オカルト雑誌「ムー」の昭和55年9月号、読者投稿コーナー「MU MU LAND」

「わたしのミステリー体験」として「川崎市 劉備玄徳(16歳)」なる読者が
「四国の山の中にある荒れたお堂で怪しい面を拾って以来、怪異現象に襲われるようなった
返しに行こうとした時突然気を失ったが、稗田礼二郎さんという考古学者に助けられ
稗田さんの呪文のおかげで怪異から解放された」などというのを寄せていた
玄徳君、ご丁寧にもその「稗田さん」の全身スケッチまで投稿しており
これが見事に、諸星先生の絵を下手糞に模写した妖怪ハンターそのものだった

こんな嘘松を投稿する川崎市の劉備玄徳、それを採用して掲載するムー編集部の度胸も大したものだが
そもそもこの嘘松が成立するほど、当時「妖怪ハンター」はじめ諸星マンガはマイナーだったのか?