>>505
 私の解釈ではケンが一時的に隠遁して
ユリアの最期を看取ったのは世俗的な愛ゆえ
ではないのです。それ以上の意味があります。
 蝶は生まれながらにして美しい蝶ではありません。
青虫や芋虫などの幼虫として世に出、蛹を経て初めて
蝶として羽ばたく。それと同じように、ケンはもちろん、
ユリアも当初から北斗神拳伝承者若しくは南斗最後の将として
飛翔したわけではないのです。未成熟な二人がその宿命に
真に目覚めて運命に殉じてゆく艱難辛苦を描いた作品なのです。

 ケンとユリアの二人は、シンを倒す前の回想シーンで
描かれているように、亡きリュウケンの墓前で愛を誓い合い、
安住の地へ旅立つ意思だったのです。この時ケンは既に伝承者、
ユリアもその出自と宿命を知ってはいたはずですが、
まだその宿命に覚醒していないのです。蝶ではなく青虫であった。
 その後のケンが強敵との闘いを経て愛と哀しみを背負い、
北斗神拳正統伝承者としての潜在能力を開花させていく過程は
物語の主軸として詳細に描かれているのに対し、ユリアのその過程は
ほとんど描かれていません。しかし、ユリアもまたケンと同じように、
南斗最後の将としての天分を開花させていったのです。これを示唆する
セリフや展開は多くありますがここではいったん省略します。

 ケンとユリアが再会を果たし、ラオウ召天後に二人が向かった先は、
若かりし頃に行くはずだった「安住の地」ではないんです。彼らは
もう「ケンとユリア」ではなく「北斗神拳正統伝承者と南斗最後の将」
なのです。もう「対(つい)の青虫」ではなく「対の蝶」なのです。
南斗六聖や五車星を始め数多の犠牲を代償にして「蝶」となったユリアは
残された愛と哀しみを北斗神拳伝承者の心に刻み、ケンは南斗最後の将の
愛と哀しみを己が血肉として新たな戦場へと旅立つ宿命を負っていたのです。
 このように北斗と南斗が永遠に一体となるために人目を忍んで隠遁生活を
過ごした、というのが、この二人が共に過ごした短い歳月の意味なのです。