サイボーグ009 その15
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60年代〜70年代は今ほど人気アンケート重視じゃなかったからマニアックなSFまんがも描けたがジャンプシステムが効果と実績を上げはじめて手塚、石森の本来のフィールドSFまんがが描き難くなっていったんだよ。 >>34
だって無知な>>22がいるから教えないとな >>35
だから手塚、石森クラスって条件つけてるじゃん
文盲は困るわ >>39
手塚も石森も好きになんか描かせてもらえねえよ!
そんな甘い世界と違うわ。 70年代半ば劇画ブームに押されて手塚はほぼ干されてたし企画もなかなか通らなかった。
何とかブラックジャック掲載をチャンピオンに了解を取ったが最初からきちんとした連載ではなく短期集中連載。
所謂雑巾がけからやらされたというのは有名な話だぞ。 SFまんがはたいていダラダラ設定並べるところからはじめるので
子供相手にそんな悠長なことしていると速攻で投げ捨ててしまう
子供はなんにでも興味を示すが、それが故に飽きっぽい
もっともっと読者の興味を引く工夫が必要だよ
好きなように書いてられるわけがない >>31
混ぜっ返す様で悪いですが
COMで完結編と行けば良かったんでしょうな
「ワケわからない」と大勢の読者がゆうてたろうが
続けてたらアレはアレでオツな物が出来てたろう。 リュウの道を石森(当時)が連載できたのは2001年宇宙の旅の公開目前の世の中でいよいよ人類が月に到達するという機運があって今よりちょっとだけSFが身近だった訳よ。
連載誌の少年マガジンも青年マンガ雑誌が無い時代、メイン読者層が大学生くらいまでフォローしていたの(右手にジャーナル左手に少年マガジンと言われた)で重くハードな作品も連載できたんだ。
秋竜山や谷岡ヤスジが過激なナンセンスギャグを連載、ジョージ秋山もカニバリズムまでをテーマに据えたアシュラを描いたのもこの頃だ。 >>43
虫プロ商事が倒産しかかっていたから難解すぎる実験作だった石森の手法は敬遠されたってことでしょ。
実際そのあとすぐにCOM休刊だもの。続けていたって完結できなかっただろうね。
所詮ガロみたいな雑誌は二つもいらなかったって事だろうね。 もし完結編がどこかの雑誌の看板連載になってたら、仮面ライダースピリッツみたいに各キャラ編をだらだら続けさせられたり、ガンダムオリジンみたいに、途中から誕生編の回想が延々と続いて終わらせてもらえないかも。 天使編は続きが気になったけど、神々編は思わせぶりなイメージ描写ばっかりで正直つまんなかった。
ありゃ打ち切りになって当然だわ。実験作と言えば聞こえはいいが最終章でやることか。 神々との闘いは、編集からも難解だから分かりやすくしてくれと言われたけど
そのうち収束するからと押し切って描いたそうだよ
そのうちにCOMが休刊になっただけで、打ち切りではない COMが休刊になったのは、009神々との闘いが打ち切りになってから2年後位。
009神々との闘いは、ジュンのことで手塚と色々あって少々やる気なくしてた
と手塚関連の書籍で読んだことことがあるが・・・ >>49
ジュンと神々の闘いってちょっと似てるな、雰囲気漫画というかなんというか。 神々は打ち切りだよ
もう少し続いたらパズルのように一連の話になったけど
その前に難解すぎって事で打ち切り
途中までは時系列を追ってたけど最後の方は前後バラバラだもん
一応ギルモアが敵に心を奪われたからイワンに殺されたし
心の旅を終えたら新しい能力も付いただろうからちゃんとラストに向かってはいたんだよな >>40
いやかなり描かせてもらったよ
ジャンプでSF短編描いてたし
あれは早すぎた名作で後々SF作家に絶賛された
諸星大二郎は暗黒神話だし結構雑誌も場を設けてたよ
