0032無礼なことを言うな。たかが名無しが
2018/04/05(木) 22:34:48.55ID:wwcrzDl6プロ野球チームと高校野球チームと直接対決してはイカン!!という決まりですが
誰の、何の利益・不利益に関係するのでしょうか? なぜ、こういう規定ができたんですか??
A:学生側に指導規制があるのは、1932年に文部省(現在の文部科学省)が発令した
「野球ノ統制並施行ニ関スル件(野球統制令)」の内容の多くが見直されずに、現在まで継承されてる為です。
日本の野球は、第一次世界大戦後に出現した大衆消費社会を背景に、1915年に中等学校野球の全国大会が始まり、
1925年には東京六大学野球リーグがスタート、観戦スポーツとしての野球がブームとなった。
この時代は、もちろんプロ野球がなかったため、これら学生野球の人気は過熱を帯び、
また、全国的な統制組織もなかったため、選手の引き抜き、斡旋それに伴う金品供与も頻繁した。
その一方で、主催者である新聞社や大学野球連盟が入場料収入を得て、選手が映画スターや歌手にタレント並みに
世間をにぎわす存在になって学生選手が事実上学校の宣伝道具と化す弊害として学業を怠る学生が急増。
さらには野球の試合をネタに賭博をしたり、応援のあまり学業を怠る学生が急増した。
その状況に痺れを切らした当時の文部省の幹部が野球有識者を集め、「野球統制令」が施行されたのです。
その中で大会開催の制限、そして学生チームは『クラブチームとの対戦(指導も含む)を禁ずる』法令が組込まれました。
プロがないのに、このような発令が出されたのは、1934年にベーブ・ルースらがいたメジャーリーグ選抜チームが来日して
全日本チームと対戦することになっていたからだ。全日本としては勝てないまでも善戦はしたい。
そこで超高校級の投手だった沢村栄治ら高校生選手を駆り出そうとした。
だがしかし当時の文部省は、「学校は青少年の健全育成の場であり学生の本分は勉強である。
野球に熱を入れることでそれがおろそかになってはいけない」という趣旨で、統制令を出したのだ。
それにより、当時読売新聞社が密かに動いてた六大学選抜−メジャーリーグ選抜チームとの試合が
(野球統制令によって)組めなくなったため誕生したのが今日の読売巨人軍、ならびにNPBなのです。
これらの経緯があったせいか、発足当初のプロ野球は多くの野球ファンから”邪魔者扱い”され、細々と活動を行っていたのです。
「野球統制令」は様々な弊害があったため第二次世界大戦後に全廃され、日本学生野球協会が「学生野球憲章」を制定したのですが、
野球統制令の内容の多くをそのまま引継ぎ、改訂される事なく現在に至っています。
ちなみに、米・レンジャーズのダルビッシュ有投手は、2012年7月14日の自身のツイッターで
「これには色々問題があり簡単ではないだろうけど、プロアマ双方が本当に日本の野球を考えるなら撤廃すべきでしょう。
プロが中高生にどこでも教える事ができたらアマの技術が凄く伸びる」とコメントしています