駄菓子屋に置いてあるゲームやってた? 3
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
身近に4軒くらい駄菓子屋ゲーセンあったけど
その全てにダブルドラゴンが置いてあった驚愕のテクノス全盛期 駄菓子屋は100人が100円ずつ買ってくれても売上10000だもんな
人件費や光熱費などの経費無視してもお店の利益は数百円もいかないんでは
店の奥でもんじゃ焼きとかお好み焼きしていた店が多かったらしいけどそちらの利益の方が多そう
自分はじゃんけんと貴族の山登りなどのメダルゲームと50円で初代ストリートファイター(でかいボタン叩くやつ)とドンキーコングみたいなゲーム遊んていた記憶がある(ドンキーコングはオリジナルかパチかは定かで無い) 欠 ,,,,,---‐‐‐‐‐---,,,,,
陥 / ハ \
ア ゲ \
/ド ヽ
/ バ 丶 ヽ
| ン 横領 ` |
| ス |
( ド 彡 ひとあき )
( /大彡彡彡彡 ミミミミミミ ) ゙ミ;;;;;,_
| /戦 `-===・==、 ィ==・==‐-' ) ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,,
/⌒ |/ 略・0”*・o; ノ ヽ ;・0”*oヽ i;i;i;i; '',',;^′..ヽ
// ̄/; を ・。:%*@・: / .⌒ ` 8@ ・。: 〉 ゙ゞy、、;:..、) } プ〜ン
ヽ | ( 。出:・‘。c . (● ●)”・u。*/ .¨.、,自、_,,r_,ノ
| ( :。; し・。。;%:・。/::: ::::::| |::::::・;%ヽ /;:;":;.:;";i; 作;;;_~;;;′.ヽ
\( 。;・0た*・o;:。・;%:/::::::::::l l::: ::: \ )゙{y、、;:...:,:.:自.:,:.:. ._ 、}
(; 8@ ・チ:.”・:8 ・p ,..,,;;;;;;;;;;;,,__,: ) ".¨ー=v ''演:v、,,、_,r_,ノ′
( 0”* ョ・o0”*・o /”U凵:::::J」|i!;: )/;i;i; '',',;;_三¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ
(。・:%,:ン:(:`* 厶⌒ヽ⌒ヽ / )゙{y、、;:...:,:.:.、 ;流,:.:. ._ .、) 、} プ〜ン
(; 8@・。; 8@ ・ ヾ、, `ヽ ) ".¨ー= v ''無:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
\ :::o :・。:::: ー-‐'"/ /i;i; '',',;;;_ ~ 職¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ
ヽ ヽ:::: _- ::::: ⌒:: ::::::::ノ ゙{y、、;:..ゞ.: ,:.:.、58.:,:.:. ._υ゚o,,'.、) 、}
\_::_:::::_:::: :::_/ ヾ,,..;::;;;::, ;,::;):;:;:才:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′ あの手の住居と一緒の店は家賃が要らないから
そこまで儲ける必要無いのよ でも今じゃ消滅したから
やはり儲かってなかったから廃業したとしか思えないよ 元々小銭稼ぎの商売だし
コンビニとかに客を取られた上に
店主も高齢化して
そのまま消えるってパターンが多かったんじゃないかな
あの手の経営者は店が無くなっても困窮するような階層じゃないから
あんまり心配しなくても大丈夫だよ ゲームが儲からなかったんじゃなくて単に駄菓子屋そのものがなくなった結果ゲームもなくなった感じだったしな 今じゃ駄菓子ゲーム筐体は
ヤフオクで高値で落札される時代だからね。
カプコンのミニキュートやネオジオの4本挿し
筐体なんて保存状態が悪くても10万円は
下らないから。
今じゃ捨ててしまって勿体なかったと後悔してる
人達もいると思うよ。自分もその1人。 そんなもの買うぐらいだったら今売り出してるミニ筐体のやつ買った方がいいと思う >>705
なんで最近は駄菓子屋筐体をはじめ
ゲームセンターの中古筐体がオークションで
高値になってるの?ミニキュートとか
アストロやエアロシティーまで。
以前は沢山あって壊して捨てたんだから。 近所の駄菓子屋以外では見たことがない火の鳥を追いかけるゲームが好きだった。
名前も忘れてたんだけどdsのコナミアーケードコレクションに入っててうれしかったな。
名前はロックンロープ、今やってもなかなか面白い。 ゲーセンが少なくなってアストロとブラストはガンガン海外に持っててるのテレビで見たな 駄菓子屋の思い出を投下します
エレベーターアクションに変に憧れがあるのもこの体験のせいかな
「駄菓子屋のおばあちゃん」と聞いて連想するのはきっと「優しい」「話がうまい」「人望が厚い」という肯定的なイメージであろう。
しかし、駄菓子屋業界にはそんなイメージを一蹴するアウトローなおばあちゃんも存在していた。
私の家の近所は4軒の駄菓子屋がひしめき合う激戦区だった。
東の「山崎」西の「木村」南の「千田」北の「高井」
距離的に一番近い木村屋を常店としていたわけだが、店のババアのエゲツなさに私の幼心は来店の度にビシバシとしごかれていた。 毎回限度額50円を持って木村屋へ出向く。
入り口が2つあり、向かって左の方から入らないと怒られる。
入ったら「くださいな!」と合図を送らないとババアが奥にいて気付けないからまた怒られる。
常にデフコン1が発令されているこの店で無言で駄菓子を物色しようもんなら即「万引き予備軍」としてババアのブラックリスト入りだ。
気をつけろ。
勘定場にババアがスタンバったらコの字型の通路を歩きながらババアの過酷な監視の下、商品を選ぶ工程に入る。
テレビをチラチラ見ながらこちらを伺っている時もあるが、あまり視線を送らない方がいい。
「ババア目線」がこちらに来た時にタイミング悪く視線を逸らすと
「なんだ、後ろめたいことでもあるのか」
「……万引きか!!」
となる。
ババアの脳内では森羅万象が万引きに収束する。
コの字のラストロードはグッズコーナーだ。
駅員ごっこに使うハサミやソフトグライダーなどの高価な物が壁一面にぶら下がっている。
出口に近い区域でもあるからババアの万引きアラームは起爆寸前だ。
買う気がないのなら君子危うきに近寄らずを意識しよう。
会計を済ますと
「はい、おつりは1億万円」
いらないリップサービスである。
帰る時は「おばちゃんどうも〜」とお礼を忘れずに。
店を出る時のキムラーの体力はうまい棒一本じゃ補えないほど消費しているであろう。
日に2回来店するのはちょっとキツい。
「なんでさっきまとめて買わないんだ」的なババアの仏頂面も足を遠のかせる。
急な収入があったら翌日の来店にキープ&チャージか他の店に行こう。 そんな木村屋にも魅惑的なゾーンがあった。
入り口直上のサンクチュアリ「プラモコーナー」だ。
やはり万引きを危惧して子供の手の届かない高さに陳列してある。
私は白い車のプラモが欲しくて姉の貯金箱から千円をくすねて買いに行った。
ニヤニヤしている私にババアは「なにニヤニヤしてんの」といぶかしげだ。
日頃の恨みを晴らすが如く、無尊な態度でババアにアゴで指示を出す。
「おばちゃん、アレ取ってアレ、ほらアレだよ」
“あ?ろくな銭もねぃくせに何言ってけつかる”
といった表情を見せるババア。
私の番だ。
おもむろに千円札を取り出す私。
ババアは印籠でも突きつけられたような驚愕した表情になった。
「あらぁ〜お金持ちねぇ〜」手のひらがグルングルン返される。
いよいよ私のニヤニヤが止まらない。
「ね、だからアレ取ってアレ」
はいはいっ!と脚立を使ってお目当てのプラモを取るババア。
思わぬ千円札の登場で10歳は若いリアクションを魅せるババアに私はご満悦。
いやぁ〜いいもん見れた!
プラモを受け取ってお金を渡した。
するとババアが急に理性を取り戻し「こんな大金どうしたの」と尋問をし始めた。
「貯金してたお金だよ」と嘘をぶっこくも、伊達に長年ババアをやっていない。なかなか納得してくれなかった。
「本当だよ!」と半ば強引に決着をつけ、家路を急いだ。
その数時間後、姉に速攻でバレて叱られた。
しかし、世の中に、特にババアに一矢報いた私の心は晴れ晴れしていた。
盗んだ金で買い物をさせたババアの失態はデカい!……はず。 木村屋で色々嫌な思いもしたが、ババアは子供思いな一面もしっかり併せ持っていた。
親に叱られて泣きべそかきながら木村屋の前を通った時、ババアが私の服をまくってヘソに鍵を挿すしぐさをして
「あんまり泣いてると開けちゃうゾっ」
と笑わせようとしてくれた。
余計泣いたっけ。
店前にある「エレベーターアクション」の画面を物欲しそうにずっと眺めている私の目の前に来て「電気がもったいねぃ」と吐き捨て、バシっとコンセントを引き抜いた行動も、きっと
「暗くなるから早くおうち帰りな」という親心であろう。
うまい棒パクリの百点棒が3回連続で当たりだった時も「これぁどう見ても印刷ミスだわな、残念」と言って引き換えてくれなかったのも「こんなのばっか食べてたら虫歯になる」という親心に間違いない。
今は跡形もない木村屋だが、私の脳裏にはあの万引きアラーム付きの鋭い眼光と、ババアの内に秘めた不器用な優しさが今もキラキラと輝いている。
おわり オレンジ筐体が好きで、木村屋の駄菓子屋筐体もイメージして作りました
我ながらよく出来たと思ってます
これでババアにコンセントを引き抜かれず存分にプレイできます
https://i.imgur.com/YjqsurE.jpg いい感じじゃないでしょうか
これでムーンクレスタがやりたいです >>715
ムーンクレスタ、いいですね
駄菓子屋筐体にはレトロゲームが似合います
次は森田屋の駄菓子屋筐体の思い出です 私が通っていた小学校の通学路に「森田屋」という駄菓子屋があった。
狭くて汚ったない店内からはみ出すよう駄菓子屋筐体が4つ設置されていた。
「ダブルドラゴン」「バブルボブル」「モンスターランド」そして「スプラッターハウス」。
私と2つ下のいとこは幼いながらもホラー映画などのグロいものを好んでいたせいもあり、スプラッターハウスは2人の大のお気に入りだった。
森田屋は1プレイ20円とリーズナブル。
スプラッター目当てで週末は必ずプレイに訪れていたため、2人はプロ並に上手くなっていた。
常連のガキからは「スプラッター兄弟」の異名で呼ばれ尊敬されていた。
鼻高々だった。
そのうち森田屋内で年上と年下の友達もできた。
「そこは銃を2丁持っていきな」
「ゲーム内でダメージ食らっていいのはジェニファー戦の1回だけね」
「エンディングは見ないで立ち去るのが基本だから」
などと上から目線で講釈を垂れるまで栄華を極めた。
しかし、栄華が長く続かないのは世の常。 ある日の下校中、急にムラムラしてスプラッターをやりに森田屋ののれんをくぐった。
そこで見たのは
「なんだかいつもと雰囲気が違う……あ!」
なんとスプラッターハウスのあった場所に「大魔界村」が鎮座していた。
目ん玉が飛び出てスプラッターしそうになった。
待て待て!場所が移動しただけかもしれない!
ダブルドラゴンがあった場所を見てみる。
【ダブルドラゴンII】
IIに格上げ!
バブルボブルの場所を見るとバブルボブルのまま。
モンスターランドもそのまま。
スプラッターが無い…ほんとに無い…。
自分の居場所がなくなったような、森田屋に見放されてような疎外感を感じた。 もう帰りたい…。
しかし、店のおじさんが見ている手前、何もやらずに帰るわけにもいかない。
気を取り直そうと必死に努め、大魔界村の前に立ち10円づつ投入する。
「大の魔界の村なんて僕が成敗してくれる!スプラッターで培った腕とくと見…」
カチョン…
返却口に落ちる10円。
「あれ?」
投入口をよく見ると「50円」の文字。
急に商売っ気出してんじゃねーよ!
不運なことに下校中の低学年が集まってきた。
見知った顔もいる。
元々気の弱い自分。手は貯水率を超えた汗でビショビショだ。
プレイして数十秒「やだ…何これ難しい…」
全然クリアできる気がしなかった。
そして現れたGAME OVERの一文。
もはや私の栄華の終わりを告げる判決文だった。 静まり返ったギャラリーを前に
「いや〜とても面白かった!!」
という顔をしてダッシュで逃げ帰った。
それからというもの、森田屋の前を通らない下校ルートBで帰るなど、完全な森田屋恐怖症になってしまった。
10年後、私は高校生になった。
下校途中ふらっと寄った駅前のゲーセンのレトロゲームコーナーにスプラッターを発見した。
懐かしさとほろ苦い思いが交錯した。
同じ列にはなんもバブルボブルとダブルドラゴンの姿もある。
まるで森田屋じゃん…。
森田屋は既に無く、同じ場所にはアパートが建っている。
私は迷わずスプラッターにお金を投入した。
おわり タイトル忘れたけど自機がロケットみたいな形で全方位スクロールするSTGが好きだったな
ただ、いつも行ってた駄菓子屋は結構早いペースでゲームが入れ替わってたから深く遊ぶ前に違うゲームになってしまってね >>722
コナミのタイムパイロットじゃないかな。
ようやく面白さがわかってきた頃にゲームの入れ替えされちゃうことはよくあったな。 >>723
ググったらまさにそれだったわ
雲の中で複葉機とか撃ち落としてたの覚えてるw またまたゲーセンの思い出を投下いたします
ゲーランも今は車庫になってます。 子供は“早く大人になりたい”と背伸びするもの。
小学校高学年になった私も例外ではない。
駄菓子屋のような老若男女が出入りできるパブリックな場所も良いけれど、ちょっぴり危険な雰囲気漂う薄暗いゲーセンも魅力的だ。
そんな願いを叶えるゲーセンが近所にあった。
ゲームランド(通称ゲーラン)だ。
いとこと私は毎週土曜日になるとゲーランに通った。
ばあちゃの財布からくすねた200円を携えて…。 店の正面に4枚式のいかにも「いらっしゃいませ!」的なドアがあるくせにこれが全く動かない。
真の入口は正面向かって右側面の汚いちっこいサッシのドアである。
普通わからない。
「初心者はお帰りください、もうすでにゲームは始まっているのですよ」
と言わんばかりの憎い演出だ。
中に入ると店内がタバコの匂いで充満している。これぞゲーセンの新鮮な空気!
バンパイアでもいんのか?ってくらい薄暗い照明の下では皆単独でタラタラとゲームにいそしんでいる。
(当時はまだテーブル筐体が幅を利かせていた)
その独特のヒエラルキーに浸りつつ、私はいつものファイナルファイトをプレイする。
必ず2面のソドム戦あたりでゲームオーバー。
1クレジット消化すると、残ったお金でクッキーサンドアイスをいとこと1つづつ買って、食いながら帰宅する。
それがささやかな幸せだった。
しかし、幸せを脅かす黒い影が忍び寄る。 いつものようにファイナルファイトをプレイしていた折り、後ろに誰が立っている気配を感じた。
補導員…?ばあちゃんの財布の件がバレて警察…?
心臓バクバクでゲーム内のハガーが私を投影するかのように弱体化していた。
ゲームオーバーのあと振り返った。
そこにいたのは店主のおばちゃんだった。
驚く私を見て「あのね」と切り出した。
「学校から言われてね、小さい子は出入り禁止になったのよ」
それを聞いた瞬間、店内がより一層暗く感じた。
黒い影の正体は学校関係だろうか?
私の他にもゲーランには多くの小学生が出入りしていたらしく、それが大人達の目に留まったらしい。
ゲーランで買う最後のクッキーアイスを食べながら帰った。 高校生になった私は久々にゲーランに行こうと思い立った。
相当暇してたのだと思う。
そして、到着して驚いた。
あの初心者泣かせの固定4枚扉が普通の2枚式自動ドアになっている。
こんなウェルカムな入り口ゲーランらしくない。
中に入る。
「うおっまぶしっ」
壁は全面ガラス張りの蛍光灯テッカテカ!
つーかこんなに狭かったっけ!?
驚きの連続。時代の波を感じた。
気を取り直して鉄拳3をプレイする。
開始3分、店主のおばちゃんがゆっくり近づいてきた。
え、今度は「当店は完全会員制となっておりまして…」とか言うんじゃないだろうな…。
真横に来たおばちゃん。
ドキドキする。
ゆっくりとした動作で筐体の端っこに紙コップを置いていった。
中を覗くとコーヒーが入っている。
その瞬間、私は理解した。
客として認められた、と。
昔からゲーランは大人のお客にアイスコーヒーを振る舞うサービスをしていたのだ。
店の様相は変わっても伝統はしっかり受け継がれていた。
やっとゲーランに認められた。
これからは大手を振って入店できるのだ。
おばちゃんに軽くお辞儀をして再び鉄拳3に没頭した。
嬉しさと同時に笑いが込み上げてきた。
おわり >>724-725
まさに名作。
色んなゲーム機に移植されてるから今でも楽しめるよ。 タイムパイロット初めてプレイしたけど面白い
適度な難易度と爽快感もあるし、連コインしたくなるこれが1982年のゲームとは驚き >>727
その感覚よくわかる。
プレハブのインベーダーハウスの真っ暗な店内にインベーダーやムーンクレスタの画面が妖しく浮かび上がる。
なんともいかがわしい場所だった。 正直言うと駄菓子屋にゲーム関連はなかった記憶あるけど
唯一一回だけ
ムーンクレスタとあと1台が
駄菓子屋の向かい側の開いた場所に置かれた時があって凄い興奮した記憶がある
駄菓子屋にゲーム筐体と言ったら
ネオジオの筐体ぐらいしか思いつかないけど
ネオジオの頃はもう大人だったからな… >>733
あの雰囲気をまた味わいたいもんです
次は高校の頃一番お世話になったゲーセンの思い出です 1995年頃だろうか、江戸川区小岩駅のすぐそばに「スターズ」という格安ゲーセンが存在した。
一般のゲーセンの相場が1プレイ50円〜100円のところ、スターズは20円〜30円と超破格設定だった。
スターズの店内はとても狭く、筐体が向かい合った場所では人が座ってしまうと通り抜けが難しい。
その為、見知らぬ客と体が触れ合うこともしばしばだが、自然と嫌な空気にはならない。
超破格設定が引き起こす心の余裕だろうか。
安値と狭さの他にスターズにはもう一つ特徴的な部分があった。
それは店の一角にある。
両替機の裏の僅かなスペースに店主二人の事務所があるのだ。
長机と椅子しか置けないほんとに狭い空間。
いつもそこで二人がホールを背にして電話やら何やら事務をこなしている。
私が来店している2時間から3時間の間ずっとそこにいる。
どうせテレクラにでもかけているんだろう?と毎回聞き耳を立てるが、ホールの音に掻き消されて何も聞こえなかった。
とにかく、店主二人が雁首揃えて仲良く仕事している様が一枚絵のようにホールと溶け込んでいる光景は、無味乾燥なゲーセンのイメージとはかけ離れていて、とても温かいものだった。 私がスターズでハマっていたゲームは
「鉄拳2」
「ファイティングバイパーズ」
「ジャッキーチェン」
「対戦ぱずるだま」
の4つ。
ジャッキーは、当時カンフー映画にもハマっていて、ラスボスのジャッキーが魅せる五獣拳の型にシビれながら一人でオシッコ漏らしていた。
今作はモータルコンバットのようにフェイタリティが行えるのだが、それがジャッキーにも適用されるのか気になっていた。
“ジャッキーの胴体を真っ二つにしたい!”という不純な動機でプレイしていた側面もあった。
(フェイタリティはジャッキーには適用されなかった)
ファイティングバイパーズもだいぶハマった。
バーチャファイターに乗り遅れた鬱憤を晴らすかのようにハニーのスカートの中を必死に凝視したり、仰向けに倒れたハニーの僅かに揺れる胸を必死に凝視したり、最高のゲーム体験を与えてくれた。
装着したアーマーがバーン!と弾け飛ぶ演出もエポックメイキング的で、敵がハニーの時は必ず弾け飛ばしてから倒していた。
元来ケチな私に格安でゲーセンの素晴らしさを教えてくれたスターズには感謝してもしきれない。
それから数年後にスターズは潰れてしまったらしいが、未だに上記のゲームをプレイする際は、あの狭い店内やテレクラに精を出す店主達の後ろ姿が昨日の事のように眼前に浮かび上がるのだ。
おわり 次は普段行かない駄菓子屋での思い出です
軽く書きましたが、当時はほんとに怖かった 小学6年の時、友達と三人で自転車で遠くに冒険しに行こうということになった。
行き先は特に決めず適当だった。
30分程走った先に寂れた駄菓子屋が見えた。近所の見慣れた駄菓子屋と違う佇まいに惹かれ、店の中に入ってみるとパロディウスの筐体が置いてあった。
初めて見るAC版パロディウスに私は興奮したが、興味のない二人は「早く行こうよ」と急かす。
後ろ髪を引かれる思いで店を出た時、三人の動きが止まった。
見知らぬ男子二人が停めておいた私達の自転車に跨って駄弁っていたのだった。
見るからに不良の二人。体が大きい男子と小柄な男子。
まるでジャイアンとスネ夫。
学年は同じか上くらい。
三人で顔を見合わせた。
“どうしよう…” とりあえず近づく。
すると、ジャイアンがこちらの存在に気付き、こう言った。
「これ、お前らのマシン?」
マシン…。
ジャイアンとスネ夫だけにタイムマシン的な何かが頭をよぎるが、おそらく自転車の事だろう。
スネ夫はこちらをジロジロと観察し、ある物を発見した。
「あ、こいつウォッチ持ってるよ」
友達の腕時計を見ての発言だった。
ウォッチ…。
やっぱりタイムウォッチ的な何かを一瞬考えたが関係無いだろう。
「ちょっと貸せよ」
手にとった時計を見ながら不良二人は
「いいウォッチじゃん」
「本当だ、かなりいいウォッチ」
“いっぱしの不良は英語を操り、腕時計に目が利く”
という理念からくる発言なのだろうが、残念ながらその時計はガチャガチャで手に入れた時価100円の品だった。
その後、間違いだらけの不良二人と打ち解け、パロディウスを衆人環視の中プレイした美しい記憶があるが、なにぶん「マシン」と「ウォッチ」が強烈だった為、あまり覚えていない。
おわり タイムパイロットの最終面は2001年で宇宙でUFO相手に戦うけど
あの頃は2001年はまだ遠い未来に感じてたがもう21年も前になるとはね >>741
小学生時代はノストラダムスの大予言をみんな本気になって怖がってたよ。 五島勉の本は2冊読めば解釈が変わっているのが分かるので
単なるこじつけだと気付く 次は小岩にあったもう一つのゲーセンの話です
ずっと駄菓子屋関係ないけど許してください 小岩駅周辺にはスターズの他にも様々なゲーセンが点在していた。
その中の一つが「緑ゲーセン」だ。
スターズの次に足繁く通ったゲーセンなのだが正式名称は一切知らず、建物の周りを緑のネットで覆われていたから勝手に緑ゲーセンと呼んでいた。
緑ゲーセンは1クレジットの最低価格が50円と相場になぞったラインをキープしていて、特色としてホールがかなり広い。
間取りは2階にメダルゲーム、3階にレトロゲーム、1階は何があったか忘れた。
私と友達Sはスターズが混み合って入れない時にしぶしぶ3階で時間を潰していたのだが、とある理由で常に緊張状態を強いられていた。
緑ゲーセンに入ると真っ先に3階へ向かう。
棺桶に片足突っ込んでるようなレトロゲームが無駄に広いホールにポツポツと並べられている。
時間を潰すだけだから適当に長くプレイできそうなゲームを見繕ってプレイ開始。
そんな平和なひとときにとある乱入者が稀に紛れ込む。
2階のメダルコーナーの住民達である。
3階の平穏な天上世界と違い、2階の住民は皆いずれも不良のような出立ちで威圧的に騒ぎまくる地獄世界の赤鬼なのだ。
Sの友達なんかはカツアゲまでされたという。
そんな理由で常に緊張を解けない状態にいた。
一度、メダルコーナー民が大量に3階に流入した時は、プレイ中のゲームを放棄して「さて、うんこでもしにいこうかな…」とSと逃げ帰った情けないエピソードがある。
昨今ではテレビの影響で“面白い街”だなんてイメージが小岩に付き始めたが、私にはどこまで行っても“ただのコワイ街(コイワだけに)”であり、畏怖の対象なのだった。
スターズが潰れた後も緑ゲーセンはしぶとく営業していたと聞く。
それでもやはりゲーセン不況には抗えず、10年ほど前には息絶えてしまったらしい。
棺桶に片足を突っ込んでいるのはレトロゲームのみならず、ゲーセンそのものにも言えるのかもしれない。
ゲーセンをノスタルジーの源泉として心の拠り所にしている私にとって、それはとても悲しいことだ。
おわり 昨日、秋葉原のゲーセンでテーブル筐体のアルカノイドを初プレイしてみたらものすごく面白かった
他にもレトロゲーが色々あったけども、オレンジ筐体が置いてあるゲーセンって秋葉に無いのかな
筐体に頭突っ込んだ時の独特の匂いがまた嗅ぎたい 高田馬場のミカド行った時は面白かったな。
家庭用ゲーム機への移植のない今となっては滅多に遊べないゲームがたくさん置いてあって遊びまくった。 >>747
ああいう雰囲気の中でやるゲームが面白いんだよね
家の環境で無限にやる雰囲気と言うかゲームってちょっと微妙と言うか 当時はプロレスも熱を持ってたもんね。
あと、アッポーってのもあったな。 ヒューマンのせいでプロレスゲームはタイミングという風になってしまったけど
ボタン連打のプロレスゲームも嫌いじゃなかった
あのボタン連打の疲労感が本当にプロレスをやってる感じと言うか
初期の頃は良かったね >>748
ミカドも一度は行ってみたいな
NHKの72時間って番組でミカドがやってて居心地よさそうだった
>>749
そうそう、あのゲーセン特有の空気感の中でやるゲームは面白いよね
家でゲームをプレイするのは一生可能だけど、ゲーセンはゲーセンが無くなったらプレイが不可能(当たり前)だから、自分の中では貴重な場
あと首領蜂をやったらこれもすげー面白かったし、弾避けも異様に上手にできた 何十年かぶりにゲーセンに覗いてみたら店内がUFOキャッチャーと音ゲーだらけになってた。
テーブル筐体がほとんど置いてなくてめちゃくちゃ淋しかったな。 俺が最後に見た時は何やってるか分からんカード使ったゲームだらけだったな プロレスゲーとカードゲーといえば両方合わさったものがあったな
バトルクライマックs あれはガチ勢がコンテンツを潰した典型例
連中の返しは常に決まっていて「対策しないのが悪い」「マイルール押し付けるな」「お前もやればいいだけ」「他人の行動に口出しするな」
もうね、ウヨたのパヨだの言いたくないが少しは気持ちを理解できるよ プロレスといえば88年頃にビックリプロレスっていうニチブツ製のプライズゲーム機があったらしい 小岩駅周辺にはスターズの他にも様々なゲーセンが点在していた。
その中の一つが「緑ゲーセン」だ。
スターズの次に足繁く通ったゲーセンなのだが正式名称は一切知らず、建物の周りを緑のネットで覆われていたから勝手に緑ゲーセンと呼んでいた。
緑ゲーセンは1クレジットの最低価格が50円と相場になぞったラインをキープしていて、特色としてホールがかなり広い。
間取りは2階にメダルゲーム、3階にレトロゲーム、1階は何があったか忘れた。
私と友達Sはスターズが混み合って入れない時にしぶしぶ3階で時間を潰していたのだが、とある理由で常に緊張状態を強いられていた。
緑ゲーセンに入ると真っ先に3階へ向かう。
棺桶に片足突っ込んでるようなレトロゲームが無駄に広いホールにポツポツと並べられている。
時間を潰すだけだから適当に長くプレイできそうなゲームを見繕ってプレイ開始。
