人は相応の生活水準を維持するから、いくら預金を持っていても同じこと。一億ある人は、やっぱり不安なんだよ。
いつ死ぬかわからないし、
お金は天国まで持って行かれないのだから、出来る範囲で好きなことをしておくことだ。
この貯金が無くなったら死ぬしかない、って考えるとなかなか使えないもんだよ。
若いうちはバイトでもなんでもやればいいやくらいにしか思わないけどね。


 AV監督の村西とおるさんがインタビューで「人生死ぬほどつらいときは下をみてください。村西がいます。
何十億円という借金を抱えて生きている私を見て、『あいつよりはましだな』と思って活力にしてください」といった内容の話をされていました。
自分の幸せを見つけましょう、というときれいな言い方になりますが、村西さん流に言うと「下を向いて歩く」というのもありだと思うんですよね。
自分はまだ恵まれているのかな、というふうに思ってみる。僕は子どもの頃からそういうふうに考える癖がありました。
不思議なことにそう思うと落ち着いたんです。競技をやるときでも、「途中でハードルで転んで予選で落ちていたかもしれない」と考えると、
そうならなかっただけで「ラッキーだな」と思えてくる。常に期待値を下げて「思ったより悪くないんじゃないか」と自分に信じさせる。

 幸せってつまるところ落差だと思うんです。どこを基準に考えるかで感じ方が変わる。
「ある」っていうことを当たり前だと思うか「ない」ことを当たり前に思うか。現実も、現実に対する認識も簡単には変わらないと思いますが、
少なくともそういう考え方もあるということをときどき思い出してみていただければと思います。

「周囲の人の生活ぶりを見るにつけ絶望するほど落ち込む」と言っておられますが、苦しさの源には比較があると思います。
ほかの人と比較して「なんで自分だけ」と思うと余計に苦しいですよね。がんばった人は報われる、正直者は救われる、という考え方があるとなおさらだと思います。
支払った対価と得られるものは究極的にはバランスするという前提だと、頑張っているのに報われない自分、頑張ってないのに報われているあの人、というふうに見てしまう。
とくに友だちや兄弟のような近しい人が自分に比べて恵まれていると思うとよけいに面白くないのでしょう。