宝林寺 カルト問題 https://www.hourin-ji.com/cont9/52.html より

> ある時、先生が広島の呉での講演の後、白髪のがっしりした体格の男性が控え室を訪れ、「今日のお話は自分の経験と照らしても非常に納得できる内容だった」と言われたそうです。彼は元海上自衛官で、護衛艦に搭乗する任務に就いていたのだそうです。護衛艦の勤務は、一度港をを出るとしばらくは帰ってくることはなくて、海の上で集団生活をしながら一所懸命訓練するのだそうです。そこでは「日本の領海の安全を守る」という誰もが反論できない正しい理念を錦の御旗のように共有することになります。そうなると、その正しい理念に対する姿勢をいかに徹底できているかが、常に問題となるそうです。そのことに前向きになれなかったりする者が居ると、そこでは必ず嫌がらせやイジメが行われるというのです。これは昔の帝国海軍でも自衛隊でもまったく一緒だと。そういう現場をたくさん見てきたので、何か人間の心理の構造上、決して逆らえないというか、人間が集団となった時にどうなるかという怖さは非常によく分かると言われていたそうです。

> 誰でもそういう状況になれば同じような行動になるといえるし、もちろん私も同じ状況ならば決して例外ではないだろうと思います。これは会社であればパワハラやモラハラ、ブラック企業の問題となるし、原理主義のテロ集団や、もっと言えば天皇を中心とした国家神道を推し進めた戦前の日本も同じ構造だといえるでしょう。

> その「正しさ」の内容というのは何でも良くて、例えば純粋に人を救いたいという思いや、反原発だったり災害ボランティアだったりさまざまな差別への反対だったりと誰もが反論できないものです。集団の外部がそれを受け入れられず対話の機会を失ってしまった場合、外部との壁を作って先鋭化し、敵意となって暴走してしまう恐れがあるといわれます。これはカルト集団の典型的な展開で、南米ガイアナで起こった人民寺院の悲劇や(1978年)、オウム真理教の元信者たちの手記からも覗われるというのです。

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この辺はよく書けていて秀逸と思う。
次のも
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> そう言われてみると、この一連のページは、もともとカルト問題の被害に遭わないための注意喚起を目的として書き始めたのですが、どこかでカルト団体と言われる彼らを異質な存在と見なし、なるべく近づかないように彼らとの相違点をあげつらい壁を作るような意識で書いていたような気がします。私自身が正義の立場に立っているわけで、相手を許容できないということですから、対立を煽っていることになるかもしれません。