そんな平和なひとときにとある乱入者が稀に紛れ込む。
2階のメダルコーナーの住民達である。
3階の平穏な天上世界と違い、2階の住民は皆いずれも不良のような出立ちで威圧的に騒ぎまくる地獄世界の赤鬼なのだ。
Sの友達なんかはカツアゲまでされたという。
そんな理由で常に緊張を解けない状態にいた。
一度、メダルコーナー民が大量に3階に流入した時は、プレイ中のゲームを放棄して「さて、うんこでもしにいこうかな…」とSと逃げ帰った情けないエピソードがある。
昨今ではテレビの影響で“面白い街”だなんてイメージが小岩に付き始めたが、私にはどこまで行っても“ただのコワイ街(コイワだけに)”であり、畏怖の対象なのだった。
スターズが潰れた後も緑ゲーセンはしぶとく営業していたと聞く。
それでもやはりゲーセン不況には抗えず、10年ほど前には息絶えてしまったらしい。
棺桶に片足を突っ込んでいるのはレトロゲームのみならず、ゲーセンそのものにも言えるのかもしれない。
ゲーセンをノスタルジーの源泉として心の拠り所にしている私にとって、それはとても悲しいことだ。
おわり 最近クレイジークライマーやってんだけど・・・
焦るほど左右の腕の位置がおかしなことになり動けなくてイライラ・・・
2面もクリア出来なくなってたわ そこら辺がうまい作りだよね
実際に登ってる感覚に近いと言うか そういえば自分はアーケード筐体のブロック崩しはあんまり見た記憶が無い
任天堂が出していたテレビゲームは友達の家でよく遊んだ 地元のスーパーの屋上にアップライト筐体のボムビーがあったから遊んでた
子供用に足台が置いてあったけど今のゲーセンでも置いてあるのかな?
1度だけ移動がレバーではなくボタンのインベーダーを遊んだことがある
遊びにくかったから2度目はやってない 駄菓子屋の軒先にはガチャガチャとエレメカしか無かった
あんな屋外にアケゲー筐体を置きっぱにして荒天の後不具合は生じなかったんか 五島勉の本は2冊読めば解釈が変わっているのが分かるので
単なるこじつけだと気付く 駄菓子屋に通った役3年間ではシェリフを一番遊んだかな? 西日が差し込んで見ずらいし
後ろはスレスレで車も人もチャリも原付きも通るし
大変危険な環境でディグダグをしていた 忍者くんやスクランブルエッグを
昔駄菓子屋筐体でプレイした。 スクランブルエッグはリアルで見たことなかったな
それを大幅にアレンジしたミステリアスストーンズなら地元の駄菓子屋に置いてあったが やってたよ〜
駄菓子屋のゲームは1プレイ20円か30円ぐらいだったから助かった子供には
今考えるとパチもんゲームばっかり置いてあったけどw
定番のクレイジーコングとか カーアクションやスペースパイロットを
大昔に見た記憶が…。 気軽にやるんだったら
アルカノイド とかそこら辺がいいですよね やはり、スターフォースはアーケード版に限る
駄菓子屋で20円プレイが熱かった>静岡 軒下ゲームコーナーだったけど、店の人が本気すぎて20台ぐらい置いてた
都会のゲーセンと同じタイミングで入荷してたし、アップライトながらアウトランとかレースゲームを
アフターバーナーは1から入荷してたし、本業の雑貨店ほったらかしで頑張ってた
でも小さなショッピングセンターの一角には大規模過ぎて、小中学校、自治会、店の組合と対立して全撤去になった
あれは寂しかったな アップライト筐体て身長何cm以上を想定して設計されてるんかな
小4の頃には大体プレイ出来てたから子供の体型に合わせてくれてたんかな ゲーム名はしらんけど車から手が伸びてフルーツ取るゲームが置いてあった >>787
新日本企画(SNK)のジョイフルロードだな ボスコニアンを立ってプレイするデカい筐体でやりまくったな
デパートの屋上だったけど、雨の日に一生懸命プレイした
若いころと言ったらナムコだったんだよ >>764
高橋名人の冒険島じゃなくて
ワンダーボーイじゃなかった? キャラ変え移植の冒険時の方が有名という悲しいゲームそれがワンダーボーイ >>795
ビックリマンワールドの元ネタなら「ワンダーボーイ モンスターランド」だぞ そのあたりシリーズが進むに従ってめちゃくちゃになってるのよね
マーク3の移植版がスーパーワンダーボーイモンスターワールドになってから コナミのスクランブルとか、ナムコのギャラガとかゼビウスとか
どことなくシューティングが好きだった
最近の弾幕シューティングはあまり好みじゃない 弾幕ゲーが流行ったも20年近く前だからな
ここ近年のSTGはゲーセン展開考えてないから
すぐ殺しにかかるようなSTGはほぼ消滅した 時代の流れだな
当時はそんなSTGも理不尽だとちっとも思ってなかった
それが普通なんだと
今の弾幕STGも敵の弾凄くて腕が問われるけが
当時とは違った熱さだったな ムーンクレスタ で合体シーンだけで本当にドキドキしてた思い出がある
それだけ 新鮮だったし物事に飢えてた証拠かな ムーンクレスタって5までの合体までドキドキする
その前にやられてしまって合体が中途半端になったりするな
フォーメーションが組めるようになると強気になるw テラクレスタの間違いでした、すいませんm(_ _"m)
思いっきり勘違いしてました カーアクションとかフロッガー辺りか
あとタイムパイロットもね。 日差しとの闘いが結構あったな
で、ちゃんとダンボールで日よけを用意してくれたおばちゃんに感謝した(´・ω・) 懐かしいな筐体にダンボール
昔の平面筐体で光が入る場所には必ずと言っていいほどあった
友人のプレイは見れなくなるが、プレイするときには集中できた
ファミコンに移植されんかったギャプラスを死ぬほどやった >>805
カーアクションってバーニンラバーのコピーゲーのことか? 駄菓子屋系って営業マンがゴリ押しで設置させたのかな?
婆さん1人でやってる店がゲームの事知らないのにマメに色々な機種が入ってたな 殆どがリースだよ
場合よってはインカム全回収電気代負担を条件に
ただで貸し出してることもあった 駄菓子屋って、どう考えてもポンコツな筐体が多かったと思うけど
あれでもリースなの? レバーが4方向で斜めに動けない鮫!鮫鮫があったなあ(´・ω・`) 4方向レバーで絶対にクリア出来なかったスクランブル 駄菓子屋でネオジオか。自分たちの時代とは隔世の感があるな 100メガショックだからな
自分たちの時代は1メガショックでも凄かったわw 遠くの駄菓子屋にモノクロのチャンピオンベースボールが置いてあった
近所の駄菓子屋はエレメカオンリー
少し後になると個人経営のおもちゃ屋でテーブル筐体を4台ほど置いてる店があった 昔は無人のコインランドリーに
テーブル筐体が置いてあったよね。
自分が覚えてるのはジャンピューターと
ギャラガかな。 駄菓子屋で牛乳瓶みたいなガラスの容器に入った
緑色の寒天みたいのをストローで飲みながら
ずっとエグゼドエグゼスをやってたわ。
緑の他に赤っぽい奴もあったような気がする それは寒天でなく普通にゼリーだと思うんだが
緑はソーダ味かな?
赤は知らんが 容器物と言ったら、ヨーグルトが入ってるやつなら親しみがある
今でもあるかどうかはわからないけど >>819
ギャラガは駄菓子屋の定番ゲームだった。 駄菓子屋ってもう80年代の後半にはかなり減ってたような気がする ギャラガは合体すると当たり判定が無茶苦茶デカくなるのが厳しい 当時、ヤンキーだの不良だの、のさばってた時代だから
熱血硬派くにおくんのアーケードは熱かった
ファミコンに移植されたけど流石にクオリティは真似できなかったが
夢中になって遊びまくったのはいい思い出 >>827
サムライスピリッツや
ワールドヒーローズなんかも
ネオジオ筐体でよく設置してあった。
ネオジオ筐体が全盛期の頃は駄菓子屋より
コンビニやレンタルビデオ店にも
設置してあったのを覚えている。 MVS筐体、地元のスーパーにもあったけどコンビニってのは珍しいな ホッパーロボを徹底的にやり、延々プレイを続けられるレベルになった
あの頃ゲームのプロがあればオレは間違いなくホッパーロボの世界チャンプになれてた >>791
ワーイアップ ハワーイハワーイ のイメージ 駄菓子屋ではないんだけど、プールや温泉や飲食店、広くて明るいゲームコーナーにカプセルホテルまで備えた大型の複合レジャー施設で
休憩室のある2階の階段上がってすぐそば、電気も暗く人気のない廊下の隅っこにAC版悪魔城ドラキュラの筐体が爛々と稼働してたのが妙に記憶に残ってる >>831
ナムコのゼビウス、カプコンの1942とか
異常に上手い兄ちゃんが駄菓子屋、ゲーセンには多くいたな
あと残機何機あるんだ!?ってくらいに遊び続けてる凄腕が昔は確かにいた
あそこまでの領域には結局行けなかったけどw >>825
デュアルファイターのとき間に敵弾を通せないか試したけど結局一度も成功せんかった
やっぱり無理か >>831
ホッパーロボ好きなゲームだったな。家から離れたデパートのゲームコーナーでしか見かけなかったから
プレイは限られてたが
あれ、ジャンプで敵を倒したりコンテナ落として敵を倒したりできるようになると楽しくなるな >>836
このゲームは一画面固定で地味で簡単だから
駄菓子屋ゲームにはピッタリだね。 いつも駄菓子屋のゲームって空いてるからいつも貸し切り状態だったな
・・・お金すぐなくなるけど(´・ω・) 駄菓子屋で50円は大金だもの
それを数分で消える筐体に注ぎ込めるのは
小遣いが多い中学生とかだった
いつも後ろで見ていたよ 実際駄菓子屋で50円を取るゲーム機はあんまり無かったように思う
20円というのが多かった印象 20円のは都内(といっても子供が行ける範囲)では
見たことない世代なんだ
旅行に行くと見たけど凄く羨ましかった
倍以上遊べるじゃんって思って
1980年代中盤のくらいの記憶かな 地方は20円か50円が一般的だった
1980年代だね間違いなく、それ以上だとほとんど駄菓子屋が滅んでる
夢中になったスターフォースは今でもWindows上で輝いてるよ ブラックホール(1981東京電子設計)は駄菓子屋でしか見たことがなかった ブラックホールという作品も東京電子設計という会社も知らない ゲーム専業じゃないし
ていうか1980年前後は回路屋みたいな会社が副業でゲーム売ってる事がよくあった
すこし技術があれば簡単にコピーできたしな
しかしそんなインチキな商売がいつまでも続くはずがない
サン電子みたいな例外もあるにはあるが しいたけデツネ。
ソリャー(・ω・)物産ダケドサー ブラックホールというゲームをググってみたらだいぶギャラクシアンとかを流用してそう
フォントとか背景とか
動作はもっさりで難しそう
https://youtu.be/LrFVYDpwFR8 初めてみたブラックホール、
インベーダーのように下まで来たら終わりかと思ったが違ったw
いまいちルールがわからなかったけど、良くできてるね
移植はされそうになさそうで悲しい(´;ω;`)ウゥゥ スーパーの駄菓子コーナーや
商業施設のテナントになってしまった
行ける時間が遅いせいか、子供よりも
ツマミを探すおっさんおばさんをよく見る
風情も何もあったもんじゃないなorz つまみを流用した駄菓子もしくはその逆は結構ある
よっちゃんイカも今や酒のつまみに絞ってる(30円の駄菓子屋向けパッケージは廃止) 90年代前半まで実家の駄菓子屋に置いてあったゲーム
ガズラー、ホールランド、ジッピーレース、バンクパニック、スティンガー、
ロードランナー2、Mr.DO vs ユニコーン、国盗り合戦
店閉めてからしばらく筐体が置きっぱなしだったが粗大ゴミか何かで全て処分してしまった
俺は小学生で何ともできなかったな >>856
ジッピーレースは駄菓子屋さんに
昔置いてあったのを覚えてる。 棒を左右に振ってリアルに車が走り出すゲームがデパートの上にあった
何が楽しいのかわからんが幼児向けとして楽しかったのだろう
リアルジッピーレースとでも呼べばいいのか、そんなゲームだった レースゲームの元祖 みたいな 原始的なゲームだろう?
俺もやったわ 幼少期 子供が座れる戦闘機の筐体で、
正面ガラスケースの中の戦闘機のオモチャを
備えつけの機関銃で撃つやつトカネw 駄菓子屋のミニゲーセンみたいなのってお菓子より売り上げがあったと思う 任天堂の家庭用レースゲームが実家にあった
上方視点
「出」という字によく似たクルマ
あのスタイルの元祖は何なんやろう
ゲーセンではモナコGPより古い作品を知らない タイトーがステアリング付きのゲーム出してた気がするがタイトルまでは覚えてない
近所のスーパーに置いてあった背が届かず遊べなかった
そのうちディグダグに変わって無くなった。ディグダグは音楽が印象深いのでよく覚えてる 菓子だのジュースだの食いながら出来るってのは天国だった ワイワイガヤガヤと同年代の人や友人が周りにいるという環境が良かったですよね
大体が環境が整った ネオジオ筐体が印象強いのかな うちらの地元の駄菓子屋のゲームは店のおっちゃんがマメな人でテーブルに攻略法を常に書いて貼ってくれてた 中学生くらいの時は駄菓子屋ゲームにもう行かなくなったなぁ
小6がピークで天下だった そもそも中学になったら部活で忙しくなって行く暇なんてそもそもなかったな 普通から考えて 中学校で 駄菓子屋はもうないかもね 多分自分たち昭和50年生まれ前後の人たちだと中学の時には駄菓子屋なくなってたよな
80年代後半にはほぼ駆逐されてたような気がする どの時期かわからないけど 2000年入ったぐらいからもう 衰退してたんじゃないかな
全盛期は70年代80年代という感じかな やっぱり コンビニと一体化したりしてたな
有野課長の番組に出て来る様な駄菓子屋も
あるにはあったけど、駄菓子じや空腹を満たせず買わなくなった感じ コンビニと一体化したりしてたな
有野課長の番組に出て来る様な駄菓子屋も
あるにはあったけど、駄菓子じや空腹を満たせず買わなくなった感じ 今の駄菓子屋は 駄菓子屋 じゃなくて 一応 昔の名残でありますよ という
記念館みたいになっちゃってるよねw
あと今だと小学生はそういう店じゃなくて 学童 という集まるところがあるらしいよ 婆さんが一人でやってる本当の昔ながらの駄菓子屋が一軒あったけど
その店にはゲーム機は置いていなかった
エレメカすらも置いていなかった
ガチャガチャくらいはあったかも知れない
ゲーム機が置いてあったのは本業がパン屋でついでに駄菓子も売っている店
プラモメインのおもちゃ屋
そんな所 >>872
自分が小学生の時は中学生も普通にいて仲良くなったな コンビニと一体化したりしてたな
有野課長の番組に出て来る様な駄菓子屋も
あるにはあったけど、駄菓子じや空腹を満たせず買わなくなった感じ >>878
ばあさんがやってる 駄菓子屋のとこはうちの地域にもあるけど
ほとんどは その名目だけ
時々取材 みたいな があって 昔ながら…のとか
それを全面に出してるだけかな
昔みたいにそれで生計を立ててるとか
ましてや副業としてやってるとかいう
利益的目的な店はもう ほぼないんじゃないかな R-TYPEは駄菓子屋のアーケードでいつも完クリしてるお兄さんたちのテクを見て
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