>>208

同じことは頻度の差こそあれ、親指シフトでも十分に起こりうると思う。
チャンク化というのであれば、親指シフトでも単語自体が一つのまとまりとなって打てる場合が多い。
「ひとつひとつ」「という」「してから」「たいして」「そうしたことは」なんていうのは、
シフトも絡まない最たる例だし、こうした表現は日本語では頻出する。
「まだまだ」の例でも、ローマ字入力では同時打ちしてようやく四動作で、通常の親指シフトと同数。
しかし連続シフトを使えば、親指シフトでは二動作で打てる。
「でした」「ました」「でしょう」なども、シフトが絡み厳密な意味でのロールオーバーとは言えないかもしれないが、
慣れてくればほぼ一まとまりで打ててしまう

そして、ローマ字入力の同時押しは万全ではなく、同じ単語内で同じ母音・子音が連続する場合には、
単語そのものを一動作で打つことはできない。音素の少ない日本語の特性上、こうした単語は非常に数が多い。
さらに、「です」「ます」の例では、規定の指使いから行くと同じ指を使うはずの「DE」「MU」に別の指を使ってしまっているので、
非常に不自然。これを一動作として扱うには、高速打鍵用の別の技術を更に身に着けなければいけないことになる。
逆に言えばこのような特殊な打鍵法を身に着けない限りは、親指シフトのほうに分があると言える。

また、いくら同時押しと言っても、書かれている通り、完全な同時では正確に認識されないので、
打鍵の間にはわずかながらの時間の開きがある。
これを一動作と言うには無理がある。
打鍵数が少ないほうが、この打鍵間の時間の開きがより小さいのは明白なのだから、
ここでも、一方的に親指シフトの不利を強調するのは早計だと思う。