★男どアホウ甲子園★
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水島新司氏の最初のヒット作ですが、まだ語られていないようです。 甲子園球場で首を吊ろうとしていたオッサンがいた。
迷惑極まりない行為。
左文字が止めたけど。 >>448
家族は甲子園と球之進以外は東京在住になったと記憶しているが。 父・秀人はよくあの義父とうまくやっていけたものだと感心する。
婿養子のようだし。 >>406
日付が変わって早朝の決着。そのまま開幕戦の東城大武蔵というひどすぎる日程。
さすがに試合日程を後回しに組み替える配慮をしないとマズイだろう。 一応45回裏ゼロなら大阪代表の試合を日程変更という流れだったんじゃないかと。 そういや第19回全日本大学野球選手権で、準決勝と決勝を
当日に開催したことがあったな。
準決勝の関大VS法政は延長20回まで行った。決勝はその30分後。 野球ってピッチャー以外はそこまで運動量ないからな
ちばあきおのキャプテンとかだとみんな泥だらけで肩で息してすごくハードそうに見えるが 引き分け再試合で松葉が倒れたのは脱水症状が原因だろうか 南波の学校幹部は残ったのかな?
弟よく入学したな
まあ甲子園は東大現役合格だしなあ
卒業後に手のひら返して土下座したのかな? >>458
豆タンが東大合格したりして急速に進学校化したのかも。 ダントツのほうが東海の竜よりもダントツに監督としての力量が上だったという……… >>457
絵には描かれていないが最後のサヨナラ勝ちの時に懸命に二塁ベースまで
たどり着いたのだろう。 球三が涙を流してグラウンドに乱入して兄・甲子園に抱きつくシーンが好きだ。 ジジイも南波vs東城大武蔵の時はカッコ良かった。
この人の裁量でラッキーゾーン開放で中に入れた観客大喜び。
それにしても観客10万!? 見た目も藤村甲子園のタマは速そうで説得力に満ちていた。 練習法はたぶん真似をする人はほぼ皆無。小学生は真似するかも知れんが
じきに熱が冷めるだろう。 >>470
理に叶っていればダルがやっている。
叶っていないと思えば走り込みもしないがな。 >>469
「スピードガンでの計測値が○○○km!」なんていう安易な表現を用いずに(連載当時、
スピードガン自体出回ってなかったが)、まともに捕球できるキャッチャーがなかなか
見当たらなかったり、空気との摩擦熱でボールが発火したり、バットをへし折ったりと、
いろんな描写によって、速球ではなく剛球としての表現がなされていたと思う。 剛球は球の速さもさることながら球質も重い感じ。
水島氏の他作品では土門剛介の球が「襲い掛かる感じの球」に見えて文字通りの剛球に
感じられた。 ドカベンドリームトーナメント編でも剛球は健在だった ドリトナでのいきなりのサプライズ登場には仰天した。
だって、とっくに引退していた筈だから。 延長戦18回って、板東英二が投げすぎたことで決まったって言ってた。
本人が。 あれは58年の春だかに延長25回の試合を板東氏が投げぬいたのがそもそもの
ルール改正のきっかけ。
スゴイのはそのルール改正のその年に自ら延長18回引き分け再試合のルール適用
第1号となってしまったこと。
お笑い系に見なされがちだが実は凄い人だった板東英二氏。今年で80歳になった。 夏の甲子園大会奪三振記録も未だに板東氏が保持。
ただし藤村甲子園も剛球仮面もかなり三振を奪った記憶があるから漫画の
世界では板東氏の記録を越えているかも知れない。 >>483
巨人学園戦。一球に先頭打者本塁打を打たれて3連続四球で大ピンチだったが
そこへ藤村甲子園がバックネット裏に登場・・・・・・・だったかな。 板東氏は1940年4月5日生まれとなっているが本当は1940年3月30日生まれらしい 先ごろ亡くなった関根潤三さんは本当の誕生日は大正15年の「大正最後の日」だが
昭和2年3月生まれということになってしまったらしい。
東大カンニング合格の藤村甲子園からすれば特に問題ではない。 東京駅のプラットフォームでスリ二人に陰陽球を投げつけて退治した鬼塚。
上京直後だったのではないかと推察する。
恐らく西日本の出身ではないだろうか。 池畑ほど都合よく設定変えられた奴はいない
36回投げきるスタミナあるのにスタミナ不足で捕手転向とか 45回裏サヨナラ負けの試合まであるし。
大学時代の不遇の池畑は見たくなかった。
序列的にも鬼塚や神宮の引き立て役で影が薄過ぎる。 ベルトクイズQ&Qで東大時代の頃に
出題されてたなあ
答えが藤村甲子園なのは憶えているんだが
問題が何だったのか憶えていない
押坂忍が現在は東京大学に入って神宮で投げていると言ってた 板東さん、ハンカチ王子が出てきたときは気が気じゃなかったと言ってたな。
いつ抜かれるかとハラハラしてたってw >>489
勤続疲労みたいなのが大学に来て出てしまったのだと思う。 藤村甲子園が登板しない時の東大はどんな投手がいたのか……… 南波って不戦敗はあっても実力負けは主人公在学中は一度もない >>495
藤村が外野から返球した球よりも遅い球の堀田 堀田と言えば三吉だがだんだん影が薄くなってしまった。 藤村甲子園と豆タンが抜けた翌年は当然最下位であろう 池畑もそうだが藤村も大学時代は劣化していたと思う。 3打席連続ホームランか。完膚なきまでに打倒したな・・・・・ >>514
手首やられてアッサリ消されてしまったのが不満 神宮タイプは人間的には好きではない。
ただ実力は一級品。 大学編は、池畑没落が少々辛かったがプロ編になって、また物語が乗ってきたような印象があった。辻斬り投手は斬新なアイディア。 南波高校・左文字が打席に入る時の応援テーマ曲は「君が代」しかあるまい。 開幕戦前の開会式で延長45回を戦ってきた南波の連中は眠りこけていたが
左文字と知覧だけは懸命に目を開けていた。
知覧「日本男児。日の丸を前にして眠れんですタイ」 東海の竜と知覧は越境入学者。当時としては非常に珍しいケース。 左文字は当然のことながら学校に刀を持ってきていた。
注意出来る大人はいない・・・・・・ 土方の打球が池畑の頬をかすめてそのままバックスクリーンへ。
南波×明和の大阪対決の決勝戦ならず。 >>530
当時も今も銃刀法違反のはずなんだが…。
コントロールを矯正する訓練で、コースが外れて仕掛けに触れると
上から刀が落ちてくるやつとかあったな。大熊に作らせていた。 「おんどれを切る」刀を抜いて鬼頭哲を殺害しようとした丹波左文字。
しかし鬼頭の剛球の前にあえなく撃沈。「ふ、不覚」
一度失敗するとそこで諦めてしまい、二度と鬼頭に対して刀を抜かなかったが執念が足りないのではないか? 自分を斬ろうとした男に監督を禅譲した鬼頭哲がセクシー 一番強い技は自分を殺そうとした者を監督にすることです 南波に帰ってきた時の最初の鬼頭の顔がとんでもなく怖かった。 作者の画風が変化して登場キャラの顔立ちがだんだん優しいものになっていった。 【殺人未遂】
丹波左文字
岩風五郎
【自殺未遂】
美少女(千曲ちあき)
岩風五郎
藤村球之進
【八百長関与】
大熊牛吉
ジャック時田
【豚をかっぱらって逃げる】
藤村甲子園
【南波高校のユニフォームを着て飲酒】
藤村甲子園
【カンニング合格】
藤村甲子園 追加
【カンニング協力】
丹波左文字
神島竜也
大熊牛吉
結城翼 【銃刀法違反】
丹波左文字
【ドラフト会場乱入】
藤村甲子園 地味に主人公が一番問題人物なのかも知れない・・・・・・・・・・・ 結城がヘルメット被って南波高校構内で奮戦していたシーンもあった。
インテリ風なのに、この男もなかなかやる。 >>533あたり
試合中「おのれ土方」と日本刀を持ってグラウンドに乱入しようとしたことも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています