一度目の逮捕 覚せい剤取締法違反

1度目の逮捕は1976年、覚せい剤取締法違反により逮捕されました。

岩手県盛岡の暴力団が覚せい剤使用で捕まり、本人の自供により納谷の関与容疑が浮上。

覚せい剤30グラムを60万円で売買したとされております。

この事は”サッカー交流を食い物に”という見出しで、当時の4月7日の静岡新聞に大々的に報道されました。

納谷は覚せい剤入手ルートは韓国だったとされていれています。

当時韓国専門の旅行代理店事業を手掛けており、サッカー少年団の遠征に添乗員として同行し何度も韓国へ渡っていました。

警察の調べによると、韓国へサッカーボールを50~100個買い付ける注文を出し、ボールの中に覚せい剤を忍び込ませて空輸した可能性があるとみていたそうです。

この逮捕により納谷は懲役1年6カ月、執行猶予4年の判決を受けました。

二度目の逮捕 麻薬取締法違反

2度目の逮捕は1978年7月8日、今度は麻薬取締法違反でした。

事件の詳細は不明ですが、この逮捕によりまた懲役1年10カ月の実刑判決を受けます。

ちょうどこの頃に妻・由子との離婚が成立し、カズもヤスも納谷姓から三浦姓へと変わりました。




三浦ヤス・カズの父、納谷宣雄の犯歴