山田芳裕 『ヘうげもの』 追憶之席 一
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>>320
あー思い出した
昔々松田優作の物真似を原田さんに言われ無茶振りされたけど
本人はノリノリでやっちって、大うけしたんだがちょいと離れた所から
竹中っ!おまえナメてんのかこの野郎!!って握手された人が演じていたな
宗易殿が御館様に進呈した茶碗は朝鮮製で二束三文ですよと告げ口したら
たわけっ!と渡キックを食らっていたよ
その後その審美眼に褒美を与えていたと聞いて感服したんだけど
後年のすれ違いは最初からあったんじゃないのかね
利害の一致と政見の違い 時代によっては渡海してきた陶器ってだけでそれなりの価値は有りそうだけどな ルソン壺が便壺だというのはなんか落語的なノリがある
面白すぎるというかさ >>310
堺屋太一の『秀吉』でも家臣が小型のルソン壺を指して
「これに至っては尿瓶にござります」
秀吉「げえ」
というやり取りがあった。 左介がでっち上げた糞柿の由来なんかからすると
そういうの気にしてなさそうだが
徳川家にはガチでタン吐いたやつもいたし アチラ系のお人にとって糞尿臭はホンフェだったっけ?
高級食材の臭気ゆえ 心配ご無用!
思うにアチラ系は小便を壷にためてそれで顔を洗う習慣があるそうで・・・
うーん隣国なれどなんでそんなに違うのかね?
マジ不思議に思う 10年ほど前に羽田で瓶入り焼きくさやを購入して出張から帰宅
妹「なんでこんなもの買ってきたん?責任もって食べなさいよ」
とか言ってたのに俺が旅塵を払おうと風呂入ったら台所の方から
「ぐえっ!!」
なに好奇心に負けてんだw
そばにいた母は「鼻近づけちゃダメ!」と言ったそうだが2秒ほど遅かったらしい
ちなみに拙者もマヨネーズ付けて匂い消さないと食べきれんかった
味は確かによかったんだけどね >>329
くさやはな、そのものよりも素手で摘まんだ指がまた香ばしくてな >>328
ホンオフェはエイの発酵食品だからアンモニア臭はするだろ
北欧(アイスランドだっけ?)にもウバザメの発酵食品がある
半島が嫌いなのは同感だが何でもかんでも叩きに使うのは美しくない ホンオフェのアンモニア臭は、夏のキャンプ場のトイレの便器に張りついてるトイレットペーパーを口に含んだ感じと聞いた あっちに出張に行った時連れられてホンオフェを食べた事あるけど
口の中がスーっとしてピリピリきて何か薬品を口に含んじゃったみたいな…
酒は噛んで食べるような粒のあるドロドロのドブロクで口の中で臨界が起きてKOされた
くさやなんか京料理みたいなお上品なものだよ〜 >>334
くさやが京料理で上品とか
さすがにないわ ホンオフェってそう馬鹿にしたものじゃないんだけどね
塩が貴重品の地域で保存食をどうやって作るかの好例、とか
遠浅の砂浜でエイが良く穫れる地方の食物じゃないか、とか
酒の肴向きの食物だから昔の朝鮮は濁酒が沢山作られてたんじゃないかとか、色々考察できる
日本だと海から生きたまま京都まで輸送できる鱧の料理が異常発達した、みたいな 鱧はホヒョンが豊前時代でも食べ続けたおかげで
調理技術が発展してそれが京に逆輸入されたという >>331
ちょっちゅね公の語り口で脳内再生され申した >>340
骨董としての価値だな
磁器なんて単純な美しさは現代のモノにはかなわない >>340
秘宝に対して失礼とは思いつつ
つまらんわ
井戸の自然の営み故の美しさ
それに優るものはない
おっと、おいらもゲヒ殿に感化されてしまたかw それはゲヒが否定し通過したところだろ
既存の唐物の範疇だ 札幌中島公園散歩したら小堀遠州の八窓庵見つけた
大正期に北海道に移築されたそうだけど
師匠は南へ弟子は北へって感じか >>340
青磁はいいよねぇ。光の芸術だわ。
光の当て方次第で釉の光沢の質感は全然別物になるんよね。
「春の昼を障子一枚隔てたくらいの明るさ」が丁度いい、なんていう言い方もあるんだそう。
大阪の東洋陶磁美術館にはダクトで自然光を誘導して展示するコーナーあるんだけど、
自分はあれで青磁に興味持つようになったわ。 茶碗に関しては
利休(長次郎)より光悦の作品のが値段は上じゃないかな >>353
そいは暴論にごわす
利休黒を模した薩摩黒までも愚弄する気ならば
チェストを食らわせもんど 『チェスト食らわす』そげん言葉はぼっけもんには存在しもはんのだぜ…… >>354
薩摩の黒は言うならば太閤殿下の華やかな黒であって
私の求めた黒では全くございませぬ
一緒にしないで頂きとう >>350
美術館とかでこれイイ!と思ったときに館内ショップで同じような色合いのを見つけられたりするとすごく嬉しい。
当たり前だが割といい値段つくので二重にウギギ…ってなったりもするけどw 写しを専門に作ってる作家がいるのかミュージアムショップって良いもん置いてるね
でも織部の歪み茶碗なんかはいかにも歪ませましたって感じで良いのはなかなか… 館内の店とか、安っぽくテカテカしてる写しばかりで
あんまりいいのがない
デパートの陶磁器売り場に行ったほうがプロの作品に接せるからまだいいだろ 五島行ったときに楕円にゆがんだ五島焼の湯呑みを見っけて4年ほど愛用しとります
口が数mmほど欠けたけど使用継続中 五島美術館ではショップで友の会が作った写しを売ってるね 多少値ははるけど、贔屓の若手作家の器をできるだけ買うようにしてます。
仲良くなってから窯に招待してくれたり、リクエストで焼いてくれたりしてくれるので嬉しいです。 >>356
誤チェスト
食らったでごわす
ぬふぅ!
故郷忘じがたく候
は黒薩摩の物語にしてそうろう >>365
他の話と併せて読むと「差別から逃れて厚遇してくれる新天地に来たけどそれでも故郷の山河だけは忘れられない」という意味なので >>366
司馬小説の話は、厚遇されても故郷は忘れられなかった話で間違いないけど
とりあえず拐ってきたのも間違いないんだよなあ
島津の奴隷貿易は国内戦争ですらやってた位だしなあ 御成敗式目で「人攫いしたらアカン」とか
書かれてるのは草 ほう、流石はゲヒ殿スレ
人物がおりますな
薩摩には有楽サイの息子の墓もあるとか
戦には激しく和平には涙す
まっこと薩摩黒の中に心を感じますね とわずがたりにも「家に泊まったら下女にされたでござる」とか記述にあるからな そもそも古典なんて嫁さらい多すぎて笑えるレベルなんやけど 日本も昔は人さらいや強姦、夜這いや乱交なんて当たり前だったからなあ >>375
日本以外の全世界ほどじゃないがな
今も昔も同じだが 奴隷の供給先は本来、白人地域
黒人奴隷は本来、高級品だった(それほど多くはなかったということ) >>378
雑でもなかろ
今でも容易に判断できること 「人間は皆何かの奴隷だ」 byハゲ
名言だねぇ
家も土地もないリーマンが偉そうに肩書きぶら下げてさ・・・
おっと肩書きも官位もない貧乏人がすつれいすますた
数寄を楽しむため野草を摘んで天ぷらにしてみますた
蕗の董 ほろ苦さがなんとも言えない美味ですね 土地があったらあったで、余所に行きたくても行けなくなるが お知り合いの理科の先生がもう定年になったが
植物の素養があって異動先でタラの芽を摘んで喰ってたら
「えっソレ喰えるんかい!?」となってその地区に広まったそうな 昔知り合いがタラの芽とってきたからやるよと威張りくさって持ってきたが
ウルシの芽だったのでその場で頭引っぱたいたことがあるな 漆ってカロチノイドかなんか無かったっけ?