あんたは知らんだろうけど 「難解なSF漫画を描いていた」から「好き勝手に描いていた」とは言えない。どれも編集部が雑誌の売り上げに貢献すると判断したから載せたのだし。その判断が正しかったかは別にして。 >>52
諸星大二郎はアンケートは良くないがマニアが着いているから単行本の部数がおおよそ計算できる。
儲からないのに商業雜誌がまんがを載せてたまるか。
石森だって看板に据えた訳じゃないだろ。
いずれ長い連載にはならないしさせてもらえない。ああいうまんがは「たまに」載るから刺激にもなるんであって大御所の「わがまま」で好き勝手に描いている訳じゃないの。
あんたは知らないだろうが、な。 >>54
そこで出す例がジャンプ時代の諸星ってのは流石に狂ってるよ
当時のジャンプはまだ、売上度外視の実験作やら出してたというだけ
ゴンズイとか恐竜大紀行、はだしのゲンも同じ枠
これはマガジンなんかでも昔はそういう風潮があって
全く売れない戦中の話の漫画とか定期的に載せてた
一応文化事業だって頭が90年代まではギリギリ残ってたんだよ つーかジャンプデビューの諸星を
単行本の部数が計算できる、って無茶すぎるわ
まあある意味計算出来てた訳だけどな
部数が出ないって判断された作品用のレーベルのJSCとして出版された訳だし・・・ >>52
それは>>55に言ってくれよ。
諸星大二郎を出してきたのは55なんだから。
>>56
その通り。
一定数しか売れなくてもマニアがついているから大赤字にはならない。
だから単行本が出せたんだよ。増刷だってかかってるよ。
全く駄目な作家は例えコミックスを出しても増刷なんて滅多にかからない。 どんな大御所だろうが市場原理には逆らえない。
訳の解らない事を言っているのは
大御所は編集に口利きして好き勝手なものを描けるんだと主張している>>55だよ。 >>57
あのさあ
ジャンプの売上基準舐め過ぎじゃない?
JSCで多少重版かかったって何の意味もないから・・・
あと俺がいつ諸星を出してきたんだ?
それ以前にあった話で諸星が例に出されてたからそこに突っ込んだだけだが
>>58
>>55のどこから
>大御所は編集に口利きして好き勝手なものを描けるんだと主張している
と見て取れるんだ?
流石に病気が行き過ぎだよ >>60
まあそうじゃないかと思った
ただ、確かに最初に話を出したのは>>52だったにせよ
>>54で諸星大二郎に関する新しい話を出してしまっているからね >>61
うーん、結局あんたと同じ事を言ってるつもりなんだがな。
文化事業枠で売上度外視だと言ったって全くの赤字で補てんが効かない事をやる訳がないんでね。
諸星や星野なんかは企んで本格派に仕立てられた部類だろ。
固定ファンがいたのも事実じゃないか。
兎も角俺の主張のキモは「手塚、石森と言った大御所的なベテランであろうが本人の好き勝手なまんがを描けた訳じゃない」って部分なんだが。 >>62
だからさ
ジャンプにとって微赤字も微黒字も大差無いよって話を>>59でしてるんだよね
今と違って売上は「伸ばすのが当たり前、最低でも維持」って時代に諸星作品が多少重版かかって一応黒字だろうと
価値の高い誌面を割いて載せられる物では本当は無かったんだよ
文化事業だって頭がまだ残ってたからそういう事もやってただけ
あと諸星だって別に本格派に仕立てられた訳でも何でも無く
妖怪ハンターってタイトルからして編集主導だし
本当は稗田が妖怪を倒していくストーリーにしろとか言われてた
最終回も諸星的には不本意な内容を終わらせるために無理矢理描かされてる
編集は諸星の方向性を手助けしてやったなんて事はほとんどなく
ほぼ、手塚賞入選して精力的に描くから仕方なく載せてた状態
まあ手塚賞自体が94回以上やってて入選はわずか16人
その厳選された16人の中でもまともなヒット出したのは2人だけという、まさに手塚らしい驚きの賞だが・・・ >>57
諸星大二郎が一定数売れるって気がついたのは後になってからだよ
西村が諸星大二郎はいろんな形で再販しても一定数売れるって
