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TRONに関する証言を淡々と集めるスレ2
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0001Be名無しさん
垢版 |
2006/03/30(木) 04:22:21
TRONプロジェクトに関する、政治的偏向のない証言を淡々と収集したいと思います。
当時の状況を政治的偏向なく語る一般人の証言を。
0407Be名無しさん
垢版 |
2007/09/26(水) 16:32:33
温故知新コラム:激化する覇権争い――「夢のパソコン」の行方は (1/2) - ITmedia エンタープライズ
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0709/26/news010.html

世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、
歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。
ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。

2007年09月26日 07時00分 更新

□マルチプラットフォームを1つのパソコンで

 1988年2月、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)が
「ソフト・チャンネル・マシン構想」と呼ばれるコンセプトを発表した。
そしてハードメーカー各社も、この構想に準拠したパソコンの発売を表明した。

 当時の国内パソコン市場においては、NECのPC-98シリーズが独占的状態とも言えるシェアを獲得する一方で、
PC-98シリーズのアーキテクチャを生かしながら、すでに国際標準となっていた
IBM・PC/ATアーキテクチャを、いかに国内市場に持ち込むかが業界関係者の関心の的となっていた。

0408Be名無しさん
垢版 |
2007/09/26(水) 16:33:04
ソフト・チャンネル・マシンの記者会見の様子。左から3番目がパソ協の清水洋三専務理事、
その右隣がJPLの池田毅社長。立っているのが推進役だったパソ協の鹿野谷武文氏(すべて当時)。
左端がヨドバシカメラの藤沢昭和社長。藤沢氏がIT 関連の記者会見に姿を見せたのはこれが最初のことだろう
 98互換機事業を成功させ、その後、AT互換路線も打ち出す「セイコーエプソン」。
98互換とAT互換をエミュレータ方式で実現した「シャープ」。
試作品まで作りながら98互換への参入を断念し、日本独自のAT 互換となるAX陣営に参画した「三洋電機」。
海外での実績を背景に独自に日本語AT 互換を追求した「東芝」。
そして、現在の主流となるDOS/Vの流れを作った「日本IBM」。
まさにパソコンメーカー各社が、次代のパソコン市場の主導権を巡って、さまざまな手を繰り出していた時期だった。


セイコーエプソンは“98互換機”で国産標準機の互換機路線を歩んだものの、
その後、PC-98とPC/AT(DOS/V)のデュアル互換機を投入した
 そこに突如として出現したソフト・チャンネル・マシン。ソ
フトメーカーが中心となっての提唱という点で、ハードメーカーが取り組む互換機戦略とは一線を画す、
ユニークなものだった。しかも、ソフトメーカーの業界団体である
パソ協みずからが音頭取りをするという点でも興味深かった。

 ソフト・チャンネル・マシンとは、PC-98シリーズのプラットフォーム、IBM・PC/ATのプラットフォームだけでなく、
東芝のJ-3100によって実現された日本語IBM互換プラットフォーム、
そして富士通のFMR、日立のB16、シャープのMZという各社の独自プラットフォームに加え、
企業需要を中心に立ち上がりつつあったAX陣営のプラットフォームや
教育向けパソコンとして注目を集めていたTRONパソコンなど、
これらすべてを1つのパソコン上で動作させてしまおうというものである。

夢のマシンは諸刃の剣

0409Be名無しさん
垢版 |
2007/09/26(水) 16:33:34
□夢のパソコン、しかし・・・

 具体的には、パソ協の技術検討委員会と同協会の会員会社およびパソコンメーカーなどが出資して設立した
日本パーソナルコンピュータソフトウェア技術研究所(JPL)がこの推進母体となり、
ベンチャー企業のトムキャットコンピュータとJPLが開発したBIOSを、
ユーザーがフロッピーディスクなどを介して購入できるという仕組みが作られた。
動作するパソコンはヴァーチャル・システム・ロジック(VSL)と呼ばれる回路を搭載し、
これにBIOSを入れ替えれば、1台のパソコンで複数のプラットフォームを仮想的に動作できるとされた。

NECも、PC-98シリーズ用に「OS/2 WARP」を投入しWindows以外のOSも使えるようにした

 まさに、ソフトメーカー各社にとって「夢」のパソコンだった。
どのプラットフォームで開発したソフトでも、1台のパソコンで動作できるということは、
擬似的にプラットフォームが標準化されるのと同じことを意味する。
ひいては、国際標準のIBM・PC/AT用のソフトを開発すれば、
国内市場のみならず、海外市場にも打って出られるという判断もできる。
家庭用ゲーム機向けソフトメーカーの成功を横目で見て、
そろそろ海外も視野に入れたいと考えていたパソコン系ソフトメーカーにとっては、
大きなチャンスが訪れたと判断するのも当然であろう。
0410Be名無しさん
垢版 |
2007/09/26(水) 16:38:36
 その一方で、ソフト・チャンネル・マシンの普及は、海外ソフトメーカーの参入もたやすくするという両刃の剣でもあった。
とくにマイクロソフトやロータスなどは、すでに国内に拠点をおき、
国内市場での事業拡大の準備が万全に整っていた段階だけに、
国産ソフトメーカーはこのソフト・チャンネル・マシンを推進すべきかどうか、
それによって自らの立ち位置を変えるべきかどうかの決断を迫られていたとも言える。
ソフト・チャンネル・マシンの導入は、ソフトメーカーにとって夢であるとともに、大きな賭けでもあったのだ。

 実際、この夢のパソコンは製品化された。
トムキャットコンピュータが第1号製品として「PC/3」の商品名で製品化。
ヨドバシカメラの店頭で独占的に先行販売したのだ。
当時の価格は最下位モデルで49万8000円、最上位の40MBハードディスクを搭載したモデルは70万7000円。
しかも、発売と同時にヨドバシカメラ特価として最下位モデルが39万8000円、最上位モデルが56万5000円という、
2割引きの特価がいきなり発表されたのも異例だった。

 しかし、ソフト・チャンネル・マシンは、この仕様を採用するメーカーが少なかったことなどが影響して、
いつの間にか世の中から消えていった。
周知のように、その後に登場したDOS/Vが国内パソコン市場の主導権を握り、
日本のソフトメーカーでも国際標準をベースに事業を推進できる環境を提供した。

 複数のプラットフォームを動かしたソフト・チャンネル・マシンだが、
世の中そのものを動かしたのは、皮肉にも後発のDOS/Vパソコンという結果となった。
(肩書きはすべて当時のもの)


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