プログラミング義務教育の全容について考えるスレ
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2020年から小学校で必修化される見切り発車感のつよいプログラミング義務教育。
そのカリキュラムやデバイス等を、底辺プログラマーたちが勝手に考えるスレだ。
いきなり、アセンブリだの機械語だの言い出すのはよしてくれよな。 ラズベリーパイにスクラッチを移植するだけでいいぞ。
初等教育からLinux触れるなんてエリートじゃないか。 と、思ったらすでにある。か。
教材としてのラズベリーパイは値段も手ごろだし、
性能低いのはPG初期ではプラスに働く。
計算量読むようになるからな。
「ラズベリーパイと小型モニタのセットとバッテリ」を教材にすることを推奨する。 小学生向けHaskell入門書書きました。
それも貧困層向け。
(もちろん、貧困層じゃなくてもおk)
「パソコンが買えなくてもプログラマーを諦めない君へ 〜小学生のHaskell入門〜 」絶賛発売中です。
ほぼ数学なHaskellなら、紙と鉛筆があればプログラミング出来る。
6/1からAmazonで買えます。
一応、普通の本屋でも注文出来ます。
取次を通さないので、本屋の手間暇が半端ないですが…。
(事実上はAmazon専用?)
いあまあ、本当に子供全員に恒久的に自分用PCを持たせられるなら、要らないんだけど。
今年度だけで終わりそうな予感しか無い。 埼玉県の越谷あたりに子供向けのプログラミングスクールあったんだけど、洋式トイレに不審な穴がたくさんあったのでSNSで話題になったぞ
盗撮カメラとかで女子生徒の動画を売って稼いでいるITスクールが多そうな気がする
スクール講師や官公庁職員あたりをターゲットにすれば音を消すアプリの需要はありそう 塾とか作って金儲けするようなところが多いから嫌だわ〜
プログラミングって誰でも自由にやれることなのに 底辺プログラマー量産する計画なんだったらやらんほうがマシ。
数学の証明問題を分かりやすくしたものと、証明問題では出てこないようなコンピュータ使った少し力ずくで解くような問題を合わせて教えるようにしたほうがいい。
「プログラミング言語」を覚えさせるようなことは絶対やめた方がいい。
プログラマーなんてそれしか出来ない社会不適合者が仕方なしにやるようなものでいい。 さもありなん。
>>180に紹介した本の前書きにも書いたが、そもそも算数がプログラミングで教えようとしてる論理的思考を教える為の教科だ。
学校がしっかり算数教えてればプログラミングなんぞ教える必要は無い。
そういう意味ではプログラミングの授業も算数と同じ運命辿りそう。 「論理的思考」という言葉が出たら教育詐欺だと思え
指導する側の心理状態が良くないときに出てくるワードだから 指導する側と言うか、メーカーや業者やね。
一発で分かられても儲からないから、分かった気にさせるだけってのが多い気がする。
◯◯を作ってみましょう。
本の通りに作らせるだけで、どうしてそう書くのか説明してないとかね。 プログラム書ける必要は無いから、最低限のセキュリティについて学ばせろ
リスクも解らず、スマホを脱獄してる中高生多い さっそく、プログラミング教育で不正発覚したからマジで詰んでいるよ スクラッチとかで分岐と繰り返しを楽しく理解出来たら目的達成だろ
それすらもΣとかプログラム以外で学ぶ考えだから要らん気がするけど 高校数学まで真面目にやってればプログラムの勉強なんてせずとも普通にプログラム作れる
機械学習エンジン作るなら大学で幾何学統計学を学んでおく必要あるけど、別にプログラム学ぶ必要は無いしな これだと数学(統計学)が苦手な人は排除
プログラマは数学が必須と勘違いしそう 学校教師なら女子トイレ盗撮用のアプリ作ることが最終目標だろ 日本のスクールは女子トイレのどこかしらに小型のカメラが置いてあるイメージが強い
某プログラミングスクールでは無駄に置物があってその中に小型カメラのレンズらしきものもあった
日本の教育らしい光景だ うちの学校じゃ生徒が女子更衣室に隠しカメラ仕掛た自慢をしてた
私学のくせにつくづくひどい学校だったよ 昔は中学校で女子生徒のオナラの音を聴きたくて給食の牛乳を与えているクラス担当教員が普通にいた
体育の組体操でもわざと女子生徒のパンツが見えるような格好させる教員もいた
こんな国でプログラミング教えてもどうせ音無しアプリとか作って女子生徒のトイレを盗撮するなど考える教員ばかり量産する印象しかない バカ自慢の201連発か。
そろそろ義務教育を受けた当事者が書き込みするのかな?
呆れているかも知れないけど。 ビジネスが破綻する大半の原因は、 ”ビジネスを始める人の大半が、真の意味での
「起業家」ではなく、 起業したい、という熱に浮かれた「職人」として働いているに過ぎない。”
という事実にあります。
「職人」によって運営されているビジネスは、ビジネスが働くのではなく、彼ら自身が毎日働くこと
によって、成り立っています。
彼らは毎日、自分がやり方を知っている仕事を一生懸命にこなしていますが、「起業家」としての
視点が無いために、成長に限界が生まれます。
そして、生計を立てるために、彼ら自身がずっと働き続けないとならないのです。
誰もが必ず陥る罠
私が見ている限り、起業熱にうなされる人たちは、必ずと言ってもよいほど誤った
「仮定」を置いてしまうようだ。実は、のちに彼らが苦難の道を歩むことになるのは、
この、「仮定」が致命的に間違っているからなのである
致命的な仮定とは・・・「事業の中心となる専門的な能力があれば、事業を経営する能力は
十分に備わっている」ということである
私がこの仮定を致命的だと書いたのは、この仮定が間違っているからにほかならない
事業の中で専門的な仕事をこなすことと、その能力を生かして事業を経営することは
全く別の問題である。高い専門能力を持つ人にとって、独立は他人の為に働くという苦痛から
解放されるということを意味していた。それにもかかわらず、前提となる「仮定」が致命的とも
いえるほど間違えているために、彼らは自由になるどころか、自分が始めた事業に苦しめ
られるようになってしまうのである
マイケルEガーバー「はじめの一歩を踏み出そう」P28~29 にふむよりへふふつらたおりまにえつわのろるえすさてたへか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています