サザエさん 二十巻 SSS
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・姉妹社版長谷川町子作品は、同社廃業にともない絶版です。
・朝日新聞社からは「サザエさん」文庫版全45巻と長谷川町子全集全34巻のうち
23巻までが「サザエさん」(内容は同一)が出ています。
新聞掲載、姉妹者版、朝日版の関係は
「サザエさんの正体」 平凡社, 清水 勲, に詳しく載っています。
新聞→姉妹社版のカット作は多いけど 姉妹社版→朝日文庫のカットは10作以下。
・他の作品で現在入手可能なものは全て朝日文庫版で購入可能です。
・現在、よりぬきサザエさん(全13巻)が復刻中。
13巻すべてに「もっとサザエさんのことが分かる」特典ページつき
「5000回を越えたサザエさん」「新聞連載時の初回・最終回集」など、貴重な新聞記事やイラストを初公開
2月末までに全巻購入予約すると未公開資料満載の「町子手帖」(オールカラー64頁 A5版)
数少ないお約束
・原作中心!!アニメサザエさんは参考程度で。
・長谷川町子の原作であれば、いじわるばあさん、エプロンおばさん他も歓迎。
・荒らしは徹底放置で。
・冷やかしが多いのでなるべくsageた方がよいです。
過去スレは>>2以降
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 核家族で集合住宅暮らしだった自分は、大家族で庭付き一戸建て暮らしのサザエさん家には
子供の頃から凄く憧れを抱いており、特にカツオが物置きに閉じ込められるも抜け穴から出て来たり、
台所の床下収納から飛び出してサザエを脅かしたり、波平が子供達から取り上げたワッペンや
シールを庭に埋めようとした所、以前埋めたフラフープが出て来るといった、家中至る所に
秘密が隠された「秘密基地感」が凄く好きだったのですが、同じ様に感じていた方は
おられるでしょうか。
お菓子や果物なんかをあちこちに隠す系のネタも好きでしたね。ウエハースを木に吊るす、
お菓子の箱に「こんちゅうさいしゅう」と書かれた紙を貼る、等。 プレハブ住宅普及前の、縁側や欄間や勝手口のある家屋って、
集合住宅やいま風住宅に育った人には面白く感じられるだろうね 自分の場合は北海道で「防寒に即した機密性の高い家」に住んでいたせいで
縁側があって開放的な内地の家、磯野家にあこがれてた やはり皆磯野家への(と言うより古い木造戸建て住宅への?)憧れはあったみたいですね。
と言うか、262〜264の流れにワロタ。大根おろし機も壁に設置されてたし、あれも見方に
よっては秘密基地風? 磯野家が建替えられたきっかけは、
カツオ・ワカメ「おしいれ はいし」の話からですかね?
そのあと、マスオが2階からジョウロで雨降らせたり、
オシャレなダイニングルームが完成したみたいだし。
ダイニングルームが出てくる話は、
・「ヒゲかえたの?」
・「ぼくンとこだけネーブルないよー」
・調味料の空きビンに入ったお小水をワカメが料理にふりかけようとする(未遂)
・ワカメ「のんで からも?」 いんごーババア!
「ネーブル」なんて果物も、実物も名前も目にしなくなりましたなぁ 遅く起きてきたマスオが朝食食べようとしたらもうパンがなくなっていた、みたいなやつもダイニングだったかな いもねーちゃん いんごーババァ
自分の目の前にネーブルだかグレープフルーツが置かれていないだけで
ここまで悪態つくカツオもあれだが
それを余裕で聞き流して、最後に「蝋燭」灯すサザエも結構インケン
本当に後期のサザエさんはインケン 後期はそれだけ町子先生もお疲れだったんでしょう。
自分も子供の頃は後期サザエさんは絵柄と殺伐とした雰囲気も含めて苦手だったけど、
大人になって、はじめて良さが分かった話(「午後2時ごろ天国にキマス」といった、笑いに限らず心に強く響いた作品など)もあったし、
文字通りご自身の体を削って創りあげられた背景を知ってからは、後期作品もじっくり読み込めるようになりました。 >>270
そりゃアサヒ新聞が1年半休載しても待ち続けてくれたくらいだからねえ、
後世の漫画家に悪影響も与えたが、○樫とか… >>271
まいっちんぐ町子先生は体壊したからだけど
富樫はたんにサボりたいだけだろ
あいつ「金のために描いてる」って公言してるからな いまはスマホやメールがあるから、人の家に行くときは必ず事前連絡をするのがあたりまえ。
でも昔は、改まった来客以外は「いきなり押しかける」例もよくあったんだろうね。
マスオが事前連絡もなく同僚を何人も家に招き
サザエが「マスオにそっくりな人」をまちがって睨んだり
女性雑誌にも「急な来客用のおもてなし料理」なんてのが載ってたり 自分が子供のころ、昭和50年前後かな、日曜日の午後とか夕方に父の会社の部下が急に家に来ることが時々あった
家に上がってしばらく話してすぐに帰ってたけど、割と最近になって「あいつは彼女とデートしてる途中お金が足りなるとよくうちに借りに来てた」と父から聞いた お歳暮を持って尋ねるときも事前連絡なし。
相手が留守で娘さんに応対してもらうことになる。 頻繁に店屋物とるのも、家庭料理ではおもてなしができないからだろうし。 未だに黒電話、地デジにしないところを見ると、昭和時代をループしてるんだな。 >>274
ノリスケ「とびいりが 3人ふえちゃったんだ」
あのデカい皿に入れていた料理は一体何だったんだろう・・・炒り卵ですかね? >>280
アニメの話なら
スペシャルでノリスケの紹介で磯野一家がオートロック、最新設備完備の家電家に住む話なかったっけ
カツオとワカメがPCで学習ソフト使わされたり、プッシュホンの電話で弁当注文したりしてた 中期の話では、カツオとワカメが観ているTV番組がほとんど西部劇なんだけど、昔は人気があったの? >>285
50年代後半から60年代のテレビ番組はゴールデンタイムに
アメリカ製ドラマやアニメの吹き替え作品が多く放送されていたし
特に西部劇では、ララミー牧場やローハイド、ローンレンジャーなど人気コンテンツだったよ 産後鬱で死ぬ思いしたけど
季刊サザエさんに助けられました
とくにいじわる婆さん
嫌われても自分の道を行く姿に勇気づけられました >>286
ライフルマン、ボナンザ、ワイオミングの兄弟などもあったな。
ボナンザは再放送で何度か観たことがある。 >>287
サザエさんはすきだけどいじわるばあさんは身近にいたら自殺するかもしれないくらい嫌いだわ。 >>289
あなたのせいで夢も希望も奪われました
もし遺書書くときはあなたのIDとワッチョイと日付書いておきますね いじわるばあさんのネタは今だと犯罪になりかねないものがあるからなあ。 あと(ゲスト)キャラが簡単に死んだりしないしなぁ
天才バカボンだとその点容赦ないがw >>295
>あと(ゲスト)キャラが簡単に死んだりしないしなぁ
マンホールに落とされたり、石で殴られて身ぐるみ剥がされたり >>296
そうだった
しかしマンホールの人はともかく、石の人は気を失っただけとも取れなくもない…かも でっかい雪玉転がすヤツとか恐ろし過ぎるわ。いじわるの範疇じゃないだろ…。 そういや幼少の頃、いじわる犬(?)の話で、
犬がホースみたいなものを咥えて「なんだ、せんすい夫がもぐっていただけか」を読んだ時、いまいちピンとこなくて、
「この潜っていた人はどうなっちゃったの?」と親に聞いたら
「息できないからおぼれて氏んじゃったんだろうね」という答えが帰ってきて、
子供ながら軽い恐怖心を抱いたことがありました・・・。 >>300
教育に良くない親ですね…
そうならないよう気をつけます… 銭湯でお年寄りにかける準備してた
手桶の中身をお湯から水に変えておく…
ってのも結構シャレにならんよなあ。 そんないじわるばあさんも一回通り魔に遭ってるよな。 すべり台におろし金が一番凶悪だと思う
すんぽうピッタリ >>195
あの堅物専務は後にマスオとバスで一緒になっていなかったっけ? >>296
あと、ホームレスが住んでいる土管をセメントで塗り潰すのも。 >>305
「ストレスは胃にこたえるナ〜」ってヤツ?流石に同一人物だったとまでは気付かなかった…。 ・同一人物シリーズ
・いじわるばあさんで、ボヤのストリップ劇場からでてきたおじさん→イシさん似のおばあさんをなぐる
・ワカメのカバンから落ちたプリントを拾い集めてくれた女学生→ワカメ「そうとも そうとも あたしがわるかったわ」で泣かされる
・カツオのいぢめっこで、カツオの髪を掴んだり、自分の父親をガレージに閉じ込める→サザエ「もんくあンのか!」と首を180度曲げて一喝してビビらせる >>308
33の人が言っていたお化け屋敷の受付の人なんかもそうだけど、こういう細かい部分に気付く人って、
ホントよく見てて凄いなと思う。気付いて貰えない可能性の方が高いにも関わらず、ちゃんと同一キャラ
で描く長谷川町子先生の拘り様にも感服せざるを得ない。新聞4コマで、主要人物以外のキャラを
ここまで拘って描く作家もそう居ないだろう。
因みにワカメが小学校に入学したばかりの頃の、眼鏡をかけた担任の女の先生も、(登場期間自体は
短かったものの)ちゃんと同一キャラで描かれていた。 >>309
田川の内弟子で姉妹社発足前は同人誌で出してたんだぞ
こだわりは並じゃないよ
4コマでも漫画は漫画
その辺しっかりしてないと読者は離れる
田代まさしとかも今あれだけ連載持ってるのにちゃんと描き分けてるだろ 前々から思ってたんだけど、植田さんって現実にあるもの全般のデフォルメ下手じゃね?
上手いのは町子先生が勿論そうだけど、赤塚さんとか漫画家といっていいのかわからないが矢部太郎くんとか 現役の新聞漫画でモブキャラのかき分けが丁寧なのは
いしいひさいちだと思う
モブキャラで連載内でスピンオフ的漫画を書くぐらいだし タブチくん、ヒロオカさん、ヤスダさん、ナベツネあたりか 吉川ロカって脇役キャラで彼女の青春ストーリーという連載内連載をやってのけた 実在人物の似顔絵をたくさん描いてきた人程、キャラの描き分けが丁寧且つ上手いのかも
知れないね。特にギャグ漫画家は、シンプルな絵と限られた線で、確実にそれが誰なのかを
表現しないといけない訳だし…。 助けに来たおじいさんを池に突き落とした話あったけど
池袋のああいうじいさんにやるならイシさん喝采かなあ 自身の正義に酔って喝采する連中を
池に突き落とすんじゃないの 良いバアさんを単なる嫉妬から工事現場の大穴に突き落とした事もあるぐらいで、
決して「悪い奴を懲らしめる為」に意地悪している訳ではないからなぁ…。
「かりあげクン」で多少「嘘をつかれたり何か迷惑を被った際にイタズラで仕返しする」
といった内容の話はあったけど、かりあげクンもやはり好きでやっているのであって、
悪い奴を懲らしめる為にイタズラしている訳じゃない。
意地悪やイタズラを正当化する理由付けがあると、途端に面白くなくなってしまうんですよね。 全く話変わるけど、町子先生の作品の表紙でみなさんのお気に入りはどれかな?
自分は、サザエさん29巻の新聞4コマを読んで笑うサザエとワカメ、
46巻の夕暮れの影絵が特に気に入っております。
ところで、2巻表紙の「ワカメを泣かせたカツオを懲らしめるサザエのイラスト」だけど、
この絵のタッチがなんとなく20〜30巻台の絵柄っぽくて、(サザエの輪郭が中期あたりの絵柄のよう)
増刷時に描き直したのかな? >>321
国立図書館いって当時の新聞全部コピーしてきたので表紙がありません… >>321
26巻の表紙がメッチャ好きです。秋深い寒い夜、狭いが暖かい家の中でめいめいくつろぐサザエ・ワカメ・カツオ…。
皆で一緒に何かをしている訳ではないけど、側に居るだけで安心感のある仲睦まじい家族の姿が微笑ましい。 よりぬきだったか、わざわざ犬と猫を
抱き上げケンカをけしかけようとするサザエとカツオが謎 あれケンカを止めようとしてるんじゃないの?
後、表紙って言われても分からん!
一覧とかないのかなあ 身の上相談員のおばさんを無理やり怪我させたこともあったな >>325
朝日新聞出版か長谷川美術館のサイトでまとめて見られたらね… >>327
「よりぬき長谷川町子展」で売られていた冊子ならば、
サザエさん単行本表紙原画が12巻以外全て見られるのですが、
一般発売されてないのと、電話帳ばりの厚さなのがネックかなぁ・・・。
今、見返したら、3巻の表紙は一度描き直しされているようだ >>329
>>327です
確か2〜3年前のイベントでしたよね
行きたかったんですけども…
しかしお教えいただきありがとうございます 「よりぬきサザエさん」の表紙で、黒い背景に白いワンピースを着て花束を持ったサザエさんの絵が可愛くて好きだった
町子先生の描くよそ行きの婦人服はどれもオシャレで、楽しんで描いてた感じが伝わって来るのが良い 自分で作ってたくらいだからな
海外旅行いったときも服のデザインを空で暗記したくらいだし
というか連載前半から中盤にかけての時期は「金ないから作る!」が基本だし >>329
板橋の図録、一般発売ではないけど長谷川町子美術館に売ってましたよ。
美術館の通販で買えるのでは?
なくなったら終わりだろうけど先週の話なのでまだあるんじゃないかと。 >>340
あまり映像化作品には反映されてないw
そういや江利チエミさんが映画で着てた初期サザエの定番服、ブラウスの襟がギザギザだったけど、漫画の絵としては本来ラッフルドカラーのつもりだったんでは?
>>342
ありがとうございます!! 「今日は平成最後の日!」
「昭和最後のときにもボケたふりしてあれやったわよ」 昭和最後の日にそれをやったら
「ふけいざいなセリフのつけ方なすって!」だろ カツオ「ぼくは今の天皇陛下が産まれたとき男の子に賭けてごちそうゲットしたんだよ。懐かしいなあ。」 >>324
あれってケンカをけしかけたんじゃなくて、ミルクがこぼれたから
無駄にしない様に犬と猫を連れて来て、その後ケンカになったんじゃないの びっくりするような読み解き方をする人いるね
でも自分も長年勘違いしてたネタとかあるなあ
そういうのをお互い補完しあうのって楽しい 子供の頃がんもどきを見るとカツオにがんもどき〜と
言ってた ♪ほろほろ
ほーろぉ
戦前のモンハンから復員した関東軍兵士が三宅坂に開業したモンゴル料理店「ホロンバイル」は
五族協和の食文化からの融和という観点から戦時下でもある程度食材供給に融通がきいた上に
ソ連通の参謀本部の高級将校が通いつめたことから昭和20年5月の空襲で店舗の一部が焼かれるまでは
それなりのメニューで営業が続けられた。
戦後はアメリカ軍に多少マシな外食を提供できる店として指定レストランとして認定され
昭和26年には狸穴に支店を出し、そちらは常連客のソ連大使館員の口伝でモスクワ風・クルスク風のロシア料理が名物となった。
昭和49年に三宅坂本店を閉じて狸穴を本店とし、昭和62年まで営業が続いた。
終戦直後高額な原稿料の使い道に困った文士・文化人にとってホロンバイルはわずかな憩いの場所だった。
長谷川町子も、ホロンバイルの味に感動したからあんなわけのわからない4コマにホロンバイルの味を仮託したのだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています