昔のパチンコ屋はこうだった!61 [無断転載禁止]©2ch.net
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今・台パン→周囲の冷ややかな目→諭すような店員のささやきと優しさのお願い
昔・台パン→スイッチ入った顔の店員がすっ飛んでくる→おばちゃん店員が羽交い締めで止める→店員とにらみ合いながら膝ぷるぷるで退店する俺 まあアレなんじゃないか。当たりがないとはいえ、
チューリップに入らない状態はハマってるとも言えないかな。
あと5000%は、ただ大袈裟に数字出しただけだろう。
庇うつもりも多少あるが、そこまでツッコむ程のもんでもないよ 朝一ダービー物語200円でモーニングかける→保留7連荘→11時まで休憩→約5万換金して帰宅
低リスク高リターンの時代。大学時代バイトなんてした事なかった。 >>64
基本二台に1つしかなくてな
隣人と金入れるタイミングを牽制し合うんだよな >>66
なつかしい。
そんなの記憶の彼方に飛んでたけど確かに気を使ってた。
ビックシューターの大当たり中に玉がなくなったときとか、
隣のやつが玉出してたら死活問題。 >>67
これが原因で羽根にセンサー付けて即座に払い出す様になったんだよな
ただ多数保留して一気に出てくる感じが無くなったのは少し寂しい 百円硬貨しか使えなかったからよく両替のため席をはずしたがその間に当たったりする、レーザースペーシーはとくに多い、攻略法になるんじゃないかと思ったが 一発台とかおまけチャッカー機で当たりが終わっても
ジャラララ…ジャラララ…ってしばらく払い出しが続くのがじれったいけど好きだった 玉貸し機にノズルが付いた時は革命的だった。
サンドに紙幣が使えるのも革命的だった。
データランプも昔は無かった。地域差あるだろうが店員が当たり事に旗やリボンなどを台の上に付けていた。
回転数の概念無かったよな。
あと、店員がパンチパーマ。マイクで呼び込み。タバコ吸うのも当たり前だった。
ひぃぃ >>71その頃の方が大雑把だけど味わいあったよね
今なんかデータカウンターのおかげでオカルトが増える増える 終了台と書かれた小さな札をかかるたびに掛けていく
スロットだったらスコアボードみたいに数字の書かれた札をペロンとめくっていくとかね
そういえば3号機まで店員呼んでリセットしてたな
ボーナス後のリセットだけできるキーが台の上からぶら下がってる店もあった スロをやり始めた頃はスープラがまだあって確かにビッグ終了後に店員をいちいち呼んでたな。それが当たり前だから面倒とか思わなかったな。
あとローラー(コマ)が付いた動くイスとか小さいドル箱とかあったよな。
オリエンタルのボーナス確定のフラッシュ演出は当時、衝撃だったな。 >>71
ジグマか常連のおばちゃんが あの台2万は入ってるわよ&てるぞ だったな
吸い殻判別で粘った台なのかとか >>57 還元率1500%の意味が分からんのだけど〜
割り数ならわかるけど 出玉が過激化していた時代はキャスター付きの衣装ケースみたいなのに玉を移し替えたりスロットのメダルをバケツに移す店もあった
地元にはそういうのなかったけど
4000発の箱を何段も積んでそれを自分で台車に乗せてカウンターまで押して行ったもんさ
スロットもそのパチンコ用の万箱に移すのがステイタスだった
それがなくなって久しい頃、ストックやATの爆裂機時代に千両箱やら樽が登場したが、あれは大仰な割に興奮しなかった 浪人中、朝から軍艦マーチと共にパチ屋に入り浸り。当時はチューリップ台から役物への移行が始まった頃だった。純粋に玉の動きに一喜一憂していた。館内に流れる演歌や歌謡曲。まだゆったりとした時間が流れていた。釘が良ければ集中有るのみ。懐かしい。 昔、パチンコ店の店長が暇な時に駐車場で洗車をしていた。その時にマフラーにホースを突っ込んでマフラー内を洗っていたけど今はそんな事をする人はいなくなりました。 店員が中年夫婦
マイクで掛け合ったりしてた
例
男店員(ホール)
「○○番台、△△番台、□□番台、3台揃いましてのラッキー、ラッキー、ラッキーフィーバースタート」
嫁店員(カウンター)
「おめでとうございます」
男店員「いらしゃいませ、いらしゃいませ」と続く
場合によってヒゲもたくわえてパンチパーマでタバコを吸いながら(笑) 朝一スロのモーニング狙い
↓
スカったら連チャンデジパチへ
↓
負けたら連チャン権利物やアレパチで逆転狙い
↓
最後は羽根物で少しでも負けを取り戻す
学生時代、こんなことばっかやってたな 他の地域はどうかわからないけど、茨城県の大体のホールは2002年くらいまで、硬貨でハンドル固定して手放し遊技が黙認されていた。
外部業者が売りにきた弁当を食いながら打ってたりしたなww オマケチャッカーを考えた人は天才だ。あれで出玉が大幅アップしたがホールの釘調整で同じ台でもかなり差があった、二千個から四千個まで。ただ多いとパンクのリスクも大きくなる 釘の上手下手はビッグポーターが思い出に残ってる
9個開きのチューリップが行きつけの店では終了までにせいぜい1個入るかどうかなのにたまに行った別の店はパンクしまくりだった
まぁパンクしても店員呼べばいいだけなんだけど、この店はもうやめとこうと思った 県内でも組合の縄張りとかあるのか開店時間が違ってた(今はどうか知らん)
うちの界隈は9時開店だが県中部は10時だったりした
その境目近辺の奴らは9時と10時に別の店にモーニング狙いに行ってた
昔は9時開店22時閉店、日曜祝日は21時半閉店だった
今は年末年始以外常時9時〜23時 >>83
10カウント10ラウンドという規制の中で出玉を増やす為の策だったんだけど、「役物作動によって道が出来る」というのは一発台でもあったわけだ。
一発台やオマケチャッカー機の、元ゲージからは想像出来ない釘曲げは芸術の域だったと思う。 一発台なんてのはそもそも無かったのを無理な釘調整で作ってしまった。ウチの地域では一発台がダメになって平台に直したのを知らずに当たった〜と言うのがいた。店員に抗議してたがどうしようもない 商店街にあるパチンコ屋は
路地裏の歩道が自転車の縦列駐車で
カオスになってた >81
そう、昔のパチンコには勝ちパターンがあったね
行動パターンというか
今はもう台の管理の行き届いたパチ屋ばっかだからね
スキがないというか たまに機会があって県外の店に行くと独自ルールに戸惑ったもんだ
大分に行った時は「千円開放システム」に理不尽さを覚えたな
コンチでビッグかかってリセット待ってると千円ぶんコイン追加しないと連続遊戯出来ないという…7枚交換で
別の店で招き猫が打ち止めになったのだが千円ぶん玉追加したら続けて打てるという
カルチャーショックだったね あと松江の県庁近くで入った店でキューティーフルーツあったから喜んで座ったらなぜかリールにトレードマークの桃図柄がなくあれっ?と思ったら1台ずつ交互にキューティーフルーツとアペックス301だった
無事キューティーフルーツでビッグ引いたら7枚1回交換
店員が表回り兼店長兼カウンター係の爺さん1人で客もわし1人だった >>91
お前鬼かよ
その爺さんがオーナーだ!!
年寄りから金取ってんじゃねーよ
なんでぬいぐるみとかしょうもない景品取らなかったんだカスゴミ 遠隔なんてない時代には裏基盤が横行してた。ジェットカウンターのセンサーの一部を塞いで玉数をごまかすなど某週刊誌で暴露してた。明らかに挙動のおかしい台もあった。 パチンコは知らんがスロットは裏モノ天国または地獄だった
近場に無かったから一度も触ってないがデートライン銀河が100連チャンしたとかいう噂が耳に入ったものさ
わしはリスキーダックにハマってた
ワイルドキャッツやセブンボンバーはすぐ検定取消になったから設置はごく一部
程なくコンチも外されて時代はスーパープラネットへ >>96
現行機種の例えばパチンコのSTとかスロットのモード移行とかかつての裏モノ仕様だぞ、
半分くらいはメーカーが仕込んだものだ、偶発的或いは意図的に連荘やハマりを演出していた、
有名なのは4号機のストックとARTサブ基盤制御だろうな、あれ思いっきりカバン屋の裏モノ仕様だから、沖スロと呼ばれる30φ機種によく仕込まれてた。 そもそもリスキーダックってビッグ中にビッグ揃ってたから1G連じゃなく0Gだよなw
あとゲーム性とかじゃなくて筐体が激アツ ビッグ中に揃えたら損
基本的にビッグ2G目で小役外れたら1枚掛け適当打ちで消化、終了後1Gビッグの流れだったが一回だけ7が揃ってしまって仕組みを理解した思い出
右レバーなにげに好きだったな
左手がフリーになるから煙草やコーヒーが捗った
モーニングあったんだが500円専用のメダル貸機があったから500円でモーニングゲット出来た そしてリスキーダックで連戦連勝だったある日25歳未満スロット禁止という独自ルールを設定されて事実上の出禁にされてしまった
わしと連れの2人があまりにも負けないのが気に入らなかったらしい
当時はある程度勝ってキリがよかったら時間あっても帰ってたなぁ
一度にデカく勝つより勝ち続ける事が大事だった
もちろん負ける事もあったんだがせいぜい2、3万だったしバカみたいに追わなかった、明日取り返せばいいと
初めて日に10万負けた時は別の店でノーマルデジパチのサファリとかを2万当たらず移動の繰り返しでさすがに10万も負けると茫然自失だったっけ
この負け記録は初代北斗の11万で更新されそれが過去最高負け 最高負けは17万だわ
確か2001年頃だと思う
朝イチはストック機やAT機のリセット狙い、そのあとはストック機を中途半端に追いかけたりして夕方まで1回もなーんも当たらなかった
打った台数は40台ぐらいだった
17万円目を両替に立ったときでも「1発デカいのがくれば捲れる!」と思ってやる気満々だったのを思い出した 10万負けもないな。
初代北斗の設定5で7万負けくらいが最高。 二号機の一部と三号機のほとんどは裏モノだった。穏やかなはずの台が爆連したりでスーパープラネットだけがまともな台と言われてた。 新台入れ替えで短い時間しか打てないし
設定いれてくれるだろうかとピカ五郎を選んで着席
裏でした・・・
って事がよくあったものさ >>82
おっ!?同郷発見w
ホールによっては、カウンターか両替機に銀紙アースを用意してあったんだよな。
もっと親切?なとこだと、既にハンドルにアースをセロテープでくっ付けてあってなw スロットのメダルの計量がメダルカウンターではなく
なんと秤 表物のワイルドキャッツがマイルドキャッツとか言われてた思い出 新規オープンが近づくとなぜか店舗にトラックが突っ込む 新規オープンの店に赤ペンキがかけられていた。客がやったのか同業者の嫌がらせかは知らないが、その後他の店でボヤ騒ぎ 昔のユニバーサル系スロットの設定は、0〜5の6段階設定でした ビニールで50枚ずつ束に包装されたメダルをカウンターで買う(借りる)
千円を一本と言うのはここからきてるらしいか真偽は知らん ビニールじゃなくて紙だった
今はサンドに万札入るから楽だけど冷静になる時間が無い
4号機時代もまとめて両替してたからあんま変わらないか 昔はパチンコ玉もスロットのコインもシマの端にある自販機で買う(借りる)為にパチンコをやりたいのに間違えてコインを買ってしまう→そのコインで大当り→スロットにハマってしまう人が多かったです (つづき)
両替だけでパチ屋に行き間違えてコインを買ってしまって…(以下略 必勝ガイドのアニかつ兄さんも両替機と間違えてってきっかけでスロを打つようになったらしいね 昔の喫茶店には必ず星占いの変な奴が置いてありました 500円硬貨が出たのが82年だが10年かそれ以上500円玉使えなかった
2000円ずつ崩して脇に積んで200円ずつ投入した
負けが込んでくると怒りの5000円崩し10000円崩しが炸裂した
いつからか100円玉に両替出来なくなり5000円崩しが当たり前に
万札を躊躇なくサンドに突っ込む現在はやっぱどこかイかれてるよね どこの田舎だよ
90年代入る頃には使えた店あったわ
逆両替付きはまだだったが 一言で言えば
昔のパチンコはガチ勝負だし店の雰囲気も良くて楽しかった
今のパチンコはできレースで店は音楽うるさいだけでつまらない 開店するや否や客がダッシュで台取り合戦
整理券なんてものは無かった
開店きっかりに客入れるとこもあったが30分前に入れるとこが多かった
30分手持ち無沙汰で仕方なかった
フライングで玉打っちゃったりスロット回しちゃう奴が注意されるのは日常茶飯事
開店BGMは軍艦マーチかスクエアが多かった 以前は外のイルミネーションが派手で省エネが取り沙汰されるといつも槍玉に挙げられていた。だが当時使われていたネオンサインは派手な割には電気はあまり喰わないんだな デジパチの大当たりが概ね2000〜2400個、2.5円ラッキーナンバー制の時代が一番楽しくて夢もあった
持ち玉遊戯の優位性が高かった 昔は一日中居ると
ポケットの中が「大当たりレシート」でいっぱいになり
夜に帰るまで「勝ってるのか、負けてるのか」
わからない事があったね、一回交換が主流だったからね
今みたいに「当たらないで十万負け」とか
本当に有り得ない事でした
財布から十万が消えてたら
大当たりレシート5000円分くらいのが
ポケットに11枚から15枚くらいは入ってた 自分たちで出玉をジェットカウンターに流していた頃は、レシートの取り忘れがよくあった。
防犯カメラもたいして無かったからパクってもバレなかった。
しかし「あっ!!」取り忘れた。って戻ってもレシートが無くなっていたからお互い様でした。 ラッキーナンバーが出たと思ったら保留で交換ナンバーが出た。保留連の台は多かったが逆に保留でラッキーナンバーも出た。ラッキーと認めるか認めないかは店で違う >>131
これどのパターンが主流だった?
こっちは初当たり偶数は保留連でも即流し
初当たり奇数で次回偶数までで保留連で偶数なら即流し
7なら以降無制限(人が変わるまで) 時代が変わればよくなるものばかりではないと思い知らされます 玉を流したいと思い店員を呼ぶと無言で台車を渡された→お前が流せよって事ね >>133
パチンコ業界は衰退どころか消滅にリーチかかってる時代だしな ジェットカウンターは自分で流してたね。
一度、他人と被って流した玉を折半したことがあったわ。 ガラスを割ったのがいた。フィーバーアバンテでドラムが揃って上のデジタルでハズレ・・店員がガラス替えるのを隣の席で待ってその後何事も無かった様に遊戯再開 普通に子連れがたくさんいて、ガキが母ちゃんの代打ちしてたわな 換金所付近に推定30半ばぐらいのパンスケがうろちょろしてて換金がすんだら声かけらた。。
90年代の船橋にて。 >>122 おみくじ機っていうんだぜ。
持ってるw インベーダーゲームやりたさに喫茶店に行ってました
この店のインベーダーはカラーじゃん!
よくよく見たらカラーフィルムを貼ってあるだけでした ゲーセンで2回ほどカツアゲされかけましたが最後まで抵抗して結局お金を渡しませんでした
あの時の俺よく頑張ったな! カツアゲは人生で一度もされたことない
気が弱いからされたら直ぐに金渡しそうだわ 景品買い取ってくれるとこの休憩明け直後に行くと何かしら中で食ってたな
遅めに行くと出前?の容器外に置いてあったり
休憩時間に食えよと
ついでにネコさんがおやつ目当てでゴロゴロしてる 高校の時にパチで負けた後、イライラしながらゲーセンでストUしてたらカツアゲされそうな感じでチンピラ2人が絡んできたからボッコボッコにシバき倒して前歯折ってやった。馬乗りになって無我夢中でタコ殴りしてやったわ。
あやうく殺しかけた 昔の犬猫はチョコレートや玉ねぎ等も平気で食べさせていました。 小学校の時、不良がたむろするようなゲーセン入って
20円でプレイできるラリーXを延々やっていたら、
回りに高校生がたむろしてきて「坊主、うまいやんけ」って
褒められて怖かった思い出。 俺は小学生にしてパックマンでフルーツターゲット13面以降の「鍵」までクリア出来ていたのでヤンキー高校生から「あらし」って呼ばれていました。 他人が遊んでるパックマンを盗み見ながらルートを覚えました >>152
なんて素敵!当時の怖いお兄さん達は、年下にはやたら面倒見良かった。 >>154 パックマンがモンスターをすり抜けるワザもあったよなw パチンコはいつまでたっても
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