ハゼみたいに痒くなるやつ 漆のかぶれとその対処法については
中沢啓治作『いつか見た青い空』に詳しい。 山菜ってよく似た毒草があって道の駅で毒草混じりで売ってたなんて事もあるくらいで要注意だよ
山中で鍋囲んで死んでる一行が見つかって鍋を調べたらトリカブトが入ってたなんて事件も… ゴールデンウィークの陶器市が楽しみ
ここの御仁達には有田より唐津をお勧めする 有田にも唐津にも贔屓の作家さんができたから
今年も両方行って大散財する予定 家に帰ってふと冷静になって、浮かれて不相応な高価なもん買っちゃったよ
…などと後悔しつつしまい込むんだけど数年して開けてみるとお宝だなあとニンマリしちゃう 省庁の看板って初代大臣が担がれしゃしゃり出て書いたのがいくつかあるけど
一番変に見える文化庁の看板はれっきとした書道家が書いているという…
今の書道の善し悪しの基準なんて流派の様式に沿ってるかどうかだそうでそんなもん否定してこそへうげ 兼好法師の徒然草に
必要のない場で自分を大きく見せようとするのは見苦しいって書いてたなあ
そういう字も必要だが、場を選べって事で、どちらかというと織部の力みすぎた黒歴史と同じ匂いがしまする そういや歴代総理やら大臣のとされる書の画像見たことあるな
えらい達筆だったがあれは祐筆なんかね >>394
ベースは篆書だがかなり崩してるね
本来ならなるべく左右対称に横画は水平に縦画は垂直に書くし、始筆も篆書とは違う。
篆書は古来、秦が採用した書体の一つで勝手に使用することが許されなかった権威と格式のある文字だし
国家機関の看板に使うのであれば崩すべきではない。
のでへうげなのでは へうげを読んでなお甲にしか価値を感じないというのであればそれはそれで >>398
自分の名前書いたやつですか?
福島みずほが一笑…いや失笑を呼ぶレヴェルの丸文字だったな 相田みつお なんかいい
サミット看板 何か賢しげに見せつけようとする見栄がうっすら透けてて嫌い 相田みつをの時点でないわーってなるというか
他人の好みや出来栄えを批判して己を高みにおいている感じがする 産業振興って領主の趣味が出るけど加賀が庶民レベルでキンキラなのはよく判らないとこがあるね
100万石なのは殿様であって町民百姓まで金箔張りの仏壇を持ってるとか火縄銃保有率が異様に高いとか 終盤に俵屋(へうげ)と左門(かぶき)の和解があったので、そこから絢爛な寛永文化につながっていったと思われる >>412
和解としてよくできていたが、二人ともあれが登場最後だったのが残念だの
風神雷神は小学生から知っていたが、ドギャーン!ときたのは
20歳頃に雷神様が某公民館の壁画になっていたのがきっかけだった
あれ?よく見たらこの雷神様っておもろいな!?と >>411
加賀のあれは安土桃山カルチャーの名残だという説があるな
文化は下の人間が上の文化を真似する傾向もあるから、禁止令が出なかったら段々と広まるだろうし 熊本地震から2年 復興のシンボル・熊本城が被災者勇気付ける
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180413-00000082-san-l43
ちょっちゅね公も天から見ておろう 初代ちょっちゅ公は地震加藤の名に恥じぬ天下の石垣を残したけど
現代ちょっちゅオヤヂは最悪の名を世界に曝してしまったな
つい先日減量失敗の選手をクソミソにゆってた癖に
自分の所の選手が失敗したらすみまっちぇーん・・・
武士の責任の取り方は唯一
覚悟をちょっちゅにも見せて欲しいものです >>>418 宗春公は確かにへうげた方でござったな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています