三原と西鉄フロントの間で対立があったのは確か
お金がべらぼうにかかったのも確かだが三原は選手によって待遇に差をつけわざと選手の奮起をあおった
ただ選手との関係は巨人時代ほどギクシャクはしてはいなかった
選手みんな三原監督を信望していたからね
ただフロント陣との間は修復不可能で昭和33年シーズン終了後には退団が決定的だった
しかし巨人を倒しての3連覇なのだから球団も続投させざるを得なかった
しかし三原はすでに次の球団である大洋と話はできていたしすでに大洋の主力とも会談していたという有り様
そんなんだから翌年に支障が出てまさかの低迷
すでに次のチームの事を考えている指揮官の元ではたとえ黙っていても指揮に影響するのは当然の話
それでも三原が退団したのはライオンズにとって痛かった
三原は意外に管理野球をすでにやっており自由奔放そうに見えて実は緻密だった
そんな三原がいなくなったらすっかり反動で弱体化するのは必然
わかりやすくいえば川上監督がやめて長島監督になるようなもの
すっかりたがが外れて遊びまくる主力選手も少なくはなくそこに暴力団が割って入る隙を作ってしまう
また当時のライオンズは地元九州出身でないとよそ者扱いするファンも少なくはなく同じ実力なら九州出身でないと気に入らない
水戸出身豊田はそんなファンに怒り当て付けでヤクルト移籍する始末
結局三原退団以降すっかり求心力が落ちていく一方であった
三原は確かに稲尾を潰した一番の張本人かも知れないが逆に高校時代無名の稲尾を抜擢したのもまた三原
しかしその名将がいなくなればもろくなるようだ