>>986
桐壺帝の場合は、姉婿の左大臣を控えながら親政を目指してたんじゃないかな、とも思えるけどね。摂関家を遠ざけて帝の親戚を行うにはうるさい義父はいないほうが良いでしょ。紫式部自身は藤原摂関家の端のほうだったし、当時からこれはさりげない摂関政治への批判だ、とも言われてたらしいよね。雇用主の道長の摂関政治最盛期によくこんな物語書けるよね、て言う人もいたみたいだし。

源氏の場合は、完全に女に対してマウント取りたいタイプなんだと思う。だから、中流〜上の下な女性たちが集まったんでしょう。最後にいらぬ欲を出して上の上な妻をもらってしまったがために、ヒサンな目にあっちゃったよね。