NMB48卒業迫る山本彩が担当記者泣かせだったワケ|AERA dot. (アエラドット)
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 2010年の同グループ立ち上げ時から、当時はデイリースポーツの「NMB48」担当記者として毎週連載も書いてきたが、山本がいつ卒業するのか。
これはグループ発足時からの大きなテーマだった。それだけ山本の存在はグループ内でずば抜けて大きく、それは誰もが認めていることだった。

 プレイヤーとしては圧倒的な歌唱力とダンスパフォーマンスを誇る。
さらに、チーム全体の方向性を見定めてメンバーを導く“監督”でもあり、時には後輩を厳しく叱る“若手育成コーチ”でもあり、
グループを世間にアピールする“広報担当”でもあった。

 山本の言葉で忘れられないのは、キャプテンとしてグループを引っ張る自覚を尋ねた時。
20歳近くも年下の話ながら、聞いて鳥肌が立ったのを思い出す。

「私は後輩たちにも言うようにしていますし、言う以上は自分もやらないといけない。
自分で言うのも何ですけど、これはなかなか大変なことだと思います。
そして、何より、こんな大変なことを他のメンバーにはやらせたくない。だから、自分がやっているんです」

 それだけの役割を担ってきたのだから、当然なのかもしれないが、毎週連載を書く担当記者としては非常に困る問題もあった。
 というのは、どのメンバーに話を聞いても、最後はいつも同じ話になるからだ。

「自分にはできないことをされていて尊敬しますし、それでいてメンバーのことを一番見てくれている。少しでも近づけるように頑張りたいです」。

 もちろん、それぞれのメンバーは素直な思いを話しているだけなのだが、示し合わせたように、いつも山本への尊敬と感謝の思いがインタビューのラスト近くに出てくる。
いつも“締め”の部分が同じでは連載として芸がないので、そこからあえてマイブームの話や、
最近あった他のメンバーの面白エピソードなどを聞きなおして、原稿をまとめていたことを思い出す。