ケンカの相手は、日本でもおなじみの外人プロレスラーキラー・オースチンだった。
カウンターで、レフェリーの沖識名と飲んでいたのだが、酒がまわるにつれて、まわりの人たちに因縁を吹っかけはじめた。
閉口した沖識名が、彼をバーテンにまかせて帰ってしまうと、酔態はますます手がつけられなくなった。
ぼくは、弟と一緒に奥のボックスで飲んでいたが、だんだん腹が立ってきた。 客もバーテンも、すっかりおびえてしまっている。
外人プロレスラーだろうと何だろうと、こんなマネを許しておいていいものか。

「とんでもない野郎だ。 やっちまおうか」
弟が腰を浮かしかけたとたん、女の悲鳴が聞こえた。 胸をつかまれた男が、必死にふりほどこうとしている。
しかし、キラーのひとつかみにあっては、赤ん坊のようなものである。
だが、ぼくらよりも先に浅黒い顔の青年が立ち上がった。 タイ国の留学生らしい。 彼はナマリのある英語で、キラーに抗議した。
「義侠心があるじゃないか」
「日本人はみんなちぢみ上がっているのに、えらい男だ」
キラーが首っこを押さえると、留学生はキックボクシングの前げりをみせた。 しかしたちまち表に引きずり出され、ガードレールに叩きつけられた。
シャツが破れて血が吹き出している。 キラーは、すさまじい形相で押しかぶって行く。
「あぶない、背骨が折られる」  弟が叫んだ。
「俺が羽交いじめするから、お前は当て身を入れろ」
そう言うなり、キラーの背中に突進した。 しかし、泥酔していてもさすがはプロレスラーである。
膝をつかって弟をよせつけない。 ぼくは昔とったキネヅカで、ケンカなんか朝飯前だし、柔道の技にも自信がある。
弟はぼく以上の猛者だ。 それが二人がかりでもどうにもならない。
マネージャーが、与太者を呼んできて刺しちまおうか、などと話している。 ばくは、ブロークン・イングリッシュでささやいた。
「力道山だって、刺されて死んだんだ」
キラーの動きが、一瞬とまった。
「チンピラが二十人ばかり集まってきたから、もうお前は殺されるだろう」
そうつづけると、とたんに、彼に全身から闘志がぬけてゆくのがわかった。 酔いもさめたようだ。
「弟の車でホテルへ送ってやろう」
すぐ弟が車を廻してくると、彼はサンキュー、サンキューとくりかえしながら、乗っていってしまった。