードリィに手を出すのはもっと先になっていたかもしれない 74年生まれだけど76年生まれとあまり感覚ちがわないような
気が。
小5の頃はスーマリ&高橋名人ブームだった。 自分も76年生まれで、>>166や>>170のようなちょい上のお兄さんたちに
セガについてお聞きしたいんだけど
自分のまわりでは少し上のお兄さんたちはファミコンより
セガを持ってる人の方が多くて、なのでセガはファミコンよりも
お兄さん向けのゲーム機って印象がまだ抜けない
でも長じて調べてみたら、SG1000もSC3000もファミコンと同時発売と
知って驚いて…
てっきりファミコンよりも少し前に出ていて、だから上の学年の人たちが
多く持ってるものとばかり
(ゲームもファミコンよりも大人っぽいものが多いってイメージも)
そうなるとセガはややお兄さん(といっても小学校高学年ぐらい)
向けってのは単なる自分のまわりだけの現象だったのかなと あとゲームウオッチについて>>166氏の証言が興味深かった
やっぱりファミコンが出る前はゲームウォッチが子供たちの
ゲーム生活を独占してたんだって
俺らの年代だとファミコンの無い小学校生活ってちょっと感覚的に
わかんないってのがあってw
たとえ自分が持ってなくても友達の誰かが持っていたからなあ
ただゲームウォッチはファミコンやゲームボーイと違って一台で一日、
延々と遊べるものでもないから、少なくとも
ファミコンが無かった低学年の時は俺たちよりも外で遊ぶ時間が
多かったんじゃないかと思ったり せっかく買ってもらったゲームがクソゲーでもいつか面白くなると信じて1,2ヶ月やりこんでた小学生の感覚に戻りたい。
今はネットでゲーム画面の写真とかプレイ動画を見て思い出に浸るのが楽しいだけで、もうゲームは全くやらない。 >>173
その過去の小学生の自分が今にタイムスリップしたらどう思うだろうか………感動の余り絶句するか、しばらくして空しく感じるか……… 最近の3Dアニメなんか見るとこれ過去の自分が見たら感動するだろうなと思いながら見てる時あるよ あ、ちなみに自分は72年生まれで、小2辺りでインベーダーと出会ったかな。
ファミコンの発売は小5。それまではゲーセン通って中高生がプレイするゼビウスやらディグダグを横で見てた。
当然、ゲームウォッチも死ぬほどプレイした。
ドラクエ1は中2、ドラクエ2は中3の一学期。中3の三学期高校受験前に、並んでドラクエ3を買ったね。
ドラクエ4は高2で、これも並んで買った。
1998年にウルティマオンラインが出たときは、ドラクエなんかで街にいる人間が、他のどこかのプレイヤーが操作するキャラクターなのか!?と、感動したもんだ。 うおおおおおお!!!!!!!!
アケのゲームがやりほうだいッッ!
といま喜んでよいものなのにな
やはり当時あの場所で金いれてむきにやってFC版で完全移植とは程遠いがそれはそれで楽しくてやりこんだという空気には程遠い……… アーケードのゲームがFCに移植されて喜んだ最初の思い出は
ドラゴンバスターかな
FC版発売は87年1月だから小4、アーケードをプレイしたのはたぶん小3
そんな小さい時に普通のゲーセンなんて怖くて行けなかった
(まだまだ不良の溜まり場のイメージ強かった)と思うから、
駄菓子屋やデパートの屋上とかに置いてあったものを遊んだんだと思う
その少し後にバブルボブルとかダブルドラゴンとかも その次はいきなり92年のストUまで飛ぶw
その前(89年)に中学に入ってやっとゲーセン行く根性がついて天地を喰らうに
ハマったけど、FCで出たのがRPGでガッカリ(結局そっちもハマったけど)
やっと94年にPCエンジンCDロムでアクション版も出たけど遅ぇよ!と
ゲーセンで天地を喰らうに熱中してた中2ぐらいの時、いつカツアゲされるか
ビクビクしながらやってたもんだが、今思うと我ら76年組は>>177ぐらいの年代の
お兄さん方にびびってたんだなどw
自分は運良くされなかったが、ガラ悪い場所だと実際やられた同級生もいたしなあ >>180
「金無いんすけど……」
「オマエ飛んでみろ」
↑よくあった光景だが
「オマエが飛ぶんだ」
といって相手の金玉を蹴りあげて
「ずらかれっ!」
といってわいらを連れてトンズラこいた友人を北斗か!とつっこみながら思い出す………… あんときの絡んできたアンちゃん子供作れたかいな……と思うほどの飛び具合いだったw
いま、昔の柄の悪い連中現在どう暮らしているのか覗いてみたい 76年生まれです。
小学生の頃は当時のアーケードとコンシューマの性能差がワクワクしてた。
たま〜にデパートの屋上のゲームコーナーに家族で立ち寄ると、見ているだけでも十分に楽しくて、ゲーセンのは違うなぁ〜、画面が綺麗で音楽が凄いなぁ〜等と、デモ画面だけでもいちいち感動してた。
中2の時にビックカメラ池袋本店のゲームコーナー片隅の暗いところでデモをやってたネオジオにビックリ。こんな凄い画面のゲームが家でできるのかぁ…と。
翌年、やっとの思いでネオジオ買って、餓狼1だけで相当自慢できたなぁ…。
高校生になってから基板が買えることを知り、バイト代を全て注ぎ込む様になり、メッセサンオー3号館に入り浸ってたな…。 でも76年生まれとしてはスペースインベーダー、ゼビウス、ギャラクシアン、
ギャラガ、くにおくんあたりの超有名なアーケードゲーもいまだにファミコンの
ゲームって印象が強いんだよなあ。初プレイもやり込んだのも
全てファミコンだったから
パックマンやディグダグでようやく半々かな、この二作はゲーセンにも
長らく置いてあったから
でもこれらはまだアーケードが元祖って知ってるだけマシで
スターフォースまで元はテクモのアーケードだってことは大人になるまで知らなかった
スターソルジャー同様、ハドソンのオリジナルFCゲーとばかり
ついでにグラディウス、ツインビー、エクセリオンあたりも長い事
元がアーケードだと知らなかったな 高橋名人の冒険縞も、元はアーケードのワンダーボーイだね。 当時はアーケードのスペックの方が圧倒的に高くて
ファミコン版→ゲーセン版を見ると感動した
爆発は大きいし多重スクロールもするし
グラディウスのレーザーも長い アケが廃れるとは全く想像出来なかった時代
ましてや家庭用が業務用に並ぶほどの能力を持つなんて考えられない訳で… でも80年代前半〜半ばのアーケード移植のFCゲーに限って言えば家庭用と業務用の差に
大きな不満を持ってた世代って、もっと上の年代の人たちじゃないかって思うけどな
76年生まれだとまだ幼くてアーケードゲーに対してそこまで触れ合う機会が
少なかったから、不満を持つに至るほどの知識も機会もあまり無かった
でもその数少ない機会だと、家族で入った喫茶店にあったテーブルゲーム機のゼビウスで
バキュラが大量に飛んで来たのを見て「おおっ、スゲー!」って思った思い出が…
でもそのバキュラの大群に即死して「こんな飛んで来たら難しくてクリアできない!
ファミコンの方がいいや」って思ったなw 小3ぐらいの時の思い出
ストUぐらいになると高校生になってたから、やっぱゲーセンの方がすげえって
流石にはっきり認識出来たけど アケは回転率の利益ありき
ファミコンは売り切りの本数売上げありきでメインターゲットは子供だしねえ
子供でも安心して家庭で好きなだけゲームが出来るってとこに合わせてるのもあわせてかえってアケよりも楽しめるものが出てきてる、子供騙しのクソゲーは更にたくさんだが ドンキーコングのゲームウォッチの話がちらほら出るが、あれはマルチスクリーンという
当時はゲームウォッチ後期に出た高級品
筋がね入りのオレはゲームウォッチはボールとファイアの毎プレイカンスト
ちなみにゲームウォッチじゃなくて正式にはゲーム&ウォッチな 75年生まれだが、そもそもゲーセンに行くことが殆どなかったから
アーケード移植と言われてもピンと来なかった
それよりパソコンのゲームのグラフィックの異様なキレイさに度肝抜かれた記憶がある
ああ、これに比べたらファミコンは玩具だと小学生ながら思った
まあ当時は画面の中のキャラクターを自分で動かせる、というだけで楽しかったな 一人用ゲームが圧倒的に多くて二人同時プレイ可能なタイトルがあるとそりゃ蜂の巣つついた騒ぎよ
対戦か同時攻略かでまた枝分かれだけど両方の欲求を早い段階で満たした任天堂はスゲエと思う
多人数プレイ可能なドッジボール部はそりゃあもうたのしかったわー ディスクシステムのバレーボール・アイスホッケー・プロレスあたりは友達対戦が熱かったっス くにおくんのドッヂボールは楽しかったなあ
必殺ショットをキャッチすると仲間内のヒーローだった テクノスの物は家庭用だと最適化したものを出してくるから非常に重宝した ゲームというよりゲームから発生したメディアについて、だけど
たぶん86年のBugってハニーを皮切りにゲームアニメが
始まったと思うんだけど(ゲームセンターあらしは特定のゲームを
原作にしてるわけではないので除く)、76年生まれってそれらを適齢期?に
享受した最初にして一番上の世代ってことになるのかな?
調べてみたけど76年生まれ基準だとハニーが小4〜小5
「RUNNING BOY スター・ソルジャーの秘密」の上映が小4
純粋なゲームアニメではないがビックリマンと新ビックリマンが小5〜中2
桃太郎伝説と新桃太郎伝説が中1〜中2
ドラゴンクエスト(アベル)も中1〜中2
俺たちより下の年代はこれらのアニメを観てたと思うけど、
少し上のお兄さん方はゲームはプレイしても、そのアニメはガキっぽくて
興味なかったんじゃないかって思ったり それと80年代半ばから90年代初頭の時期に、
他にもゲーム原作のアニメがあったら教えて欲しいです
上に書いたものしか知らない&観てないんで OVAも混ぜてよいのならwizardryや沙羅曼蛇やysあたりはアニメ化されたね
あとはSNKの格ゲー、餓狼・龍虎・侍魂はTVスペシャルで
餓狼やストUは映画化された >>201
なるほど、むしろ上の世代の人たちが観ていたのはそれらOVAの方なのかな
こっちはまだお子様だったからTVアニメ以外の知識は疎かった
内容もハニーやビックリマンなんかと比べて遥かに大人っぽかっただろうし
格ゲーのアニメ化あたりの時代になってくると、もうゲームアニメの黎明期ではなく
そういうメディアミックス展開が完全に定着したって感じかな てか、ドラクエ2の発売の知らせには、心底驚いたのは覚えてる。
中3の頃だったけど、全校生徒で草取りをやってる時だったなw