>>78 >>461 に書いた名古屋大学の大学病院の神経科のカウンセリングと称するものについて
思い出した認識がある。
その頃 同じ高校の友達だった人(多少に家庭に問題はあったかも)に、その事や色々話した気もするが
「〇〇の事 そんな風にいう所に行かんときな」とは言ってたが
上の「」内の言葉を言った時と同じ時じゃないけど、 言われた言葉がある。それが名古屋大学のカウンセリングの前の問診で聞かれる事(これは調べればどういう事を聞いてたかは記録はある可能性ある) の矛盾を言い当ててると思う。
「(中学校で?)性格悪くないのに、嫌われとった子っておったやろ? 今の〇〇 それみたい」
と言われた。 色々あり過ぎて、神経症的に対人恐怖的になっていた。異様なビクビク感が伝わったのか?! でもそれも酷いな

問診は、不適応症状(私は不適応症状で行ったのでは無く顔面神経麻痺で回された)起こした人に聞くとしたら、本人の内面に全部問題を求めてるようで、益々責めて良くない。精神的な負担になると思った。
私はこのカウンセリングで、カウンセリングが必要な状態になったが、カウンセラーが原因でカウンセリングが必要な状態になった人の話を聞きたがるカウンセラーなんて、まあ居ないと思った方が良い世界だと思う。
癌からの生還の「僕は死なない」というページやnoteを見てても、医者と患者のやり取りが出てくるが、患者が敬語なのに、医者は(特に大学病院の医者だからかもしれないが)子供が話すみたいな言い方、それで当たり前になってる。
一般社会だと、お金を出す方が敬語で貰う方が敬語でなく気を遣わないで話す事なんてない。随分ぞんざいな態度で当たり前になってる世界なんだなあと改めて思った。
そういう事とも関係あるかもしれないし、名古屋という地域性なのかなとも思ったが、問診とカウンセラーと称する人違う人だったが、どっちも酷く、問診では、親の職業、友人の数、成績、学校には行っていたか、自分の性格について、など聞かれた。物凄い緊張した態度で。
「僕は死なない」の人なら、意地でも病気を作ってやる!「病気に誘導」してやるぞ!という態度と言いそう

性格悪くなくても、嫌われてるというより立場ない感じの人は中学校にはいた。
私も嫌われてるかもしれないが、そういう嫌われ方じゃなくて、もっと立場なく理不尽に。
なぜそうなったかは同じクラスや同じ小学校じゃないからわからないけどそうなってた。かわいそうじゃないかと言っても、「・・・」という感じだった。
共同体内部に対する不満や攻撃性が転校生なんかに向いたり、何となく弱みありそうとか、内省的過ぎるとか、すぐに切り返したり、言い返せない人に向けられる事はあると思う
小学校によって偏りがあった。商店街のある地区の小学校はそういう人が多かった。