>>655
地名の由来としては、
愛知郡片端の里なる場所を治めていた領主に7人の娘がおり、
その娘をそれぞれ嫁がせた場所に「一女子村」から
「七女子村」の村名が生じたという伝説が残されている[2]。
ただし、一女子・三女子・六女子なる地名について、
『尾張国地名考』の時代にはすでに存在しておらず、
それぞれ五女子村付近に所在したと推測している