つまりジャンプとしては売れないから切ったが、つげ義春みたいに出せば一定数のマニアが付く作家だってこと
そもそも諸星大二郎がジャンプに載ってたのって手塚治虫の賞を取ったから
手塚に相応しい受賞作だから選ばれただけでジャンプも商売になるとはさすがに思ってないよ
他の漫画で百万部は突破してたからバラエティを出しただけ >>58
実際に新人でも一本か二本大ヒットを出したら好きなものを描かせてもらえるよ
車田正美の男坂なんて全くの好きで書いてこけた、知らない馬鹿はお前くらい >>63
手塚が一から選んだわけじゃなく編集が手塚が選びそうなのを数本選んだにすぎない
手塚に気を使いすぎただけだと思うな 手塚に限らなく漫画大賞受賞者って何処の雑誌社もヒットメーカーとはならない事が多いよな。
大概漫画家は自分の描かないタイプの漫画を選ぶしそれは必ずしも受賞者の為だけではなく自分を脅かすタイプの作家は嬉しくないだろうから。
得てして月間漫画賞の様な小型の賞を貰ってデビューした作家の方が売れっ子作家になるパターンが多い気がする。
こちら編集部が戦力になりそうな新人を選ぶからなんじゃないかな。 月間漫画賞というのはもともと編集が載せたい漫画に対する
ハク付けや他へのアピールに使う賞だし
こんな漫画描いてくれば載せますよという
手塚賞はどっちかというか作品より漫画家の表彰のため存在する >>68
それはかなりあるね
大賞は審査員の殆どに評価されなければならず、最大公約数的な作品になるからって説もあるけど
違う気がするな
どっちかというと大賞取るような作品って
全体的な完成度が高いだけじゃなく、完全に自分の世界を持っちゃってて
その後の連載作とか見てもその世界から出てこない印象がある
それに大ヒット漫画家などだけで評価するって事はどうやってもマニアックな物になってしまうし
一般読者受けしないのは仕方ない気もするな >>69
漫画家の表彰のためってのは日本漫画家協会賞みたいな
出版社と直接関係ない賞だけじゃね
手塚賞の大賞取れば、売れそうにない漫画家でも何度もジャンプ本誌で描かせたりするし
どっかの時期までは売れると思ってやってる面が強かったんだと思うよ 懐かし漫画のようにだれでもネットで稼げる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
64OKK 過疎ってるようですが質問させてください
電子書籍でサイボーグ009を買いたいと思っています
石ノ森章太郎デジタル大全サイボーグ009編には抜けてる回や紙書籍からの変更点などはあるのでしょうか?
こちらのテンプレによるとShotaro World版は全28巻ですが、デジタル大全は全27巻で抜けがないか少し不安です
単に1巻ごとの収録ページ数が違うだけですかね? 章太郎ワールド版はイラストや扉絵コレクション、解説のページが多い。あと緊急シミュレーション1992、きょうりゅうサイボーグ、四次元半襖の下張りサイボーグ戦士編、敵エネミイ等の、本編とは言いにくい物はデジタル大全には無かった様な? デジタル大全だと
サイボーグ009対三億円犯人 「たの幼」テレビきょく・サイボーグ009 が追加されたみたい(12巻) >>74 >>75
詳しくありがとうございます
どうせなら公式にお金が落とせる方法で買いたいと思ったんですけど抜けがあるなら中古でSW版を揃えた方がいいのかな…
やっぱりイラストも多い方がいいですし
置き場所の問題で電子書籍になりそうですがテンプレ参考に抜けてる分を紙の方で追加で集めるか、関係ないものとして諦めるか考えます
相談にのっていただきありがとうございました マンガはやはり紙の本が読みやすいけどネットで話題に出た時にすぐ参照ページを呈示できるからデジタル大全は揃えたよ。 石森プロ公式のパラパラアニメ、編集長がダメ出ししてポイッと捨てたサイボーグ009の原稿が、単行本になって本屋でバカ売れして映画化って流れをキッチリ入れてるあたり、相当根に持ってたんだな。 3/30 サイボーグ009CALLOFJUSTICE(上下)発売予定
去年の夏くらいに1巻が出た際には結局紙のは出ずに電子版だけだったっけ? まだ紙媒体で出てなかったのか。この漫画アニメ版と同じく表情や動きが硬いな。
アニメは色々と残念なCGだったからだが、漫画はそれを補完する様な、生き生きとした表情や
アクションを期待していたのだが。 サイボーグ009は週刊誌連載だった。
ところが鉄腕アトムは連載当初からの光文社の「少年」で月刊誌だった。
だから009の方が頁数の稼げる作品になった。そうこうしているうちに
少年のアトムの連載は雑誌廃刊と共に打ち切りになった。 アトムは産経新聞に連載されてたことがあるが、少年誌が週刊誌の時代になっても
掲載雑誌を乗り換えるということはしなかった。昔は雑誌が廃刊にでもならない
かぎりは、他の雑誌に連載を載せ替えて続けるということは滅多になかった。
赤塚の天才バカボンなどが例外的だと思う。
サイボーグ009は打ち切られたり雑誌が廃刊になったので乗り換えて続いたのだろう。
手怩フ火の鳥もそうだった。
よほどの事が無い限りは、ある雑誌で打ち切りになった作品を他社が拾って続きを
書かせてくれるということはないし、また打ち切りではなくて雑誌が廃刊休刊に
なった場合でも、続きを他社の雑誌に移して続けるということはほとんど無いようだ。 当時の月刊誌少年は巨匠の宝庫でしたね。鉄腕アトム鉄人28号もここだったと思います。
石ノ森氏もZとか黒い風とか出していませんでしたか?サスケやアニメにはならなかったけれど
光速エスパーもこちらだったと思います。亡くなられた関谷ひさし氏とか。 >>82
少年キングが廃刊になったのは009が他誌で連載されたよりも遥かに後なんだけど……? 打ち切りに遭った作品が掲載誌を変えて連載されるということは、
滅多にないことです。
特に今のように、雑誌に漫画が掲載されてそれをメルチメディア展開とでも
いうのかな、テレビアニメ化、各種グッズ、映画、小説などへ展開して
そのロイヤリティの少なからぬ部分を原作の掲載雑誌社が権利を保有する
という環境なら特に。
009の場合は詳しいことや実態はしらないが、東映動画がテレビアニメ化したり、
劇場用などの展開をしたから、そういった潜在的な権利を含めて拾ったところが
あったのかもしれないと邪推する。
昔、マガジン連載の巨人の星以前ぐらいまでは、
雑誌社はマルチメディア展開を前提に、
連載漫画に最初から契約で権利を設定して派生品などのロイヤリティの
分け前を要求するなどということは無かった気がする。
こういうことも、虫プロの鉄腕アトムなどによる派生商品の
ロイヤリティ収入が(当時の出版業界の常識からすれば)
巨額であったことが発端。そうしてその権利を押さえるために、
テレビ会社と広告代理店、雑誌出版社が組んで、放送枠の支配を
前提に、作者から一定割合の権利を奪い、またアニメの制作会社
には作品の権利を与えないというやり方で企画会社がぼったくる
慣習が次第に定着した。 そういやしばらく前の激マンで、マジンガーZの連載が集英社の少年ジャンプから講談社のテレマガへ移籍した
いきさつを描いていたな
まああの漫画はところどころフィクションなので(キューティーハニー編で豪ちゃんが女性になっちゃったりとか)
100%真に受けるべきではないんだろうけど 永井豪の場合、間違った事描いてても
弟なんかが都合の悪い部分で豪ちゃんに嘘吐いた可能性もあるから難しい 永井豪は例のマンガ夜話にクレーム付けた事件でもかなり怪しい行動してるしな
夏目による「デビルマンのこの画は永井じゃなく石川賢が描いてる」発言を
何故かいしかわじゅんに対して反論している
実際にはいしかわは夏目の発言を言下に「いや、その画は石川賢じゃない」と否定しているにも関わらず、ね >>88
番組を良く視ずに
なんか悪口言われた情報だけで怒ったかね?
それか 前からいしかわじゅんが嫌いやったとか? スレ違いだけど
永井豪はデビルマン当時人物画は殆ど自分で描いていたと言ってるからね。
あの頃の絵柄の変化が急激なので人物ペンの担当が変わったと思われても仕方がないところがある。
たった1年弱でとんでもなく上手くなってるんだよね。 009は少年キングで打ち切られた経緯が人気とは関係ない、
編集長交代による編集方針変更によるものらしいからね。
ベトナム編辺りで読者からのポエムが使われている様に反響は確実にあったと思われる。
月刊の方でも「サイボーグ戦士」のタイトルで掲載されていた訳だからそれだけページを割ける作品だったんだろう。
当時は少年ジャンプ以降ほど人気投票主義で無かったにせよ全く反響がない作品にそんなにページを割けるはずがないんだから。
俺の場合リアルタイムで読み出したのは冒険王以降なんでほぼテレビアニメ放送時期からなんだよな。 >89
いしかわじゅんは問題になったデビルマン関連の話題が終わった後
時期は明示しなかったけどダイナミックプロを訪問した時に
永井が自分じゃ画を描かずスタッフに任せてる現場に居合わせて
「何で自分で描かないの?」と本人に聞いた、っていうエピソードを紹介してるんだよね
多分それが気に入らなかったんじゃないかな?
でも、それを正面きって否定すると泥仕合になっちゃうから
わざと見当違いのクレームを付けて
言外に「お前TVでよけいな事言うな」ってプレッシャーかけたんじゃないか?
と邪推している いしかわはその話した後に
「でもその後のデビルマンレディーとか見ると自分で描いてる画なんだよ」
とは言ってるんだよね、一時期作画を他人に任せてた時期があったんだろう
あと、永井が気に入らなかったかもしれない発言としては
デビルマンの画について「いや、そのコマは本人の画だよ」と反論した時に
その理由として笑いながら「石川賢だったらもっと上手い」と付け加えたってのがあった >>93
なるほど ただ ちょいちょい気になるのが
喋ってる時は敬語やろね?
先輩を呼び捨てにしてる様で引っ掛かるんですが? マンガ夜話のいしかわじゅんは大概呼び捨てだったな。
>> 一時期作画を他人に任せる
・そういう事ならあったと思うな。
それと何をもって「絵が上手い」というかも曖昧だよな。
後々石川賢は凄く書き込む密度の高い絵になったけどそのぶんパッと見せたい情報が目に入らなくなり理解に時間がかかる絵になったともいえる。
例えばゲッター號の頃の絵は密度が高いし情報量も多いけどサンデーや冒険王で連載していた頃の絵の方がスッキリしていて見せたい情報がダイレクトに解るとも言える訳でね。 なんつーか同じ漫画家なのに呼び捨てにするってのがね
オタクの井戸端会議ならそれでいいけど
同業者なら「じゃあ自分はどうなのよ」は常に付いて回るわけで
自分を棚に上げてる感が嫌い 上手いじゃなくて「シュッと走ってる」みたいな画風の違いの指摘じゃなかったかな ズバズバ言うけど作品に対するリスペクトは感じられるから
おれはあの上からの感じ嫌いじゃなかったけどね
まあ番組タイトルも夜話だし、多少のいいすぎも許してやって あの番組は基本「評論」だからってスタンスだったのか議論の中では
議論対象に対しては「手塚」とか「石森」と呼び捨てが基本だったからな 石ノ森スレでも以前書いたが、水色のリボンはデジタル大全で読めるしな。少女漫画定番の、家なき子を翻案した様な出生の秘密を持った旅芸人の少女の話で、ピエロの笑いメイクの下の素顔は泣いているってコマが印象的だった。 水色のリボン・・・せめて10,000円位にしてくれ。 呼び捨てにしない便利な手段として、名字に「氏」をつけて相手を呼ぶというのが
あった。 アレは「さん」「君」「呼び捨て」の使い分けをせずに済ませられる
という便利な手塚氏の発明だな 藤子A先生が「いいとも」のテレホンショッキングに出た時、
「ウチの妻も『かずよし(和代氏)』(なんです」ってなことを言ってたっけw 奥さんが倒れた時の手記タイトルが
「たのむよ和代氏、もう一度しゃべって」 石ノ森は手塚治虫に対して手塚先生、手塚さん、手塚と使い分けている
石ノ森はジュン事件他で手塚治虫に酷評されたことを心の底では不快に思ってたんだろうなあ
トキワ荘は入るのにテラさんの作った暗黙の条件があって
雑誌に投稿して全国に名前が知られていて、仕事の手伝いができる程度の即戦力
協調性が有って他人と衝突しない人
少年には良いものを読ませるべきてそれを守る人
少年には良いものと正面切って強要されたわけではないかそれを守っていた
石ノ森はもっと早くから劇画を取り入れた過激な作品を描きたかったがその教えが心に残って出遅れた
自分はバランス感覚があるから手塚治虫にはなれなかった
あの人みたいに作家性を突き詰めることができなかった
だがそれを後悔はしていない
自分は創作に苦しんだことがない
手塚治虫は天才でいて苦しんで書いている
自分は一回も全力で描いたことがないんだ
しかも楽して描いた方が人気が出るんだ
だから晩年はわざと力を抜いてホテルとかを描いた
そうだ
石ノ森の悲劇は根が深いわ 闇が深いな
けど石ノ森の場合は力を抜く=SF方面行かないって事じゃねえの?と思わなくもない
つーか苦しんだ事が無いなら009ちゃっちゃと終わらせとけと・・・
創作云々の部分ちょっとソース欲しいな まぁ、自分じゃ一切画描いてない日本経済があれだけ売れちゃなぁ… >>109
一旦終わらせたのを
ファンに無理矢理続けられされたのも事実やな
それと 他の人のレスによると弟子の永井豪のデビルマンに先を越されたとか。 >>109
弟子のすがやに語ってる
今出てる石ノ森研究本にその発言が載ってるよ >>111
まあ完結編も、デビルマンの前に出てたなら結構衝撃的だったと思うね
オチに関してはちょっと古すぎた
>>112
ありがとう すがやがスタッフを減らして身の丈にあった仕事をしたことに対して
良いよな俺もスタッフを食わせるために仕事するのもとか言ってたわ
力を入れたリュウの道は不人気でアシスタントが作画のキカイダーが人気になる
自分で描いたイナズマンは評価が低くてキカイダーを出したらそこだけ受ける
まぁ正直やってらんねえとは思ってただろうな
手塚はアドルフとか火の鳥とか高尚な作品も世間は評価してくれるけど
石ノ森は仮面ライダーとかキカイダーばっかり言われて >>114
ちょっとアンタも悪意を込めすぎやな
リュウの道は 世代では無い俺でも読めたし
サブと市も評価されてよう。 悪意も何も事実じゃ無いか
ゴレジャーが受けないからゴレジャーごっこにして下ネタのオンパレード
子供ながらに馬鹿にするなと腹が立ったわ
リュウの道はマガジンの巻末に追いやられてたしな
石ノ森は平井和正に最近特にSFを描くと編集に嫌がられると愚痴ってたな
石ノ森の漫画は大ゴマのハッタリに走って工夫が無くなったと思うわ
秋田書店の編集がページにボタンのアップしか書いてない原稿を貰って、
これで馬鹿高い原稿料を取るんだからと悪口を言ったそうだ
それって石ノ森のことでは無いかな
イナズマンなんてさ一枚に光が光ってるだけとかだもんなあ
ある時期から石ノ森はつまらなくて読めなくなったな >>116
>秋田書店の編集がページにボタンのアップしか書いてない原稿を貰って、
009の扉絵だな、真っ黒な背景にあの服のボタンだけが白くでっかく描かれてるやつ。
前衛的といえば聞こえはいいが編集者は手抜きと言いたくなっても無理はない。当時の読者の反応が気になる。
石森はとにかく無駄な見開き大ゴマが多かったな、複数連載の頁稼ぎの苦肉の策だったのかと邪推してしまうぜ。
今の漫画家にもしっかり頁稼ぎの手法として受け継がれてるのが皮肉というか影響が大きいというか。 ゴレンジャーをゴレジャーと書く奴に言われてもwwwww >>117
永井も手抜きの方法を覚えたしな
時間がなければ背景ベタとか
スタッフを食わせるためと割り切ってた石ノ森は大人なんだろうけど
手塚治虫はアニメと漫画のどちらを選ぶと壁村に問い詰められて
アニメと答えてBJを終了させたある意味純粋な創作馬鹿だからなあ
それは勝てないわな 手塚治虫いわく「漫画が本妻ならアニメは愛人ですから」だから
アニメ作りはある意味で漫画以上に楽しかったけど結局は愛人を捨てて本妻を選ぶけどね 捨てては無いよ
最後は自分のキャラデザでは受けないと悟り
他人のデザインでアニメを作ってた
徳間の鈴木、今はジブリの鈴木が手塚治虫に会った時、
キャラデザは今はやりの人に頼まないとヒットしないですよとアドバイスしたんだ
手塚治虫は当然激怒したが、会社に帰った鈴木に手塚治虫から電話がかかって来た
手塚治虫はその今はやりのキャラデザを出来る人を紹介してくれと言った内容だった
手塚治虫はアニメでヒットを出したかったんだろうなあ ジョーとフランソワーズがやっているときに、ジョーは奥歯をかみしめながら
加速装置を使い、 >>121
もしかしてそれでできたのがハレー伝説ラブポジションか
テレビでやってて見たが裸の美少女が出た以外印象なかったな なぜ009ノ1のような、あるいみサイボーグ009をぶち壊すような作品を
書かねばならなかったのだろうかと思う。別にタイトルを似せなくても
まるっきり別作品ということで劇画作品として描けば良かっただけじゃないか
と思うのに。あたらないかもしれないという不安感があったので、自分の
著名作品にこじつけた名前にすれば一定の読者と人気を確保出来るかも
しれないという打算があったのかなと思う。 当時は007映画の影響でゼロゼロが流行ってただけだろ。009ノ1のゼロゼロはサイボーグ009 との関係よりもスパイアクション物の枕詞でしか無く、むしろ9ノ1と書いてクノイチ(女忍者)と読む所がカッチョエーポイントでしょ。 009ノ1はメメクラゲ同様誤植がそのままタイトルになっただけのはず
アニメだとナインワンに戻されてる 作品タイトルは女サイボーグスパイ=未来の女忍者=くノ一の連想として9ノ1表記でクノイチとシャレで読ませてるが、本気と書いてマジと読む様な物。作品中ではあくまでもゼロゼロ機関ナインナンバーズの一番だからナインワンと呼称していると言う違いでしょ。 009の完結編にしてもある意味全部ぶっ壊してたからな そういやどっかで大事なデビュー作である二級天使の下ネタバージョン描いていたしな
割と自分の作品を茶化したり壊したりするのに躊躇ないのかも HOTELの江戸バージョンのHATAGOとかもあったしな >>129
天使編や神々は完結してたら
リュウの道を描く必要も無い名作になってたと思うわ。 石森も赤塚も、作家としての晩節を汚した感が強いよ。
手怩ヘ汚す前に死んだのであった。 天使編と神々編って、ようは009版幻魔大戦がやりたかったんだろうな。 >>133
手塚は晩節汚す事は無かったと思うなあ
まだまだ描きたい事が沢山あるのに!!!って嘆きながら亡くなった人だし
絵が駄目になる事はあっただろうがストーリーテラーとしての評価が落ちるような事になったとは思えない 赤塚の場合、汚すほどの晩節無かったんじゃね?
途中から自分じゃ一切描いてなかったぽいし。 ジョーとフランソワーズとジェットのやんわりな三角関係を子供向けながら表現してた
平成アニメがだいすき。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています