ほーれ。須藤信者は反論してみなよ。君たちの知的水準でできるのならw

須藤は、『ルール』を破ることにカタルシスを感じる反社会性を隠し持っているようだ。息をするように嘘をつき恩人ですら平然と裏切る須藤の致命的ともいえる性質は、自尊心や共感性の欠如とともに須藤の持つ反社会性の表れでもあろう。
個人ライブの際に舞台から飛び降り、観客が将棋倒しになる危険をかえりみずに客席に走っていった『事件』などが良い例だ。
多くの人は、須藤凜々花らしいちょっといきすぎたサービスと好意的に受け取ったが、本質は須藤の持つ『ルールを破りたい』という衝動の発現であるように思える。
2018年3月に放送された番組で須藤は、「恋愛禁止は、破ることが前提のルール」と発言した。発言をもっともらしくみせている『恋愛』という単語を省いて『ルール 破ることが前提』と少し言葉を吟味すれば、その危うさがよく分かるはずだ。
これは、ヒトラーかせいぜいギャング水準のモラルに、その思いつきの持ち主を転落させるだろう。
『破ることが前提 → ルール』という転倒した思いつきは、『ルール』それ自体を消失させるものだ。破ることが前提のルールなど自己矛盾であり、存在し得ない。
くだいて例えるなら、「恋愛禁止は、破ることが前提のルールです」とすべてのAKBのメンバーが明言し実行したら、ファンが逃げ出しAKB自体が存在できない。
つまりこの須藤の発言は、『他のメンバーはルールを守れ。アタシはルールを破る』と述べているのと同じである。『自分は破る、皆は守れ』と恥ずかしげもなくテレビで公言しているのだ。
そして自分以外の皆は、ルールを守ってくれるだろうとたかをくくり、社会の寛容さや人々の良識に甘えている。
もちろんそんな子供じみたことが許されるのは、中学生かせいぜい未成年までである。
とても成人した大人の言うことではない。やはりこの発言には、須藤の持つ幼児性と羞恥心の欠如、モラルの低さ、そして反社会性がよく表れている。
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