親の事(親に関する珍しい事)で思い出した父親の事では

うちの父親は、オードリーヘップバーン 苦笑 というのもあった。

精神構造が子供だと思っていたが、「女の子」だったようで
私と逆
逆にされてるのかもしれないけど…

だいたいうちは逆といえば親戚でも叔母が数学教師で父親は文系の方
まあ、書いてもいいか、変にぼかして書かなくても 国語教師 でそのせいか物凄くたくさんの本があった。
読むのは子供の頃読み慣れてる。それで字を読むのが速いんじゃないかと思う。それとそういうものの「歪み」にも馴れている。
文学というのは、立派な感心できる人間とか社会に役立つ人間というのを作品にしてる訳ではない。また別の意味はあるという事になってるけど、それも森鴎外を持ち上げたような力がやらせたものかもしれない(と今は思うが)

余談だが、こういうエージェント系と言うともしかしたら…と思うのは「T橋三千綱」先生も・・・。わからないけど、利用されてたのかもしれないけど。癌に関してなんかも、標準療法に疑問までは良いんだけど、なんというかK藤医師と対談してたりして・・・。
K藤医師は知らなかったけど、だいぶ惑わせる事を言ってる人だった。。。と思うので…
この辺も「と思う」という風にしか書けない部分も多い。。。「藪の中」(あぁこれも文学作品だが)

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話戻って
「うちの父親は、オードリーヘップバーン」
について

うちの父親はオードリーヘップバーンの仕草 (顎に両手をやる) にそっくりのポーズをやる事があった。
やっぱりこの人大丈夫なのかなあ…
なのであった。。。

という感じなのだが

まあ、こういうものに関して色々読んでも、うちのような例は出てないなあ
幸せの形というのは、同じや似通って居ても、それ以外とかいわゆる「不幸」というのは千差万別だからかなあ…
いちいち個別には取り上げないからかなあ…とも思うが
まあ、一応の類型みたいなのはあるようだが…
そういうのでも、ないなあ

それと思うのは、どこまでが異常で、どこまでが個性かというのも
異常でも問題がなかったら個性
家庭なんかの場合、そういう事もある。
例えば、私のうちは、子供の頃(幼児の頃)、母に木登りを教えられ(半ば強制)、父にあやとりを教えられた。幼稚園に行って普通に人とあやとりをしたけど父に教えて貰ったとは言えなかった。
というか、言わない「社会性」を身に付けていた子供だった。役割逆転夫婦のような所があったなあと思う。この程度であれば個性的な家庭の範疇だろうけど…。

子供の頃父親は周囲の家が女の子ばかりで女の子と遊んでたそうだった。きょうだいも妹しかいない
人間は環境の動物
母はきょうだい姉ばかりだが、女性は「対男」で女性となるような面はあるから、全員女性だと、皆男性化してしまってるような場合もあるし

あぁ
1番役割逆転夫婦は早くに亡くなった合った事がないが私に似てるとか言って来られた母の母と父の夫婦だろうなあ…
そのせいで私が母に当たられ攻撃性を向けられてるのか
親の親に対する攻撃性が子供に出ている、のだと思う
出ている、だと庇い過ぎで、向けてる というべきか


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O崎さんを見た時思ったのは「女の子」みたいだなあ…だった