物語の問題点として島崎三歩の心理描写、行動理念、実際の行動に矛盾が見られ、フィクションの中でしか成立しない点が多い。

全体的な世界観としては無謀な登山者を過度に弁護し、救助者への過度な負担を強いる内容となっている。

また登山という行動を真剣に考えるならば当然言及されていいはずの遭難者の捜索、救助にかかる税金や
救助者の安全が軽んじて描写されている。遭難者やその家族が救助者に心ない言葉を投げかけるシーンが多数ある。
救助者はそれを黙って受けとること、謝罪すること、土下座を要求されたら従うとする姿勢が正しいと描写され、実際の
現場場で働く救助者への尊厳が考慮されていない。
実際に救助者がこのような態度を示した場合、遭難者、またはその家族(遺族)による損害賠償の訴訟を受ける恐れがある。

遭難死した夫の最後の場所を見たいという親子の望みを叶えるために、その親子を乗せて長野県警察のヘリコプターで
事故現場を見せにいくという描写もあり、公共の設備がタクシー扱いである。近年無料ということで、県警のヘリコプターを
登山者がを安易にタクシー扱いで呼ぶことが問題視されているが、前述の描写はそれを肯定する形となっている。

この作品において登山者は絶対正義として扱われており、どのような無謀な登山をしてもそれを咎められることはほとんど無い。
作品中に救助者が遭難者を咎める、厳しく叱責するなどのシーンはわずかながら存在するが、それを行った後いずれもその
救助者(同一人物)は二重遭難して重症を負う、上司に叱責を受けるなどの「懲罰的」制裁が行われることがこの物語の性格を顕著に表している。
救助者の二重遭難を引き起こす行動を賛美する描写が多く、漫画の全体的な内容としては登山者の心得として適切とは言い難い。