引き篭もり、続々と部屋の外へ。絶望の避難所共同生活 中には15年選手も 母親「不謹慎かもしれないが、正直うれしい

1 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 投稿日:2016/04/16(土) 13:05:06.98

ほんの数時間でも家族と過ごす当事者が多数。親子の中でほどけ始めた緊張感
福島県に住む30歳代の男性は、7年以上にわたって引きこもっていた。この男性も震災を機に、部屋から出てきた1人だ。

震災直後、親の急を伝える声掛けに、突然部屋のドアが開き、母親の手を取り裸足のまま外へ逃げ、
母を守るために覆いかぶさった。オロオロしている両親の前で、てきぱきと動き回り、
そして家族一緒に食事をとるという、夢のようなひと時を過ごした。しかし、その後、本人が「部屋で食べたい」と言い出した。

母親は「せっかく会えたし、寂しいから、少しだけでもいいから出てきて」とお願いする。
以来、彼は毎晩10時くらいになると、居間に出てきて、1時間くらい一緒にテレビを見るようになった。
最初は、恥ずかしくて、他人のように緊張していた。でも、そのうち「育毛剤を買って」などといった話もできるようになった。

「7年以上、食事も一緒にしていないし、気を遣い、緊張しながら食べていたんです。
突然一緒に食事もしにくいですよね。でも、毎日夜10時に会えるだけでも、本当に嬉しいんです」
そう母親は言う。
たとえ部屋に戻っても、いままでとは雰囲気が違うらしい。親も子も、緊張感がなくなったのだ。
電気がないということは1つの部屋にいなければいけないし、食べるものも物資も十分にない。そうしたなかで、
母親の作った料理を食べなかった本人が、すべて食べるようになった事例も報告されている。
20歳代の男性は、学生時代から、いつも雨戸まで閉めて、真っ暗闇の部屋の中で引きこもっていた。
しかし震災後、男性は部屋から出てきて、夜になるとロウソクの灯りの中で、やはり家族と
一緒に過ごしたというのである。
秋田さんは、大震災が起きた直後、頑張ってひきこもっている子どもたちは、きっと
「ひきこもっている場合ではない!出なければ!」と、必ず部屋から出てくるだろうと確信したと言う。
http://diamond.jp/articles/-/12514