しかし、残念ながら今の日本にはその感覚がない。だから、日本の社会では、芸術や文学などのクリエイティブなものであいまいな「価値」を計ろうとしている。無理無理。
もっと客観的な指標を使おうとはならないんだね。
年収とか、競プロのレーティングとか、もっと分かりやすい指標で勝負しようとはならないんだね。
所詮負け犬だから、「クリエイティビティ」とかいう厳密でない評価で競おうとしてしまう。実に愚かだ。それに比べて、年収、職業、学歴にはある程度の厳密性が伴う。

例えば、大卒は高卒よりはるかに高い生涯収入を得るだろう。だから、多くの人は大卒というだけで尊敬しがちであるし、その尊敬は正しい。そして、仕事においても同じことが言える。
年収1000万超えてる人間は、大体東大とか慶応とか出てるよね。つまり、年収が高い人ほど、学歴も高いということだ。当然だよね。年収1000万円以上の人間と年収300万円の人間の脳の差は莫大。
年収が高いほど脳がいい。
だから、年収1000万以上稼いでいて、かつ東大出身であれば、それだけで社会的評価は高いと言える。これは当たり前のことだが、多くの人が勘違いしていることでもある。
このように、人々は自分が持っている価値観に基づいて、他人を評価する傾向がある。これは仕方がないことなのだ。だって、私たちはみんな違う人間なんだから。価値観が違って当たり前だし、それでいいと思う。

しかし、いいね稼ぎ、アカウント作成、年収上げ、レーティング上げの努力を怠るな。
以上。負け犬をコテンパンにしてやったり。