石塚真一▲岳 みんなの山 第16歩【お疲れ様でした】
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昔から思ってたけど、ベア系のホモ漫画とかによくある絵柄だよね、この作者 >>536
たまげたなぁ
ホモはドッペルスレに帰ってくれないか? ああ、ホモの人ってこういう漫画から妄想の世界へ入るのか 最後 帰るか、って言ったから、正気に戻ったんだと思ってた。
違うのか、 久しぶりに読んだんだけど
阿久津の事故のもっと前に別の隊員が小さい岩に当たって
大腿骨を骨折する事故あったよな?
何巻か忘れたけどあれは二重遭難事故にならないの?
阿久津の事故で野田隊長が異動になるときに
初の二重遭難事故って言ってたのはどうなの? 最近中古で一気買いして読んだけど終盤酷いな
最後なんて三歩だからこそしないようなヘマだろこれ あれはネタが尽きた作者を自己投影してるんだと思ってる
だから三歩はまだ生きてる
今頃は御嶽山で不法侵入か渋谷で婚姻届を出してるはずだ 久美ちゃんの
イチャイチャセックスシーンが
見たかったな サンポを殴る遺族の親父がムカつく
俺だったらピッケルで頭骨粉砕してる そこが最終回になっちゃうでしょーが。
でも団塊爺には本当にそういうのよく居るからなぁ
列車遅延の駅ホームや家電量販店や観光案内所で大爆発してたりする 三歩実は生きてました的な読み切り続編でも出ないだろうか
可能性のある救助を少し無茶してやりきる代わりにどうしようもない事は素直に諦められるのが三歩だと思うんだよなぁ >>544
あれはむしろ警察側が爺に抗議するべきだよなぁ >>544
そのほうが良かったね
エベレストで死ぬよりも現実的、かつインパクトの強い最終回になったはず 山田貴敏「Dr.コトー診療所」を語ろう
1 :名無し:02/03/26 14:24 ID:uU6flD8s非常に良心的な医者漫画だと思う当作品。
他に同志がいるならいっちょ語り合ってみませんか?
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/comic/1017120240/
【顔面】Dr.コトー診療所【直撃】carte.2
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/comic/1033348751/ 23.24.25と読んだが今回も面白かった。この巻でこの章も一区切り。
ストーリーは最早グダグダで明らかに不人気なストーリーを切り替え
別の話をやろうとしているのがミエミエだが、作者のセリフのセンスや構成力の高さで、
強引にストーリーを戻した感じ。すごい力技だ。
新ヒロインのミナが思った程人気が出なかった故だろう キャラクターがストーリーを作っていく、動き出すことってあるんですか。
六田先生 キャラクターが勝手に動き出すってよくいうじゃない。でもそれどうゆこと!?って感じじゃない!?
でもそれを初めて体験したのはFだったんだよね。勝平の時もあったんだけど、それはなんか自分のノリでやっていて。Fの時はもうやばいなっていうくらいだった。
自分が知らないようなことを書いているわけ。やばい、これはきっとどこかの小説か何かで読んでいて忘れているだけだ。と思って
家に帰ってすぐに書庫で探して探したりして。もし本当にそうだったら盗作になってしまうからね。結局そういう小説、作品はなかったの。
それからも自分でもびっくりするような「えー」って思うことが続くのよ。自分で書きながら読んで、面白がったてたもんね(笑)。あーキャラクターがストーリーを作るってこれかーって思ったのがFだったよ。
それまではそういうキャラクターがいうことを聞いてくれない、勝手に動き出すっていうことをちょっと格好つけすぎでしょーって思ってたんだけど、Fはちょっとヤバかったですね。書きながら泣いてたもんね 今回は「大人が若者を叱る」って行為が、すごく巧く描かれていたね。
平さんは猛烈に厳しい言葉を浴びせていたけれど、怒ってはいない。叱っている。
ユキノリの演奏を真剣な顔で聴いて、言動をつぶさに観察し、本質的な欠点を
厳しく指摘する。感情を出さず、相手の目をまっすぐに見て目をそらさない。
若者だけでなく大人の在り方もちゃんと描かれているから、この漫画は面白いんだな コトーの監修をしている医師(兼漫画家)茨木保氏の最近の特集記事を、一部
抜粋して紹介しまそ。(ソース:サンケイ新聞 平成15年6月25日)
茨木は現役の医師としてストーリーのアイデアを出し、セリフのチェックもす
る。「フィクションがどこまで許されるのか」と迷ったときは手塚治虫の言葉を
思い浮かべる。
茨木が医学生時代に母校で聞いた講演で、手塚は天才外科医が主人公の代表作
『ブラックジャック』を取り上げた。
「いろんなお医者さんから『あの病気にはそんな治療をしない』『この診断はお
かしい』といった感想をいただきますが、ボクはそんなことがいいたくて作品を
描いているわけじゃない」
この手塚の訴えを胸に、茨木はコトーについて「医学的な考証は大切だが、あ
まり重箱の隅をつついて作者の足を引っ張ることはやめよう」と考えている。 一回の話は医学的にはナンセンスではあるが、ブラックジャックのようなまったく非現実的なものということでもないし、ドラマの劇的要素を高めるという演出としてはまあ不自然ではあるけれど、医師の立場からも見ていて面白かった。
第三話は「Dr.コトー診療所」の全話のなかでも愁眉のできだと思う。第一、二話とちがって医学的に非現実的な部分がほとんどなく、また物語としても本当に感動した。
この第4〜5話はあまり医学的なことはドラマの筋としては重要ではない。しかしドラマとしては大変すばらしい出来具合である。
残念ながらこの第9話以降はさすがの「Dr.コトー診療所」もブラックジャック的非現実的な物語になっていく。まあ最後のクライマックスを作るためには医学的には非現実的でもドラマの劇性を優先せざるを得なかったのであろう。
コトーは東京へ行ってえらい政治家の手術をする。この政治家は進行胃がんであり、普通の外科医では手術ができないので天才外科医Dr.コトーに教授が執刀を依頼し、
教授自身が執刀したことにして世間に発表する、といういわば前時代的社会派ドラマ的発想である。
せっかく医学的にもかなり現実味のあったこのドラマも最後には空想的ブラックジャック的すじがきとなってしまった。こうなると医師の眼で見ていてはあまり面白くはないが、最後にコトーがまた島に戻ってきて、
今度は大歓迎されて・・・といった結末はたいへんよかった。
http://www7.plala.or.jp/machikun/comment4.htm 私はこのドラマを見てあらためて島の人はやはり本心では島での医療を望んでいるのではないか、と思った。
現代の離島医療は自治医大方式(私の勝手な仮称)が主流であり、島ではあまり深い医療は行わず、
基本的には少しでも重症な患者は中核病院に搬送する、というのが時代の流れである。たとえば昌代のようなケースでは島外に緊急搬送され、
そこで手術を受け、運良く一命を取り留めたらその後の長いリハビリも内地でおこなうというのが普通だろう。
自治医大方式はDr.コトーのようなスーパーマンでなくても、卒後3〜4年目の医者でも離島医療が行えるという点では確かによい。
しかし、彼らは私から見れば「え?なんでこんな患者さん搬送すんの?」と思うような患者までどんどん搬送してしまうから、
利便性という点ではおおいに問題がある。つまり自治医大方式は合理的ではあるが島の住民にとっての利便性がない
Dr.コトー診療所は結局「非常にうまく運用された徳州会方式」なのである 『ブラックジャックによろしく』同様これも漫画が原作だけども、医療もので患者の視点に立ってエピソードを作れないのなら、
ちまたにあふれる子供だましのヒーローものといっしょで、それは単に医術を“必殺技”にしただけでございましょ? 底が浅い! このドラマどうにもシックリこない。 特に8回のなんか素直に入っていけない壁がある。
偽善的なのか独善的なのか何かオカシイんだよ。 とても感情移入できない代物じゃわい。
製作意図はいいんだよ。ああ言う価値観は分らんでもないんだが
「愛の告白だ」、「命は神様に、病気は先生に」、 「先生はやるっていったら必ずやってくれる人なんです」、
「だってコトー先生が手術してくれるんだもん」、 「医者だってただの人間だろ」、
「コトー先生はそれを現実にやっておられると思うな」 「東京にいたときよりいい顔になった」・・・
コトー先生は神様みたいな存在なんですよね。
ただそれが映像で丁寧に描きこまれているわけでなく コピーのような言葉とBGMだけで説明されるから
違和感が生じるのだと思います。コピーライターの作品集みたいですね。
でも最近の視聴者の多くは、その言葉のみの説明と判りやすい設定さえあれば
自分でイメージを膨らませて納得できるようです。 劇画を読むときの感覚に似ているのかもしれません。
ですからこのドラマを見て良いなあと感じる人もいれば、
その粗雑さに耐えられないと感じる人もいます。感じ方は人それぞれですが。
役者についていうと、泉谷さんや時任さんはあまりにも明確なキャラで驚きますが
コウちゃんや、筧、そして吉岡君はセリフなしの演技が多くて楽しいです 政治問題やら竜父娘やら白川母子やらねね母子やらを パラパラとちらしながら黙々と手術するコトー。
主人公のキャラクターが描けてないのはもちろんだが、 焦点の絞込みができてないのが致命的。
4回目にしてドラマとしての落ち着きがなくなっている。
また感動させたいばっかりに竜を無理に悪者にしようとしている
ところは稚拙であざとい。先週までは本がだめでしたが 今週の時点で、本も演出も含めやっぱダメ作品です、これ。
本とディレクターを換えて同じ金をかけて同じキャストと
カメラとロケでほかのチームにやらせれば 素晴らしいものができたと思う。もったいない 想像力働かせると、「ここでこういう台詞吐くな〜」「こういう展開だな〜」
って一々読めるとこがイマイチなのよ
コトー脚本ダメよ。 わざと感動させようとして単純すぎる台詞のオンパレード。
人物設定もゲームみたいに誇張されたのばっかし。そのくせコトーの
設定はいまだに定まってないじゃん、もう4話だっていうのに。
柴咲の顔リアクションがなんか大袈裟で吉本新喜劇みたい… 吉岡は自然なのに
エンディングテロップといえば、主題歌が転調するのに合わせて 診療所の映像がコトー来る前→来た後を表しているところが好き
あと和田さんの写真が映るところも歌のテンポに合ってていい 何気に凝ってると思う 島民たちの生活感がつたわってこない
例えば、漁村なら、漁村の作業と流通と暮らしがありますよね。その暮らしの中で、
島意識が育って、その中にコト−は飛び込んできたわけですよね。
そういう描き方が不足してませんかってことなんです。景色は映っていても
暮らしが映っていない(少ない)から、魚の匂いも、磯臭さも、島の閉鎖性も あまり感じない。
環境の中のリアリティって、そういうことじゃないのかな。
キャラクター誇張されすぎちゃってて ぶち壊しですよ。役者がまじめに芝居するからそれぞれは悪くなく
見えるんだけど、場面と場面のつながりが切れ切れになっちゃうんですよ
脚本がダメなのに 演出で台詞変えようとかカット割り変えようみたいなこと できる人がいないんだろうね
不自然な感情とか不必要なののしりあいが多くて見ていられない。
複数のストーリーが並行して進行しているという作りは良いが 個々のストーリーがありきたりで大味。
「変わらなくていいもの」って何? 吉岡のセリフでなかったらまるでお笑いだったろう。
セリフとして語らせるなら、その「変わらなくていいもの」を物語りの中で 明示しないとダメダメ。
脚本が陳腐なのは最初からだが、吉岡が凄過ぎて来週もまた見てみようという気になってしまう。
脚本のダメっぷりとは隔絶したリアリズムが、表現者(役者)に拠って可能などとは
今まで夢想だにした事は無かったが、吉岡のリアルな表現は脚本がダメな程、際立ってくる
小劇場出身の役者がクッサイ芝居は上手いが自然体の演技は全然下手 なぜ殺さなければならなかったのですか?
その方が感動するからだ。記憶にも残るし。 このスレで終わり方予想したからでねーの?
岳(ガク)を「ダケ」と読むのがあったよね
全部無視してふつーに読みきりで帰国後の続編を書いて欲しいな
その方が炎上するからだ。記憶も改ざんされるし。 一回の話は医学的にはナンセンスではあるが、ブラックジャックのようなまったく非現実的なものということでもないし、ドラマの劇的要素を高めるという演出としてはまあ不自然ではあるけれど、医師の立場からも見ていて面白かった。
第三話は「Dr.コトー診療所」の全話のなかでも愁眉のできだと思う。第一、二話とちがって医学的に非現実的な部分がほとんどなく、また物語としても本当に感動した。
この第4〜5話はあまり医学的なことはドラマの筋としては重要ではない。しかしドラマとしては大変すばらしい出来具合である。
残念ながらこの第9話以降はさすがの「Dr.コトー診療所」もブラックジャック的非現実的な物語になっていく。まあ最後のクライマックスを作るためには医学的には非現実的でもドラマの劇性を優先せざるを得なかったのであろう。
コトーは東京へ行ってえらい政治家の手術をする。この政治家は進行胃がんであり、普通の外科医では手術ができないので天才外科医Dr.コトーに教授が執刀を依頼し、
教授自身が執刀したことにして世間に発表する、といういわば前時代的社会派ドラマ的発想である。
せっかく医学的にもかなり現実味のあったこのドラマも最後には空想的ブラックジャック的すじがきとなってしまった。こうなると医師の眼で見ていてはあまり面白くはないが、最後にコトーがまた島に戻ってきて、
今度は大歓迎されて・・・といった結末はたいへんよかった。
http://www7.plala.or.jp/machikun/comment4.htm 私はこのドラマを見てあらためて島の人はやはり本心では島での医療を望んでいるのではないか、と思った。
現代の離島医療は自治医大方式(私の勝手な仮称)が主流であり、島ではあまり深い医療は行わず、
基本的には少しでも重症な患者は中核病院に搬送する、というのが時代の流れである。たとえば昌代のようなケースでは島外に緊急搬送され、
そこで手術を受け、運良く一命を取り留めたらその後の長いリハビリも内地でおこなうというのが普通だろう。
自治医大方式はDr.コトーのようなスーパーマンでなくても、卒後3〜4年目の医者でも離島医療が行えるという点では確かによい。
しかし、彼らは私から見れば「え?なんでこんな患者さん搬送すんの?」と思うような患者までどんどん搬送してしまうから、
利便性という点ではおおいに問題がある。つまり自治医大方式は合理的ではあるが島の住民にとっての利便性がない
Dr.コトー診療所は結局「非常にうまく運用された徳州会方式」なのである >>529
どうにか終わらせたかった
変に人気が出ちまって終わる時期を逸した感じだわな
実際の大量遭難死事件をベースにしてるわりに
実際の事件では山岳ガイドが自分の客をほったらかしにして自分だけ助かったという集中砲火を浴びる訳だが
その辺はボカしたな
スーパーマンになりすぎた三歩は生死不明で山に消えるしかなかった
映画化されてびっくり仰天の神々の山嶺のごとくね 最後はとにかくスーパーマン三歩を殺すために無理やり状況を悪化させ続けた感じだもんな やべー3巻まで読んだけど面白い。
まんが王国で買おうかな。一巻500円もするけど 山在住の人っておまんこしたくなったらどうすんの?
デリヘル来るの? マンガワンで久々に最後の部分だけ読んだけどやっぱ死なせてほしくなかったな〜。
一コマでもいいから生きて元気にどっかの山にいる、っていう描写あったら神漫画だったのに。 スーパーマンにしすぎて殺すしかなかった
その辺の山というわけにいかないし
救助という形にしたかった
全編通して「自分の身を守る」ことが一番大事だと伝えつつ
一方で「山だから」という厳格なルールがある
山だから。
自分の安全が一番と、最も知るはずの三歩でさえ
阿久津のことやその他いろいろちょっと精神的にキて自分探しとかで山に入ってしまい
揚句、低酸素という状態であれば当然持っている判断力そのものが落ちる。
そう、山だから。
熟練の、ベテランのクライマーたちがなぜそんなことで、ということで命を落とすのが山。
っていうね。意味だったと思うんだよ
でも最終巻だけ買わなかったよ。 14巻までは本当に良い作品だったけど
終盤がとくにローツェとエベレスト編が
いろいろと無茶苦茶すぎて
それまでを台無しにしてるなあ
この漫画の芯をなす「よく頑張った!」というセリフ(口癖)と
レスキューヘリの牧というキャラのネタ元である
故篠原秋彦氏の遺族と揉め事になったのが
連載中の作者にストレスになったのかなあ
とにかく15巻の巻末に謝罪文を載せたあたりから
無茶苦茶になってる感じだわ
14巻までは本当にいい作品だったのに
あのどこからどう見てもバカバカしいエベレスト編は
本当に残念無念、蛇足、台無し
ローツェから下山した人間が
直後にエベレストを2往復って
しかも無謀なレスキューのためにって
行動から状況判断まで
何から何まで無茶苦茶すぎる
主人公をどんだけスーパーマンにしたいのか
知らないけれど
自然を舐めすぎだろ
クライミング経験もあり山を熟知している作者とは思えないほど
バカバカしい描写の連続には
読んでいてもさすがに気持ちがついていかなかった
残念 連載中のジャズの漫画も、もうすぐ終わりになるのですか? >>577
終わった直後に何言ってんだよ
次回から海外編だけどな 外国帰りの新米医師の芦田ゆき(芦田代議士の娘)は「下肢を温存すればさらに敗血症が進行し、死亡するから下肢切断が必要である、これはマニュアルにも書いてある」と主張、
それに対しコトーは「マニュアルではそうかもしれないがこの患者さんのケースでは切断は必要ない。病気を診るな、人を診ろ」とし、デブリードマン手術(壊死した組織を切除することにより敗血症の進行を阻止して下肢の温存を計ること)を決行する。
ゆきの言うようにこうしたケースでは米国では切断をするかどうかは知らないが、訴訟社会アメリカならば本当に切断してしまうのかもしれない。なぜならこの広子のようなケースでは救命を第一と考えるならば切断がもっとも治療としては確実であるから。
万が一切断をためらって敗血症で患者が死亡してしまったら、アメリカならば訴訟となり医師は適切な治療手段を選ばなかったとして敗訴するだろう。だからアメリカの医師ならば患者さんのQOL(日常生活動作)
など考慮せずに切断術を選択するのかもしれない。(医療訴訟が増えると治療は患者のためよりは医師の自己保身を優先して行われるようになり、結果的に患者が損をするようになる)
しかしコトーも言っていたように、もし広子がここで下肢切断をされたら命は助かっても島では生活していけない。結局助かったとしても片足になり、島ではもう暮らせないので内地の老人ホームでさびしく不便な一生を終わる、ということになっただろう。
救命優先で肉体の一部を失うのもやむなし、とするか救命率は多少落ちてもその後のQOLを重視した治療法を選択するか、これはこのケースに限らず、さまざまな病気でも直面するむずかしい判断である。
結局医師としてはどちらの治療法を選ぶかは患者さんや家族に選択してもらうしかない。(無論そのために医師は患者さんに十分な情報提供をする必要であることはいうまでもない) 今回のケースの場合もだからコトーが広子と純一に二つの治療法があることを説明し、十分な情報提供をして広子と純一にどちらの治療法を選ぶかを決断してもらう、というのが医学的には妥当なやり方だったのではないかと思う。
ドラマだから天才外科医Dr.コトーは絶対に広子を助ける自身があったのであろうが、実際には医学に100%はない。だから患肢温存の治療法を選んだがゆえに患者さんが死亡した、
ということはあり得るのである。そのような時にトラブらないためにも家族説明で予防線を十分に張っておくことは医師の常識である。
(最近は特に医療訴訟で医師が敗訴するケースが多く、その場合、基準は医師の技量や判断よりはいかにきちんと家族説明をしたかに置かれることが多い。説明をきちんと聞いた後に受けた医療行為は患者さんの自己責任でもあるからである)
もっとも医師-患者間に家族のような完璧な信頼関係があればたとえ結果が不幸な転帰に終わったとしても家族からの不満が出ることはないであろうが。
芦田代議士が本当は尿管結石なのに娘のゆきにころっとだまされてガンと思い込み、改心する話は医学的にもなかなか面白い。尿管結石は患者さん側からすれば死にたくなるほどの痛みがあり、何かとんでもない病気ではないかと不安になるのであろうが、
医師側からすればこの病気と診断がつくと患者さんには申し訳ないけどほっとする。思わず「よかったね」と言いたくなるけど、無論言わない。
一般的には病気の重篤さと症状とは比例するものではあるが、中には反比例するようなのもある。尿管結石は病気としては大したことはないが、症状は激烈であり、また逆にガンなどは病気としては重篤であるが、ほとんど症状がでないことが多いのはよく知られた事実である。
今回の話は広子と純一、また芦田代議士と娘のゆきのそれぞれの親子の愛情が前面にでており、それに離婚して子供を元夫のもとに置いてきて苦悩している西山茉莉子の息子への思いもからんでいてドラマとしては本当にすばらしかったと思う。
ブルージャイアント、食わず嫌いしてたけど
結構いいじゃん。意外だった。 岳がNHK BS1で取り上げられます
「ぼくらはマンガで強くなった」山岳マンガ岳の誘い 作品誕生秘話
放送日11月25日(金)夜11時〜11時50分
スポーツ漫画を取り上げる番組(山岳もスポーツ扱いなんで)
月刊TVガイド(雑誌名)には放送日が11月18日になってますが
その日は休止になったようなので1週ずれてます 石塚先生の出演による創作秘話もあるそうなんで楽しみです 詳しくははしょってるんだろうが作者が漫画家になると決めてからの過程がずいぶんイージーモードだったな 録画したけどまだ見てないや
今日見る時間あるといいな 録画見たよ
まさかオチまでやるとは
コミックス売っちゃったけどまた読みたくなったなあ 北海道積丹町の積丹岳(1255メートル)で2009年、道警による救助活動中に遭難者の男性=当時(38)=が滑落し死亡した事故をめぐり、男性の両親が道に
約8600万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(大谷剛彦裁判長)は道側の上告を退ける決定をした。決定は11月29日付。計約1800万円の賠償を命じた二審判決が確定した。
警察の救助活動に過失を認め、賠償を命じた判決が確定するのは極めて異例。山岳救助の在り方にも影響を与えそうだ。
男性は09年1月、スノーボードをするため入山して遭難。道警の救助隊が発見して下山する途中、男性を乗せたストレッチャーがくくり付けた木から離れ、滑落した。男性は発見されたが、凍死が確認された。 >>591
危険性が少しでもあれば救助活動しないって選択が増えるだろうな 最終巻は三歩に感情移入しまくっているお陰で読むのがきつかったわ…
生存率は低そうだが、生きている可能性の高い描画もあるので
生きてあの笑顔をナオタにむけると信じよう。 勧められて読んだが途中で気分悪くなって読むのやめた
常に胸糞サブキャラモブキャラを出して主要人物を相対的に美化する手法は受け付けないわ
無理やり登山バカを美化してるだけのゴミ漫画 阿久津がすべきことはバッテリー点検でも金具点検でも遭難者を背負うことでも無い
必要なのは皿を洗うこと
全てが的外れのゴミ漫画。 ナオタがチンピラの服を破く回
三歩がすべきはナオタを強く叱って山の武器を取り上げること
無理やりにチンピラの暴力シーンを描いて三歩とナオタを美化するのが気持ち悪すぎる
破いたのが善良な通行人の服だったら?怪我をさせていたら?
こんな破綻したヒューマンドラマもどきを賛美する人間は全く理解できない 神々の山嶺関連から読んでみたけど、最後のエベレスト編はダメだね
最初のうちは過去に色々あったから、結構ドライな考え方をしてるヤツだったんだけど、
エベレスト編は突然少年誌の主人公みたいなキャラになっちゃった
作者が描くのに飽きたのか、打ち切りなのか あんな風に無酸素でローツェとエベレストを行ったり来たり、ほいほい登って降りてができてって、羽生や深道はなんだったのか
そもそも登山って必要最低限の装備しか持っていかないものだと思ってたけど、寄り道でエベレスト行けるぐらい簡単なんだね、登山って
なんかむかつく 結局最後は落石も雪崩も何もなかったから100%三歩の実力&自業自得。
自分の見積もりが甘くて、他人の静止も振り切って、軽装で人を助けようとしたら二重遭難したってオチだからな。
最後の最後で溺れてる人を見たら、とりあえず川に飛び込む民間人と同レベルに成り下がったとか、アホすぎる ベーシストと呼吸をぴったり合わせることができるようにするために、
二人は、青年漫画になった。 こんなゴミクズヒューマンドラマもどきを読んではいけない
このゴミ漫画の手法は、山以外の場所やモブキャラについて無理やりネガティブな描写をする→山や主要人物について無理やりポジティブな描写をする、を繰り返すだけ
登山バカを賛美するだけならいいものの、登山以外を卑下して登山バカを持ち上げるのは単なるゴミ作品 三歩ってあの時の気分でローツェからエベレストに行ったんだろ
入山時の食料の計算とか、入山の証明書とか全部ぶっ飛ばしてやってるわけだけど、山屋としてそれでいいのか
ツアーの隊長が「インドチームの入山は明日のはず」とか、すごい入山が計画建てられてる場所に乱入したわけだし こんな三歩は嫌だ
三歩「人の命より、手続きの方が大事だ!」 写真家のエピソードの手のひらと山の写真の撮影ポイントって実際にありますか? エベレスト編の三歩は、阿久津の事故のショックで
それまでの冷静な判断力を失っていたために、
無理な救助行動に走ったあげく二重遭難したということでしょう
そもそも、ローツェ単独登攀からして、それがきっかけだったわけだし >>37
ヘリで行けるのは精々5〜6000mまで
ソースは俺 最後に三歩が山頂で幻覚で見ていた景色、奥の方にあるのは、見えるはずのない穂高と槍なのかな。 どんなに頼まれたって続編は創りたくなかったんだろ
長く続いた漫画で主人公が死んで終わるのは、大概続編拒否が理由 ヒマラヤに行ったら、氷付けの三歩を見つけられるのか 小学館だし、最後の方は担当編集が考えたんじゃないの?
8000m以上のブリザードの中であんなに人が無補給、無酸素で動けるわけ無いだろ
「6時間寝たから大丈夫」とかモブキャラも言い出すし、アホかと 世の中にはメスナーとか山野井という超人も居るわけで 明日発売の近代麻雀で1話限りの復活連載しますよーw 登山家教えて
ローツェのオーバーハングをクリアしたあと、置き去りにした荷物はどうやって上に引き上げたの? エベレスト編は死亡エンドでいいわ。
あれだけ無茶やったんだから
いくら三歩でも当然死亡。
あれで生きてましたじゃあ
あまりにマンガすぎる。 余りにもなにも漫画だが、漫画であろうと死んでるだろ 実は生きてた、で終わらしたいんならやりすぎだよな
この後天候回復とか、カップが修繕されてるとか、帰るか、とかフラグらしきもの入れられても褪めるわ
インド隊がえらく立派なやつらだったり、自分の敬愛して止まないやつを助けるため、ならまだ、万歩譲ってもいいけどなあ 懐かし漫画のようにだれでもネットで稼げる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
9ZZEM ブルージャイアントのシリーズは面白い漫画のランキングには1位ではないけどランキングされてるというのに こおりついた死体が発見されて、それからが続編だろう。
志を継ぐ青年が登場して、。。。、漫画家を変えてつなぐ。。。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています