上記解釈と密接に関連するのが、ケンとマミヤ及び成人後のリンとの関係なのです。

 ケンはマミヤに出会ったときにユリアと見間違えたことは
明確に描写されています。ユリア亡き(と思っていた)その時点では、
ケンがマミヤの愛を受け入れることは人としては自然なことです。
かつてのケンのままだったら、そうしていたかもしれません。
 この点、作品中ではマミヤやレイの台詞として「ケンの心にはユリアがいる」
ことをもってケンがマミヤの愛を受け入れないゆえんであるとされています。
しかし、これはあくまでも『レイやマミヤがそう思った』というだけで、決して
ケン自身が「俺はユリアが忘れられないから独身でいたい」と言ってるわけではないのです。
 ケンの中でユリアを失った(と信じていた)哀しみは大きなものだったのは勿論ですが、
彼がマミヤの愛を受け入れなかった真の理由は、北斗神拳正統伝承者としての覚醒が
始まっていたために、かつてユリアに対して抱いたように、一人の女性を愛し、
安住の地で暮らし、北斗神拳をその女性やその所属する共同体の幸福と繁栄に用いる、
という「俗な」生き方とは決別していたからなんです。既に青虫の段階から蛹になっていた。
 だからこそ、ケンはマミヤの美貌に魅了されながらも、頑なまでにその愛を受け入れることを
拒んだのです。これは修羅の国編でのリンの愛を受け入れなかったことで踏襲されています。
北斗神拳正統伝承者としての宿命に殉ずるということは、もはや特定の女性の愛に報いるという
生き方を許さないのです。それを己に許すには、あまりにも多くの者たちの愛と哀しみを背負い過ぎた、
ということなのです。ここにケンの果てなき苦難の道程が続くゆえんがあるのです。