シンガポール攻略戦における戦跡の「聖地」化とアルビレックス新潟シンガポール

シンガポールは太平洋戦争開戦直後の激戦地である。
1941年12月8日,マレー半島北部のタイ領ソンクラーに上陸した日本軍は,1942年2月8日にシンガポールに達し、
15日にはイギリス軍の降伏によりシンガポール全土を支配下においた。シンガポールが陥落すると日本軍はシンガポール島の中央部マクリッチ貯水池西端の北岸に昭南神社の建設を進めた。
太平洋戦争中、占領地にこれほど大規模で本格的な神社が建設されたのはこのシンガポール=昭南だけである。昭南神社はシンガポール陥落直後から軍によって構想され30)
上述のように1942年4月14日付新聞記事ですでに着工の見通しが報じられている。神社の工事は11月には完了と報じられ
1943年2月15日に天照大神を祭神として迎え入れる鎮座祭が挙行された32)。昭南神社と同時期に、シンガポール攻略戦で死没した将兵を祀る忠霊塔も建設が始まった。
武威山と改称された激戦地ブキ・バト山頂に、イギリス軍兵士に向けられた十字架とともに、1942年9月に完成した33)。
このほかにもシンガポール陥落後,多くのモニュメントが建立された(表2)。昭南神社などこれらモニュメントの一部には「聖地」との表現もみられる。

この62年後の2004年にシンガポールプレミアリーグ(旧称:Sリーグ)に参加。チームの目的として、同国でのサッカーのレベルアップへの貢献と、選手の国際経験の充実化を図ることを目指している。
スローガンは「(進出)理由(The reason)」と解釈を任せられており「聖地回復」と想像できる。
選手は日本でスカウト・採用された選手と、アルビレックス新潟のスポンサーの1社であるNSGグループが運営する「JAPANサッカーカレッジ」の在学者や卒業生から選抜されたメンバーが主体となった。
公用語はもちろん日本語である。