で、結局おいどんって一体何なの?
何がしたくて東京に来たんだ?
親父さんが様子見にきたり、実家から食い物を送られたりするところをみると家庭崩壊や極貧で東京に流れてきたわけではないだろ?
あの当時の状況を考えれば、熊本市内の公立工業高校の夜間部に入って昼間に製造業や建設業で働くってのがおいどんの場合は適切だったんじゃないの?
それか事務系の会社の見習いで入って公立商業高校の夜間部に入るってのもありじゃない?
その後は通信制の大学に入る、というのもあるわけで卒業は難しいけれども慶應義塾の通信制もある
全部熊本市内で完結できるのに東京にくる意味がわかんない