続きだよん♪(^ー^)b

●「ジャギは霊王の孫」で「キムは泰峰の孫」という関係から内弟子に加えられた。
リュウケンは他の候補者達に毒を教え込む為の噛ませ犬としてジャギを内弟子に加えたんだろうな。
鋼鉄の柱を破壊したり、水鳥拳創始者である「レイの父親」を殺したり、そこそこの腕はあったんだと思う。
●「ハンがギーズの孫」である事はジュウケイの内弟子になった後に判明。
●魏瑞鷹は片脚に義足をはめて1年程経ってから、日本に渡り、鉄心との対決に臨んだ(多分拳志郎が5才位の時)。
そして中国に帰国して1年程経ってから、2人の弟子の育成を始めた(白鳳12才、飛燕6才位)。
宗武が瑞鷹に勝負を挑みに来たのもこの頃(宗武15才位)。瑞鷹が最後どういう死に方をしたのかは不明。
●劉玄信は魏瑞鷹ばかりか拳心にまで去られ、己の不徳としていた。
その為、宗武を伝承者に指名した後、業火に身を投じて天に詫びた。
鉄心が訪中した時点で「追い果てて死合いなど出来る身ではなかった」と言われているから、享年は相当な高齢だった筈。
だから、宗建と月英も、玄信が結構な歳になってから授かった子供達だったんだろう。
●空海は恵果和尚に命ぜられて泰聖院に3兄弟を迎えに行き、寧波の港から日本に帰国した。
船には「その当時の正統伝承者(三男の父でシュケン系)」も乗っていた。
●元斗ほどではないが、トキの闘気も光る。
トキの天破活殺を繰り出す拳速はユダの伝衝裂波に匹敵し、衝撃波は後ろにすり抜ける。
ケンは、シュウへの伝衝裂波の時は「ユダの様に後ろが裂け」ずに「前が裂けてる」のでこの時点ではユダに速さで負けていた。
だが、サウザーへの天破活殺の時には後ろにすり抜けており、短期間で急成長してようやくトキやユダの速さに追いついた。
●飛燕は復活後「真空」を極めて「南斗飛燕拳」を創始する。死を見切って以前より凄みを増す。